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2022年8月23日 (火)

灯火親しむ季節に (2022,9)

 苦海と見えていた人生で、読書を通して一条の光明を見い出された方も多かろう。秋の夜長は本に親しむ時節でもある。

 ということで、最近読んだ中から目からうろこが落ちる体験のできる(と思われる)お勧めの本を何点か紹介したい。

 先ず、新書大賞を受賞した『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著 集英社新書)。

 人の営みによって都市はコンクリートに覆われ、海は酸性化とプラスチックに汚染され、大気中には大量のCO2が溢れて地球温暖化が進んだ。そんな、自然を大きく改変した地質学上の時代区分のことを「人新世」と呼ぶそうだ。本書は、それを〝滅亡の遺跡〟としないための処方箋である。


「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺(ことわざ)がある。環境問題を解決するための基本は、環境破壊が発生する構造を理解して、それを好転させる鍵を見出すこと、そして鍵を回すことである。

 本書は、そのための知見を、人類の過去の経験や思想、そして世界各地で進めている有効な取り組みを紹介して明らかにする。

 内容の深さに相違して、環境問題のメカニズムについてこれほど分かりやすく書かれた本もまれだ。これまで皆さんが学んで来た知識や情報が、読むだけで整理できるだろう。

 私たちが目指している〝新しい文明〟の一つの方向性が見えてくる一冊だ。


 次は『親鸞と日本主義』(中島岳志著 新潮選書)。

 ロシアとウクライナの戦争を機に、日本でも歴史を振り返り検証しはじめた「愛国と信仰」の問題について、これほど思想的に踏み込んだ「対話」が公開されるのは珍しい。

 明治維新以降、伝統的な宗教や国学、そして著名な思想家が説いてきた「日本主義」「国体」「聖戦」などの言葉が、ときに民衆の心を扇動(せんどう)し、ときに国策に迎合して戦争に突き進み、イデオロギーとして人心を振り回してきた歴史が浮き彫りになる。

「中心帰一」といい「大御心」といい「絶対他力」といい、同じ言葉を使っていても、それが神の無限の愛や仏の慈悲喜捨から発したものなのか、それともただの観念が頭に宿って鳴り響いた付和雷同の叫びなのか。

 それがどんなに尊い言葉で表現され、そこに理想と見える世界があるように思えたとしても、深く検証もせず現象を妄信すれば、「外にこれを追い求むる者は(略)永遠に神の国を得る事能(あた)わず」であり、万行空しく施すことになる。


 本書をたどりながら、過去の歴史を通じて説かれた〝似て非なるもの〟を厳密に検証することで、生長の家が説く「中心帰一」との〝違い〟が見えてくるだろう。真意を探る中から、あらためて「仏の四無量心」が、国を超え、民族を超え、時代を超えて生きとし生けるものに働きかけ、観世音菩薩の大慈悲が生長の家の運動となって顕れていることに注目してほしい。


 ほかにも紹介したい本は数多(あまた)あるが、紙幅が尽きる前に一冊挙げれば、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里著 角川文庫)も意外な一冊だ。

 異文化コミュニケーションがもたらす豊かな実りと、国や民族を異にする親友たちへの〝想い〟が切々と胸に迫る。今は亡き著者が振り返る、わくわくドキドキの自伝的ノンフィクションだ。

 (二〇二二・九)

 

 

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2022年8月13日 (土)

コロナ禍で開花した運動の多様性 (2022,8.15)

 生長の家栄える会の機関紙『七宝の塔』8月号に寄稿したものをブログに採録しておく。(なお、機関紙には久都間のふりがなを誤って「つくま」と誤植されていたが、「くつま」が正しい表記である)

 二〇二〇年の春、ご縁あって新型コロナウイルスが蔓延する最中に、埼玉教区と群馬教区に赴任させていただいた。

 同年三月、前教区で推進していた生長の家講習会が中止となり、四月以降、赴任先で計画していた各地の講演会をはじめ、練成会、誌友会など全ての行事が中止となった。着任早々、神さまから「コロナ禍での教化活動」という大きな宿題を頂いたようなものだ。

 この折の事を、栄える会の諸氏に披瀝することで、ご依頼を頂いた寄稿の任を果たそうと思う。

 着任して脳裏に浮かんだのは、コロナ禍という非常事態の中で、対面を必要としないFacebookグループとzoomの活用だった。

 すでに埼玉教区と群馬教区を結ぶ会員限定のネットワークが教区にはあり、私自身も数年前に東京第二教区で同様のグループを立ち上げていた経験から、当面の運動の軸をここに据えることにした。

