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2023年6月20日 (火)

玉手箱を開いてみると  (2023,7)

「夢」は、不可視の世界からのメッセージを運ぶといわれている。古くは神話や昔話となって、時代を超えて深奥な教えを伝える場合があり、現代の心理学でも、人間の深層心理についての重要な情報を提供している。

  たとえば鎌倉時代の明恵(みょうえ)上人という坊さんは、見た夢を克明に記録して『夢記』という記述を遺しているが、それを読んだ臨床心理学者の河合隼雄氏は、内容に驚嘆して『明恵 夢を生きる』という著作を通して、「とうとう日本人の師を見出したという強い確信をもった」とまで記している。

  梅雨入りしたころ、妙な夢をみた。ドアを開けると、そこは(なぜか)昔お世話になった生長の家の先輩のご自宅だった。

  私は久しぶりに信仰について語り合えることが嬉しかったが、お母様が来客用の夜具の準備を始められたので、もうすでに遅い時刻になっていることが分かった。

  ご迷惑をお掛けしてはいけないので「そろそろ、おいとまさせていただきます」と伝えると、「これをご覧になってください」と、お二人から藍(あい)色の綿糸を織り込んだ柔らかな布地の袋を手渡された。中には数多(あまた)の写真が入っているようで、その確かな手応えを、しっかり感じたところで、目が覚めた。

 そんな六月上旬、「四無量心を行ずる神想観」を教化部で先導していたとき、若いころ建設会社でバイト(肉体労働)をしていた折に出合い、すっかり忘れ果てていた人たちの顔が唐突(とうとつ)に次々と浮かんできた。それは半世紀も前の記憶で、大半の方は鬼籍に入っていると思われるが、厳しかった人、柔和な人、一癖(くせ)も二癖もあった人など、多様な人間と出逢ったが、当時の若かった私が嫌悪していた人ほど、祈りの中での彼らは、浄らかで根源的な輝きを強く放ち、現在の私のいのちを煌(こう)々と照らしていたのだ。


 私たちは「心の法則」を知るほどに、自身の周りに展開したいろいろな現象を見て、その意味をあれこれ詮索し、解釈して、なにか「解った」つもりになっているのである。しかし、観世音菩薩の説き給う真理は、ただ頭で「解った」だけでは、未だ秘められたままである。

 その教えは実に深奥で、それは「祈り」そして「待つ」という時を経て、私たちの感謝の念が極まるに従って開けてくるのだ。かつて出逢った人々の「いのち(実相)」が、感謝の念の中(うち)から顕現し、その燦然(さんぜん)とした“輝き”が顕わになるに従い、暗黒のように見えていた過去を、現在を、そして未来を、隈無(くまな)く照らしはじめる、それが神想観の醍醐味(だいごみ)だ。

 そんな観想を巡らせていたら、夢の中で手渡された玉手箱(布地の袋)のメッセージが次第に解けてきた。

  写真と思われたのは、これまで出逢った人々の「たましい」の姿、そのお一人おひとりは人生の随所で現れた観世音菩薩だったのである。

  どうやら彼らは、今も、久遠に輝き続けて、過去の渾(すべ)てとなって後世の人々を煌(こう)々と照らしている。その実相が、神想観での“無条件感謝”を通して拝めてきたのである。

 

 

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