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2024年2月24日 (土)

“絶対善”の世界 (2024,3)

 本欄をご覧になっている皆さんは、生長の家で「人間・神の子」の教えと出逢い、本当の人間は肉体などではなく、「神さまの完全円満ないのちである」との教えに触れて、無限智、無限愛、無限生命の実相に目覚めた方も多かろうと思う。

 これは聖典に採録されていた話だが、生長の家の教えに感銘したあるご婦人が、「自分だけこれを読んでいるのはもったいない」と、夫や家族に勧めてみたが、全く関心を寄せてくれない。

 そこで谷口雅春先生に、「どうしたら読んでもらえるでしょうか?」とお尋ねしたところ、先生は「ご自分の生活で、生長の家を読ませてあげたらいいですよ」という意味のご回答をされていた。

 どんなに「善い」と確信したことでも、その人が“善き果実”を生活に実らせていなければ相手にされないだろう。しかしその生活に、智慧・愛・生命の光りが輝いていれば、黙っていても、誰もが強い関心を寄せ始める。これに和顔、愛語、讃嘆が加われば鬼に金棒だ。

 生長の家の教えは、「日時計主義」の生き方、感謝の生活、そして日々の神想観と教えていただいている。

 これらの「行」の目的は“絶対善”の神のいのちを生きることである。その「行」から、実相の豊穣な世界が動き出し、あなたの神の子の使命に“真理の火”が灯され、出逢うすべての人に物に事に「神のいのち」が花咲き始めるのだ。

 かつて生長の家では、宗教的な運動の成果を表すための目安として、即物的な「数」に運動を換算して評価する時代が続いていた。しかし、宗教的な救いや、癒やし、慈悲や感謝、といった不可視の神の働きは「数」に置き換えようもなく、無量無数に生まれた新価値は“網の目”からこぼれ落ちていたかもしれない。

 これら評価の歪みを改善するために、「聖使命会員数、普及誌購読者数、組織会員数」を成果として強調する運動を廃止したことが、2月5日付の通達で伝えられた。

 これは、昨年スタートしたオープン食堂など「与えること」に宗教上の重要な意義を認め、より神意に叶った運動を展開するための改革である。

 が、改革の背後に密(ひ)そむ神意を深く凝視すれば、「廃止された」のは「数」を成果として強調する運動であって、「神のいのち」である“真理の火”を伝える運動は、この改革の中から、より鮮やかな姿で誌友・信徒の信仰生活に蘇るだろう。そして四無量心の「行」を実践する随所で、純粋な愛行が春を迎えた野山のように花咲き始めるのだ。

「地方の信者たち互いに団結して祈り合え」とは「懺悔の神示」に説かれた言葉である。祈り合いは、私たちの前に顕れた“神のいのち”に感謝し、拝み合い、慈悲喜捨を行ずることである。

 思えば、天地一切のものに神ならざるものはひとつも無いのであり、その「絶対善」の実相は、あなたが生きる随所で智慧となり、渾てを生かす愛となって“新価値”を創造するのである。

 

 

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