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2024年6月25日 (火)

托されたご使命は? (2024,7)

 昨年から、都内の各地で講演会などの諸行事を開催して一年が過ぎた。

 ある会場での質疑応答で、意外なご質問をいただいた。それは「教化部長が家庭で経験してきた夫婦調和の体験について(どう乗り越えたのかその方法を)お話いただきたい」といった意味のお尋ねだった。

 私は「来月、妻が教化部で講話しますから、それとなく訊いてください」とお答えしたのであるが、谷口雅春先生は米国でのある講演会で、病気治しの方法についてのお尋ねに、「no method」とお答えになったという。つまり病気を治すのに「特別な方法などない」というのだ。

 これは夫婦調和の方法についても同様であろう。「方法」は幾らでも語れるかもしれないが、変えなければならないのは「方法」ではなく、隣人や私たちを取り巻く世界を、どう観るか、ということである。

 観世音菩薩は「夫となり妻となり、或いは兄弟姉妹となり小姑ともなり(中略)下役とも同僚ともなりて、常に何かを語り給う」(観世音菩薩を称うる祈り)と、教えていただいている。

 つまり対境は、映し鏡のように私たちのたましいの姿が、そこに見事に現れるのである。しかもそれは、私たちを救い給う仏の「大慈悲である」とまで説かれている。

 生長の家が「天地一切のものに感謝せよ」と説くのは、天地一切のものは神と神の現れであり、人間も、山も川も草も木も、神から出た荘厳な光りであるからである。

 一方「神」の側から見れば、神の光りである天地一切のものは、無条件に神に愛され、生かされ、祝福されていればこそ存在しているのである。

 神が造り給うた実相の世界では、すべてが円満具足し、無条件に生かされていて、そこには駆け引きもなければ、調和するための「方法」などなく、ただそのまま拝み合う感謝の世界だけがあるのだ。


 これも同じ会場で頂いたご質問だが、ある誌友の方が、20年以上も前に録音した私の師匠と思われる方の講話テープを聞いていたそうだ。すると『甘露の法雨』の一説、「罪を犯さんと欲するも罪を犯すこと能わず」「病に罹らんと欲するも病に罹ること能わず」を引用され、次に何か語り始めたところでテープが切れた。続きはどうなったのか、ずっと気になって仕方がない、ぜひお話いただきたい、という。

 さすがは師匠、聴者の心に大疑団が生ずれば、その講話の目的は達したようなものである。が、老婆心豊かな私は次のようにお答えした。

 私たちの実相は「自性円満」である。そのまま円満完全な光りである。罪が近づけば罪が成就して人を導く豊かな智慧が光りを放ち、病が近づけば、やがて必ず健康へと転じて人を癒やす働きとなる。

 だから罪から救われた人、病が癒やされた人、経済や愛憎問題が解決した人、それぞれに神(宇宙大生命)から托されたご使命があるのだ。それが生長の家の“聖使命”である。

 はて、あなたが托されたご使命は、なんでしょうか?

 

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