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2024年5月26日 (日)

三好講師からの助言 (2024,6)

 西行法師は「願はくは花の下にて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ」と歌ったが、古歌をたどるように一人の先達が先般霊界へと旅立った。

 かつて東京第一教区でも教化部長を務められ、本部練成道場と富士河口湖練成道場の主管だった三好雅則講師のことは、『いのちの環』の「悠々味読」連載や、ビデオ講話などでその人柄に接した方も多いと思う。私も、折に触れてご縁をいただいた一人だが、思い出を辿りながら追悼の言葉としたい。


 私は二度ほど、生長の家教修会の発表講師として登壇したことがあった。最初は2004年、万教帰一の考え方に似た「宗教多元主義」というキリスト教神学ついて、世界の宗教や心理学などを織り込んで論文を書かせていただいたが、ある程度原稿がまとまった折、当時の上司だった三好講師に助言を頂くためご覧にいれると、ゆっくり全体に眼を通された後に、ひらめくままに参考文献などを示唆してくださった。

 それは、真理の森を逍遥してきた碩学ならではのアドバイスで、多くの添削者がやるような土足で侵入して文章を切り刻むようなものとは全く異なり、拙い表現の奥にあるアイディアを尊重して、言葉の自然な成熟を見護るような優しいスタンスだった。

 次に発表の機会を得たのは2013年“森の中のオフィス”の落成を記念しての国際教修会だった。三好講師とは部署も変わり、直接ご指導をいただくことはなかったが、私が発表を終えた後の食卓で正面にお座りになり、私が論文に密かに組み込んだ発見をまっすぐに受け止めていて、感慨深く感想を語ってくださっていたことを、昨日のことのように思い出すのである。

 思えば、本部の広報・編集部で初めてご縁をいただいて以来、私の中で三好講師は一人の大切な想定読者となり、私の綴る言葉の真価を確かめる試金石の役割を担ってくださっていたように思うのである。

 2016年、私が八ヶ岳の国際本部から、東京第二教区に教化部長として赴任する折のこと。当時、運動推進部長をされていた三好講師から、ある助言をいただいた。「教化部長になったら『「正法眼蔵」を読む』を、信徒の皆さんに講義したらいいですよ。私も大変に勉強になりましたから」。なんの疑いもなく、素直に「ハイ」と引き受けて以来、東京第二教区、そして兼務となった埼玉教区と群馬教区で計六年ほど、毎月欠かさず講話をさせていただいた。

 講師の皆さんはご存じのように、唯神実相の哲学を「読む」ことと「講義」することの間には、天地の開きがある。

  その広大な空隙には、無尽蔵の発見と、数知れぬ苦悩と、悟りの悦びが満ち溢れ、その体験を語ることで生長の家講師としての使命が生きられ、み教えの“深み”である“久遠を流るるいのち”が後世へと伝えられる。三好講師の助言のおかげで、何よりも私自身が救われたのである。
 
 碩学の大人(うし)を悼む薄暑かな
 百薬(どくだみ)や祐筆の大人(うし)偲ぶ庭

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