 しかし、当時このグループの参加メンバーは会員の十八%に充たない数で、非対面型の運動の軸とするには、信徒間で話題になるような魅力的なコンテンツを充実させ、ネットへの参加者を増やすことが不可欠だった。

 先ず教化部スタッフに、「教化部を〝放送局〟にする」構想を伝え、着任二日目からzoomとFacebookを活用した神想観の先導とミニ講話のライブ配信をスタートした。

 放送内容は、午後十二時半から「四無量心を行ずる神想観」を実修し、一時から教化部長のミニ講話と質疑応答の時間を設け、これを毎日欠かさず配信した。

 さらに、三カ月後の七月からは、コロナ禍で出講できなくなつた地方講師の皆さんにも加わっていただき、交代で神想観の先導と信仰体験を担当していただいて配信した。

 その目的は、

①魅力的なコンテンツ(神想観・講話や体験談)配信によるネット利用者の増加。

②地方講師の皆さんの教化力の維持。

③ネットに親しんでPBS活動に参加していただくための一里塚。

この仕組みを軸に、あらゆる対面行事のデジタル化を模索して実施した。

◇ネットが利用できない人のために

 合わせて着手したのは、埼玉、群馬の各教区で発行していた機関紙の充実だった。

 一見、ペーパレスの時代に逆行しているようにも見えるが、コロナ禍でのコミュニケーション不足を補い、PBSを軸にした運動を咀嚼(そしやく)して伝えて全誌友の手元に生きた情報を届けるには、暫定的ではあるがコロナ禍では紙媒体の「教区機関紙」が最適な手段となった。

 埼玉では、それまでA4版二ページの紙面を、群馬の機関紙と共に一挙にA4版八ページへと拡大した。

 紙面はそれぞれの教区で編集して、毎回一面にPBS諸活動の共通の「特集」を、二面以降は白・相・青はじめ各組織からのメッセージを、さらに「教化部長の信仰随想」に加え、故人となった諸先達を顕彰する地方講師によるリレー随想のコーナーを新たに設けた。

 また、各地で実施したPBS活動のトピックス、翌月開催する各種ネットフォーラムの宣伝広告、最後の八面に「行事(ネット配信を含む)予定表」などを掲載したことで、コロナ禍でも生長の家の運動を血液のように巡らせる、動脈としての働きを紙面の隅々に託した。

 さらに、インターネットの双方向の特徴を活かした試みとして、従来の「地方講師研修会」をはじめ、練成会等で行っていた諸行事なども試験的にzoomやFacebookで実施してみるなど、こんな時期でなければできない実験を重ねさせていただいた。

 また、総裁先生ご夫妻が「九折スタジオ」を開設されたことから、教区における全てのネット行事で同スタジオの時間を組み込んで視聴した。コロナ禍にも関わらず、総裁先生方からご指導いただく機会が従来と比較にならないほど身近で双方的なものとなり、教区の信徒の皆さんにとって大きな信仰の糧とさせていただくことができた。

 おかげで二〇二一年の立教記念日の式典の本部褒賞では、埼玉教区が普及誌購読者数増加数・増加率ともに第一位を獲得したほか「質の高い運動実践賞(白鳩会)」、「地域貢献活動優秀賞(相愛会)」、群馬教区は「社会貢献賞(栄える会)」を受賞させていただき、次第にスマホに切り替える人々も増え、現在はSNS利用者も四割を超えた。

 すべては、技術面で支えてくれた教化部スタッフ、そして運営面で活躍された教区幹部の皆さんの尽力あればこそである。

◇アジサイのように

 かつて梅雨の時期にガクアジサイをスケッチしたとき、その構造が、まるで宇宙に浮かぶきら星のように、無数の細かな花や蕾みの集合だったことに気がついた。

 対面行事が解禁となった梅雨以降、担当している埼玉、群馬のペア教区でも、満を持して教化部長が教区各地へ出向いての講演と「教化部長・先祖供養祭」そして誌友会等の対面行事をスタートした。

 現時点では、群馬の桐生市、埼玉の上尾市など五会場で開催し、コロナが蔓延しなければペア教区全総連の二十数会場を回る予定だが、各会場ではzoomで〝顔見知り〟の方もいれば、まったくの初対面の方が半数以上もいることに深い感慨を覚える。赴任して三年目、コロナ禍でなければ既に三巡目に入っていたことだろう。

