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2023年3月17日 (金)

宇治、それは魂の邂逅(かいこう)の“場”

 宇治別格本山の季刊紙『宇治だより』担当者から、「宇治を愛する人」というコーナーへの寄稿を依頼された。二〇二二年十二月に発行されたのもので、ご覧になった方もいるかと思うが、その原稿を採録しておく。なお、紙面に掲載したのは紙幅の関係で原文を三分の二ほどに削ったもので、こちらが全文である。

 

 宇治川に注いでいる琵琶湖の水は、滋賀県では瀬田川と呼ばれ、京都府に入ると宇治川となって古都をめぐり、大阪府に入ると淀川となって商都を潤し、やがて大阪湾に至る。


 この湖水のことを、かつて宇治練成会で〝宇宙大生命〟に喩えて講話されていた講師がいたが、私たちの人生という大河も、さまざまな人や事や処と出合い、豊かな経験を経て内在の神性が輝きはじめる。そして大生命から授けられた〝使命〟という川を旅して、ご縁あった人々の生活を潤すのだ。


 宇治川のほとりに位置する宇治別格本山は、み教えにご縁をいただいた者たちの“出会いの場”であり“修行の場”であると同時に“再会の場”でもある。

 私が初めて宇治本山の門をくぐったのは昭和五十七年の新春練成会。当時、総務の藤原敏之先生を中心に小嶋博先生、榎本恵吾先生らが指導に当たっておられた。


〝ご縁〟とは不思議なもので、もし“あの人”に出会っていなかったら、今の自分はなかったと思われる恩人が誰しもいるかと思うが、私にとって宇治の先生方は、そのような人たちだった。


      ○


 宇治で研修生活をスタートして間もない頃、研修を担当されていた榎本恵吾先生が、練成の浄心行の後で研修生を呼び寄せて、
「皆さん、浄心行は“はじめから浄い心(実相)”が行うから浄心行ですよ」と話し始めた。そして「神想観は“神”が想い観ずるから神想観。愛行は“愛”そのものが行ずるから“愛行”です。皆さんは神の子です。そのまま“浄”であり、はじめから“愛”であり“光り”そのものです。これから心を浄めてから、神になるのではありません! 皆さんは宇治に光りを貰うために来たのではなく、宇宙を照り輝かす光(神)が、宇治を輝かせにきたのです!」

 と、情熱的に語ってくださったことを、昨日のことのように想い出すのである。


 また当時、藤原敏之先生は、毎週月曜日の午前七時から職員や研修生を対象に『生活の智慧365章』(谷口雅春著)を講義してくださっていた。先生は講話で、


「皆さん、ご文章の見出しの言葉だけを見て、そこにどのような内容が書かれているのか、おおよそ分かるようにならなければだめじゃッ」
 と繰り返しおっしゃっていた。つまり、それだけ深く文章の行間を読み込み、縦の真理(唯神実相)と横の真理(唯心所現)のカギを持って、見出しに凝縮された真理の言葉を正確に読み解きなさい、という深い配慮が込められていたことが、教化部長を拝命している今はよく分かるのである。


 また、そのころ写経練成会が開催されていて、小嶋博先生が『神 真理を告げ給う』(谷口雅春先生著)をテキストに、入龍宮幽斎殿で講話を担当されていた。


「いいかね皆さん。宗教の講話は、講演とは違う。講話は講師と聴衆との、いのちといのちの遣り取りだ! しっかり(集中して)付いてきてくださいよッ!」。


 小嶋先生の言葉は、私たちの魂にビンビン響き、そのピュアで瑞々しいコトバの響きは、今も私のいのちに深く刻まれている。
 研修生となった私は、この三人の大先達が語る言葉を、機会ある度に会場に足を運び、食い入るように拝聴させていただいた。昭和五十年代後半のことだ。


 そして一九八七(昭和六十二)年、藤原敏之先生が退職されることになり、後任として楠本加美野先生が総務に就任された。藤原先生は、最後の朝礼のご挨拶で楠本先生を紹介しながら、


「楠本講師は“行”の人じゃ。“行”は(唯神実相への)深い信があればこそ、“行”に徹することができる」
 と、楠本先生の信仰をずばりと捉えて紹介してくださった。


      ○


 その後、楠本総務の元で宇治別格本山から何人もの本部講師が誕生した。そして、練成会を受けて人間・神の子に目覚めた数多(あまた)の人たちが、地方講師となり教区幹部となって菩薩行に身を捧げられている。


 私も宇治の先生方に育てられた一人だが、宇治のことを想うと、恩師たちの温顔が脳裏に浮かぶ、ただただ感謝と懐かしさしかない。


 宇治に入山した当時、抜きがたい精神的な苦悩に加えて肉体的にも病気を抱え、幼い頃から薬に頼って病と折り合いをつけてきた私が、み教えの本ものの〝深み〟にふれたおかげで、薬の全く要らない境涯に入り、健康と感謝と喜びに満ちて、しかも本部講師として菩薩行に携われるようになろうとは、夢にも思っていないことだった。


 そんな、み教えとの決定的なご縁を結んでくださった宇治の恩師たちのことを想うと、借り越しになったままの“ご恩”の借財は計り知れない。しかしそれは、そのまま私に託された使命の遠大さであり、久遠に渡っての菩薩行であることを、あらためて想うのである。

                  
    (二〇二二・一二)

 

 

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