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2025年7月28日 (月)

ゆかりの地を訪ねて (2025,8)

 私が小学校のPTAに携わっていた十年ほど前、青梅市の山間部では、通学区域を越えて市内のどこからでも就学できる「小規模特別認定校制度」を採用した小学校があった。これは、過疎化による児童数の減少に抗うと同時に、不登校の児童を救済するための有効な方策だったと思う。

 昨年の八月、鹿児島の姪(小二)を一週間ほど預ったことがある。勉強をみながら話を聴くと、イジメが原因で学校に行けなくなったという。

 イジメは、核家族化や都市化など様々な要因が考えられるが、人間関係が希薄になった隙間に忍び込む深刻な社会問題である。わが家の末っ子が小学生の時に親しかった級友も、わが家が転勤して三年ほど地元を離れていた時、イジメが原因で自死したことが伝えられた。孤独死は、老人に限らず私たち同世代の課題でもある。

 その後、しばらく姪のことを祈っていると、義妹がネットで「離島留学」という制度を見つけてきた。これは、過疎や少子化の問題を抱える離島などで、小・中学生や高校生を募集して、留学生として受け入れる制度のことで、彼女の母や祖父母の故郷である種子島でも実施していることが分かった。しかも親子で移住した場合は、住宅も無償で提供されるらしい。

 シングルマザーだった義妹は“娘のためならば”と、意を決して仕事を辞め、四月からの離島留学に踏み切った。

 島での彼女たちの新生活は、家族LINEを通してわが家にも配信された。

 わずか全校生徒二十数人の学校では、ほぼ個別指導のように授業が進められ、先生とのマンツーマンに近い授業では落ちこぼれるのも難しそうだ。大自然に抱かれて日が暮れるまで海で泳ぎ、地元の方たちの指導で剣道の稽古に励み「給食が美味しい」と目を輝かせて語る姪は、すっかり日焼けして、島で過ごす日々と共に逞しく成長している。

 七月中旬、私が参加予定だった行事が流れて三日間の余白ができた。家内の発案で、車椅子生活の義母を連れて、彼女の古里である種子島に墓参するプランが生まれた。義母にとっては数十年ぶりの帰郷である。この朗報に義妹も姪も大喜びだった。

 島に着き、海岸に出ると、黒潮に乗って流れ着いた椰子の実が転がり、澄んだ海にアジア各国からの漂着物も散在して、この島が鉄砲伝来をはじめ文明と歴史の要衝にあったことを思い出した。
 折しも台風が発生して連日雨天の予報だったが、私たちが目的地で車を停める度に雨が上がり、夜間は豪雨となるなど、ご先祖の御霊に導かれて日々を過ごした。

 義母も幼馴染みたちとの再会を果たし、かつて両親と住んでいたという場所も訪ね、遙かな過去に思いを馳せた。
 皆さんもこの夏、これまで足を運ぶ機会のなかった、ゆかりの地を訪ねてみてはいかがだろうか。故人の掛け替えのない思い出と共に、内なる聖地が鮮やかに蘇ることだろう。

 

 

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2025年7月 5日 (土)

“聖なる使命”について (2025,7)

「人間は神の子である」というのが生長の家の教えだ。

 この言葉は、私たち人間が担った“聖なる使命”を伝えている。それは、到達するための目標ではなくて、はじめから“神の子”なるものが、この世に誕生して今あなたとなって生きている、という宣言なのである。

 わが家の“実家仕舞い”のことを前回紹介したが、同様に現代は“墓じまい”も他人事で済ますことのできない社会的な問題だ。地方出身で、ご縁あって都会で家を持つようになった方や、田舎のお墓の世話が困難になった方などがこのテーマに直面している。

 長らく故郷を離れて暮らしていた方はご経験あると思うが、生まれ育った郷里も、半世紀の歳月が経てば人や建物がすっかり変わり、もはや誰も知る人のない浦島太郎状態となる。

 一方、目に見えない霊界の方は浮世よりずっと緩慢で、しかも時の経過とともに緻密で鋭敏な連絡網が構築され、打てば響くように私たちが振り向くことを待っているようだ。

 わが家も“実家仕舞い”とセットになって墓じまいの問題が巡ってきた。これを塩漬けにしていたのでは、子や孫の世代に難題を押しつけることにもなりかねない。墓のあった菩提寺は数年前に失火で焼失し、現在は更地になっていた。こんな見通しの立たない、暗中模索の時こそ生長の家の出番と思い、日々の神想観の折りに実家の処分やお墓のことなど、故郷にまつわる一切を神に全托して、諸般の導きを亡父にも請うていたのである。

 先ず実家の売却は、導かれたように買い手が決まった。その家を明け渡すべく片付けていた五月の連休中、近所にお住まいの方が訪ねてきて、その方を通して、寺院の再建の一切を託された方とご縁をいただき、とんとん拍子に話が進み、墓じまいの目処も立ったのである。

 ここに至る半年ほどの間、実家や会社の土地や事務所の売買に当たって、紙面に書き切れないほどの出会いと機会に次々と恵まれた。

 彼らとのご縁、そして遣り取りを通して、目には見えないが不思議な連絡網と亡き父の導きを体感させていただいたのである。

「天網恢々(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」(老子)という言葉がある。

 これは天地に隈無く張り巡らされた不思議な網のことを表現した言葉だが、多くの辞書は、これを因果応報的な天罰の視点から解釈する。しかし生長の家の「日時計主義」では、そのような解釈はとらないで、「天網」を宇宙に満ちる観世音菩薩の救いの御手として拝むのである。

 それは、私たちのどんな憂いも苦悩も悲しみも受容して、すべてを救い給う仏の慈悲喜捨の働きである。

 生長の家が、宇宙に充ちる仏(神)の天網(てんもう)とひとつになって「四無量心を行ずる神想観」を実修させていただくのは、すべての人間が生まれながらにして持つ“聖なる使命”が豊かに地上に顕現して、多くの人の苦しみを除き、楽を与えるためなのである。

 

 

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