 また、講演会や先祖供養祭では、講話の後で必ず質疑応答の時間を設けているが、ある会場で「世界平和の祈り」ニューバージョンについて、相愛会員の方からこんなご質問を頂いた。それは、「ロシアの人のために祈るのは誤解を招くのでは?」というもので、その趣旨を尋ねると、ロシアを悪と見る〝世間の目〟に生長の家も合わせるべきではないか、という配慮であることが判った。

 ご存じのように、私たち生長の家は観世音菩薩の大慈悲である四無量心と神の愛を行ずる運動である。

 その愛の展開であるみ教えは「天下無敵」を説き、敵と見える者の中に「神」や「仏」の実相を拝むのである。

 道元禅師は、「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」という言葉を説かれたが、道心とはすべてを生かす仏心を生きること。

 一方、衣食とは、今風に云えば世に蔓延(まんえん)した経済至上主義の生き方のことである。

 前者は感謝と和解の道であり、後者は競争と奪い合いと環境破壊へと進む隘路(あいろ)である。

 神さまから観れば、神の子に人種や民族の違いも無ければ、国の違いもない。たとえ世間がどのように見ようとも、慈悲喜捨の四無量心は、微塵もゆらぐことなく天地を貫いて万物を生かすのである。

 その大慈悲を生きることの中に、私たち生長の家の菩薩行があり、それを実践することの中から衣食が、世界平和が、次世代への愛の行為が満ちてくるのだ。

 それは紫陽花のような多様性に富んだ〝新しい文明〟を花咲かせる道である。

 (二〇二二・八・一五)

 

 

 

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2022年8月 1日 (月)

丸貰いの丸儲け (2022,8)

 不思議な時代が到来したものだ。スマホが普及したおかげで、今生では再び会うことは無かったであろう遠方に住む旧友とも、再会できる窓が開いていた。

 つい最近のことだが、共に四十年ほど前に宇治で修行した友人で、その後み教えから離れていた方からメッセンジャーで次のような質問が寄せられた。

「久都間さんにお聞きしたいことがあります。生長の家で一番大切なことは何でしょうか? 私は最近纏めた本で、自分が〝光であること〟と記しました。ところが先日、古参の生長の家誌友の方から〝それは感謝だ〟といわれました。が、私は〝光り〟のなかには〝既に感謝できている自分〟がいるから、それで正しいと思っていましたが、いかがでしょうか。それでも感謝することが第一なのでしょうか? 教えてください」。

 生長の家で一番大切なこと、という質問は、彼なりに人生を賭けた問いと思われた。私はスマホを手に、次のように答えていた。

「人間はみな神の子です。外界はすべて現象であり、非実在です。しかし現象は、宇宙大生命の働きである観世音菩薩(観自在の原理)によって現れた世界ですから、その人の心境に応じて、救いの機縁となるものが百人百様に現れるのです。

 だからあなたの云う〝光〟も一番大切であり、古参の誌友の語る〝感謝〟も一番大切なのです。

 生長の家で『天地一切のものと和解せよ』と説くのは、仏の四無量心を行ずる私たちの慈悲喜捨こそが、一切の無明を照らす智慧の光であり、衆生の苦悩を癒やす愛の光だからです。

 日々の神想観を通して、随所で慈悲と愛を行じて生きるのが生長の家の感謝の生活です」。


 梅雨が明けて八月が近づくと、宇治本山で総務を務めておられた藤原敏之講師の語っていた、「救いの根本行は、ただ〝有り難う〟と感謝すること。善くても有難く、悪くても有難いのです」

「自分の力によるものは一つもない、ことごとく頂きもの、丸貰いの丸儲けと分かれば感謝以外にはない」という言葉が蘇って来る。

〝丸貰いの丸儲け〟とは、すべては神からの授かりものということである。

〝自分のもの〟と思っていた家族も、自身の能力も、身体も、信仰する力も、実は自分のものなど一つもなくて、すべては神の愛、仏の大慈悲が家族となり、師となり友人となり同僚となり、土地や財産や私たちを取り巻く山河となり、そして私の求道心となって現れていたのである。

 生長の家の唯神実相の信仰は今日(こんにち)においても運動の根底に脈々と流れており、その慈悲の光に触れた人々を救いへと導く。

 役員改選で新たな使命が天降った方、一念発起して信仰に本腰を入れはじめた方、ともに私たちの住む世界は〝丸貰いの丸儲け〟宇宙まるごと神さまからの恵みであり、授かりものである。

 そして何よりも、あなたの存在こそが、神からこの世への〝最高の贈りもの〟であり、世を照らす〝慈悲の光〟なのである。

  (二〇二二・八)

 

 

 

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