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2023年5月30日 (火)

右の手のすること  (2023,6)

 先般亡くなった作曲家の坂本龍一さんの『Playing the Piano12122020』というCDを聴いている。

 その演奏が、天界からの祝福のように初夏のすがすがしい空気と溶け合い、深い慈悲が奏でる音の恵みを、久しぶりに満喫させていただいている。

 日々の生活の中で、私たちは大自然の恵みや、多くの人からのご恩を頂いているが、その恵みに気づかなければ、「それが存在しても『無い』のと同じこと」と、『新版 生活の智慧365章』には説かれている。

 世の中には、「目に見える恵み」と、目には見えないがこの世界を根底で支えている「隠れた恵み」とがある。

 前者は、即物的な恩恵として現れ、これを他に与えれば「ありがたい」と感謝され、善行として称讃もされる。

 一方、見えない恵みは、よほど注意しなければ私たちの意識に上ることは希である。こちらは大自然の恵みとなり、人間を介した場合は「隠れた善行」として施されるが、キリストはこれを「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」と、この途轍(とてつ)もなく深い神秘な働きについて語っている。

 前者の恵みは、私たちの現在意識に“利害や損得”という姿で映るから誰でも分かりやすい。しかし、隠れた恵みの方は、利害を超え、損得を超え、その働きは目に見えない不可知の領域から到来するから計量することができない。

 仏教ではこれを「四無量心」と言い、キリスト教ではアガペー(agape=神の無償の愛)と呼び、生長の家の招神歌ではこれを「元津霊(もとつみたま)ゆ幸(さきは)え給え」と唱えている。

 私たちが利害や損得を越えて、無心に神さまの手足となって働くとき、そこに自身の能力や実力を超えた“無限なるもの”が湧出してくる所以(ゆえん)がここにある。

 それは“ムスビの働き”となり、神癒(しんゆ)となり、ここから新価値が湧出する。それは私たちの力ではなく、その背後にある仏の四無量心が、神の愛が、元津霊(もとつみたま)の幸(さきは)えが、私たちを通して滾々(こんこん)と溢れているのだ。それは尽きることのない恵み、世界を根底から支える愛の光りである。

 仏教に「有漏(うろ)の善根(ぜんこん)」と「無漏(むろ)の善根」という言葉がある。「漏(ろ)」とは煩悩のことだ。「有漏(うろ)」とは「右の手のすること」を皆に見せびらかして称讃してもらいたい心や、「心の法則」を利用して“おかげ”や“見返り”を期待しての善行などがこれに該当する。

 一方「無漏(むろ)」の方は、見返りを一切求めない無償の愛の行為である。それは元津霊の恵みであり、仏の慈悲喜捨の発露である。生長の家で説く「愛行」は、「無漏(むろ)の善根」にほかならない。

 この六月から、教化部で「生長の家オープン食堂」が始まる。

 私たちの運動の長い歴史を振り返れば、どこかで「右の手のすること」の“見返り”を求め、運動に「有漏(うろ)」の要素が混在していた時代があったかもしれない。

 しかし今は、宗教本来の使命である“元津霊”の光りを灯して、私たちの愛行が本来の深い慈悲を奏で、天地のすべてを潤す時代が来たのである。

 

 

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