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2023年1月27日 (金)

すべてを成就する鍵  (2023.2)

 既にご存じのことと思うが、この三月で、私は埼玉教区と群馬教区を去ることになった。そして、四月から東京第一教区と第二教区の教化部長として赴任させていただくのだが、埼玉・群馬に来て三年。皆さんと一緒に祈りながら、コロナ禍での運動のアイディアを出し合い、社会の変化に柔軟に棹さした光明化運動を展開してきたつもりだが、異動の知らせをいただいてから、ふと「もう、私の役割は果たし終えたのだろうか?」との思いに駆られていた。


 結論から言えば、私の「役割」はこの三年間で一段落して、ひとつの節目を迎えたのである。埼玉も群馬も〝新しい教化部長〟の赴任とともに、新しい時代が始まり、新たな神意が現成するのだ。

 コロナ禍での運動も四年目を迎え、その兆しは随所に現れている。たとえば

①ネットとリアルな対面行事との両輪が揃い、どんな状況下にあっても強靱でしなやかに運動できる基礎が構築できた。

②四月から赴任する教化部長が兼務でなくなり、それぞれ担当される教区に専念して地域の光明化に尽力できる(これは兼務では果たすことのできなかった領域だ)。

③コロナの扱いが「5類」(インフルエンザなどに該当)となる春から対面行事が本格的に再開されるだろう。

このように、視野をちょっと広げただけでも運動の好材料が目白押しなのである。


 その結論に至るまで、後ろ髪を引かれる思いをしていたら、なんとコロナに感染してしまい、三日後に妻も罹患した。幸いにして他の家族は無事だったが、高熱にうなされて激しい〝自壊作用〟に見舞われたのは、夫婦とも十数年ぶりのことだった。


 良寛和尚は、越後での大地震(一八二八年)で子どもを亡くした友人に宛てた手紙で、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候(そうろう)。死ぬ時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候」という言葉を書き残している。

 災難も、病気も、たとえ死でさえも、擾(じよう)乱(らん)現象は現れては消えていく浄めの姿である。良寛の言葉は、目先のことばかり見て判断したがる私たちの〝自我〟の都合を超えて、宇宙に遍満する〝大生命の働き〟への深い信から湧出している。

 不幸や災難と見える現象が現れていたとしても、「実相は完全円満であり、現象にとらわれるな、怖れるな、嬉々として汝の新たな使命に挑め!」という真理を伝えているのだ。


 人生の随所で、新価値を創造する秘訣は、神に全托して生活することである。それは日々の神想観で、すべてが成就している実相世界と繋がり「ありがとうございます」とただただお礼と感謝を伝えることである。

 生長の家では、「既に神は吾が求むる如く吾れに為したまうたのである」(『日々読誦三十章経』)と教えていただいている。求めたものは、既に成就しているのだ。私たちは赤児のように、神の無限智、無限愛、無限生命に充ち満ちた実相に深く抱かれ、ご縁ある一切のもののために仏の四無量心を行じるとき、すべてを成就する鍵が回り始めるのである。

  (二〇二三・二)

 

 

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