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2022年8月13日 (土)

コロナ禍で開花した運動の多様性 (2022,8.15)

 生長の家栄える会の機関紙『七宝の塔』8月号に寄稿したものをブログに採録しておく。(なお、機関紙には久都間のふりがなを誤って「つくま」と誤植されていたが、「くつま」が正しい表記である)

 二〇二〇年の春、ご縁あって新型コロナウイルスが蔓延する最中に、埼玉教区と群馬教区に赴任させていただいた。

 同年三月、前教区で推進していた生長の家講習会が中止となり、四月以降、赴任先で計画していた各地の講演会をはじめ、練成会、誌友会など全ての行事が中止となった。着任早々、神さまから「コロナ禍での教化活動」という大きな宿題を頂いたようなものだ。

 この折の事を、栄える会の諸氏に披瀝することで、ご依頼を頂いた寄稿の任を果たそうと思う。

 着任して脳裏に浮かんだのは、コロナ禍という非常事態の中で、対面を必要としないFacebookグループとzoomの活用だった。

 すでに埼玉教区と群馬教区を結ぶ会員限定のネットワークが教区にはあり、私自身も数年前に東京第二教区で同様のグループを立ち上げていた経験から、当面の運動の軸をここに据えることにした。

 しかし、当時このグループの参加メンバーは会員の十八%に充たない数で、非対面型の運動の軸とするには、信徒間で話題になるような魅力的なコンテンツを充実させ、ネットへの参加者を増やすことが不可欠だった。

 先ず教化部スタッフに、「教化部を〝放送局〟にする」構想を伝え、着任二日目からzoomとFacebookを活用した神想観の先導とミニ講話のライブ配信をスタートした。

 放送内容は、午後十二時半から「四無量心を行ずる神想観」を実修し、一時から教化部長のミニ講話と質疑応答の時間を設け、これを毎日欠かさず配信した。

 さらに、三カ月後の七月からは、コロナ禍で出講できなくなつた地方講師の皆さんにも加わっていただき、交代で神想観の先導と信仰体験を担当していただいて配信した。

 その目的は、

①魅力的なコンテンツ(神想観・講話や体験談)配信によるネット利用者の増加。

②地方講師の皆さんの教化力の維持。

③ネットに親しんでPBS活動に参加していただくための一里塚。

この仕組みを軸に、あらゆる対面行事のデジタル化を模索して実施した。

◇ネットが利用できない人のために

 合わせて着手したのは、埼玉、群馬の各教区で発行していた機関紙の充実だった。

 一見、ペーパレスの時代に逆行しているようにも見えるが、コロナ禍でのコミュニケーション不足を補い、PBSを軸にした運動を咀嚼(そしやく)して伝えて全誌友の手元に生きた情報を届けるには、暫定的ではあるがコロナ禍では紙媒体の「教区機関紙」が最適な手段となった。

 埼玉では、それまでA4版二ページの紙面を、群馬の機関紙と共に一挙にA4版八ページへと拡大した。

 紙面はそれぞれの教区で編集して、毎回一面にPBS諸活動の共通の「特集」を、二面以降は白・相・青はじめ各組織からのメッセージを、さらに「教化部長の信仰随想」に加え、故人となった諸先達を顕彰する地方講師によるリレー随想のコーナーを新たに設けた。

 また、各地で実施したPBS活動のトピックス、翌月開催する各種ネットフォーラムの宣伝広告、最後の八面に「行事(ネット配信を含む)予定表」などを掲載したことで、コロナ禍でも生長の家の運動を血液のように巡らせる、動脈としての働きを紙面の隅々に託した。

 さらに、インターネットの双方向の特徴を活かした試みとして、従来の「地方講師研修会」をはじめ、練成会等で行っていた諸行事なども試験的にzoomやFacebookで実施してみるなど、こんな時期でなければできない実験を重ねさせていただいた。

 また、総裁先生ご夫妻が「九折スタジオ」を開設されたことから、教区における全てのネット行事で同スタジオの時間を組み込んで視聴した。コロナ禍にも関わらず、総裁先生方からご指導いただく機会が従来と比較にならないほど身近で双方的なものとなり、教区の信徒の皆さんにとって大きな信仰の糧とさせていただくことができた。

 おかげで二〇二一年の立教記念日の式典の本部褒賞では、埼玉教区が普及誌購読者数増加数・増加率ともに第一位を獲得したほか「質の高い運動実践賞(白鳩会)」、「地域貢献活動優秀賞(相愛会)」、群馬教区は「社会貢献賞(栄える会)」を受賞させていただき、次第にスマホに切り替える人々も増え、現在はSNS利用者も四割を超えた。

 すべては、技術面で支えてくれた教化部スタッフ、そして運営面で活躍された教区幹部の皆さんの尽力あればこそである。

◇アジサイのように

 かつて梅雨の時期にガクアジサイをスケッチしたとき、その構造が、まるで宇宙に浮かぶきら星のように、無数の細かな花や蕾みの集合だったことに気がついた。

 対面行事が解禁となった梅雨以降、担当している埼玉、群馬のペア教区でも、満を持して教化部長が教区各地へ出向いての講演と「教化部長・先祖供養祭」そして誌友会等の対面行事をスタートした。

 現時点では、群馬の桐生市、埼玉の上尾市など五会場で開催し、コロナが蔓延しなければペア教区全総連の二十数会場を回る予定だが、各会場ではzoomで〝顔見知り〟の方もいれば、まったくの初対面の方が半数以上もいることに深い感慨を覚える。赴任して三年目、コロナ禍でなければ既に三巡目に入っていたことだろう。

 また、講演会や先祖供養祭では、講話の後で必ず質疑応答の時間を設けているが、ある会場で「世界平和の祈り」ニューバージョンについて、相愛会員の方からこんなご質問を頂いた。それは、「ロシアの人のために祈るのは誤解を招くのでは?」というもので、その趣旨を尋ねると、ロシアを悪と見る〝世間の目〟に生長の家も合わせるべきではないか、という配慮であることが判った。

 ご存じのように、私たち生長の家は観世音菩薩の大慈悲である四無量心と神の愛を行ずる運動である。

 その愛の展開であるみ教えは「天下無敵」を説き、敵と見える者の中に「神」や「仏」の実相を拝むのである。

 道元禅師は、「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」という言葉を説かれたが、道心とはすべてを生かす仏心を生きること。

 一方、衣食とは、今風に云えば世に蔓延(まんえん)した経済至上主義の生き方のことである。

 前者は感謝と和解の道であり、後者は競争と奪い合いと環境破壊へと進む隘路(あいろ)である。

 神さまから観れば、神の子に人種や民族の違いも無ければ、国の違いもない。たとえ世間がどのように見ようとも、慈悲喜捨の四無量心は、微塵もゆらぐことなく天地を貫いて万物を生かすのである。

 その大慈悲を生きることの中に、私たち生長の家の菩薩行があり、それを実践することの中から衣食が、世界平和が、次世代への愛の行為が満ちてくるのだ。

 それは紫陽花のような多様性に富んだ〝新しい文明〟を花咲かせる道である。

 (二〇二二・八・一五)

 

 

 

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