俳句と如意宝珠 (2024,8)
誰でも無料で食事ができる「生長の家オープン食堂」が東京でスタートして二年目に入った。
新大塚駅にある東京第一教化部、そして西国分寺駅近くの東京第二教化部、それぞれ立地も顔ぶれもメニューもまったく異なるが、運営に当たるメンバー一人ひとりのアイディアが豊かに開花して、多様な果実を実らせている。
「機が熟す」という言葉がある。たとえば、これまで押しても引いてもどうにも動かなかったものが、何かを契機にすらすらと動き始めるときに使われる場合が多い。そんな時は、まるで憑きものが落ちたように速やかに事が運ぶものだが、そこに至るまでには産みの苦しみにも似た困難や、すべてを放り出したくなるような事態を経て、もうだめかと諦めかけたとき、夜明けの燭光がちらちらと見え始め、これまでの歩みが大道へと通じていたことが判明する。
み教えを通して子育てや育成をご経験された方は、すでに身に染みていらっしゃることだろう。
長いように見えた冬も、やがて必ず明けて春が来る。暁を見ぬ夜はなく、開かぬ扉は何処にもないのだ。避けて通れぬ“遠回り”のようにしか見えない道のりが未熟な時節には耐え難く感ぜられ、迂回が確実な進一歩だと気づくには随分な時間を要するものだ。
そんな機微が心の琴線に響き始めたとき、たましいは成熟の機を迎えるのだろう。
世は、スマホでのSNS全盛の時代だ。そんな渦中、総裁先生は「生長の家ネット俳壇」をスタートしたことをフェイスブック上で紹介されていた。SNSや俳句に共通するのは「言葉」である。言葉は、丁寧に育てれば内部に秘めた無限のポテンシャルを開花させるが、それは不毛の大地に咲くのではない、そこには必ず豊かな土壌があり、種を蒔く人、見守り育てる人、そして果実を稔らせる舞台があるのだ。
いわばネット俳壇は、現代の叡智の道場であり、「季語」を介して研鑽し新価値を生む自然と人間との“ムスビの場”でもある。
七月のお題は「夏休」と「夕立」という身近で懐かしい季語が兼題として挙げられた。これを皮切りに、リアルな普及誌の俳句コーナーとコラボして、「言葉の創化力を駆使した」日時計主義の新たな運動が展開するだろう。
コトバのチカラは俳句を創るだけにとどまらない。どん詰まりだった人生を好転させ、不毛にしか見えなかった境涯に大光明をもたらし、たましいの底に眠っていた仏性の種子、すなわち如意宝珠(いのちのチカラ)を縦横無尽に開花させるのだ。季語のことだまを豊かに生かす俳句が、神想観の補助行となる由縁がここにある。
ネット俳壇も普及誌もすべてはあなたのために準備された「神の子・人間」を研鑽する舞台にほかならない。投稿のため、珠を磨きあげるように作られた俳句は、あなたの人生を如意自在に光明化する宝珠となって結実するだろう。
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