“神の子・人間”への脱皮
生長の家総裁・谷口雅宣先生は「新年のあいさつ」で、「今年は心の中で『不安』を飼い育てて、『敵』を作ることをやめましょう」(『生長の家』1月号)とお示しくださった。
心に生じた「不安」は、真理の光で照らせば消えていく。しかしそれを放置すれば、心は「空白」に耐えきれず、同類の仲間たちを掻き集めて隙間を糊塗(こと)するだろう。
たとえば『生命の實相』「光明篇」、第四章の冒頭には、「すべての心の不安、恐怖、憂鬱(ゆううつ)、取越し苦労と云うような精神的な苦痛は勿論(もちろん)、現実の病気災難というものも、吾々が神から離れることによって起こるのであります」と説かれている。
つまり「不安」は、「神から離れること」によって生ずるのだ。逆に「神との一体感」が深まることで、不安が安心に、恐怖が深い慈悲に、憂鬱が悦びに、取越苦労が夢や希望へと一変するだろう。
神との一体感を深める道はただ一つ、それは人間・神の子を生きることに尽きるのだ。これについてみ教えは観行、誦行、愛行の三正行を教えてくださっている。が、今回は、諸先達から私が学ばせていただいたことの一端を紹介したい。
その一つは定期的に『生命の實相』(日本教文社刊)全巻を拝読することである。私の手元にある聖典は、かつて宇治で修行した二十代の時「頭注版」で全巻を読み、再読の折に「愛蔵版」を購入して原典ならではの歴史的仮名遣いを味わった書籍だ。
以来、十年ごとに全巻を最初から熟読玩味することが私の大切な慣習となり魂の巡礼となっている。そして再読する度に新たな境地が開け、内なる生命の実相(久遠を流るるいのち)が蘇り、光の泉が滾々(こんこん)と湧出して家族やご縁ある人を潤している。私はこれを「“生命の實相”体験」と秘かに呼んでいる。
私たちの生活が春夏秋冬という四季の恵みを通して一年が巡るように、日々の暮らしの中で『生命の實相』が紐解かれることで、家族や周りの人びとの様々な自壊作用に対処でき、「心の法則」と「唯神実相」の教えをカギに問題の背後に潜む意味を読み解き、完全円満なる生命の実相を拝ませていただく。このいとなみは観世音菩薩との対話であり、今年の干支である巳(蛇)が“脱皮を繰り返して生長する”のと同じように、肉体人間から神の子・人間への脱皮でもある。
聖典の拝読は、二十代には二十代ならではの発見があり、四十代には四十代の、七十代には七十代の、それぞれの心境に達して初めて読めてくる世界がある。
この巡礼を続けるほどに神と共なる自覚が深まるから、「不安を飼い育て」るような“心の空白”は雲散霧消して、生命の充溢感に満たされるだろう。大切なことは、著者が直接編纂した「日本教文社」版が信頼に足る文献であり、聖典はあなたを着実に「真理の道」へと導くだろう。
年齢を重ねる程に深まる“円熟の時”を豊かに味わい、不朽の真理を後世に伝えていきましょう。


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