ゆかりの地を訪ねて (2025,8)
私が小学校のPTAに携わっていた十年ほど前、青梅市の山間部では、通学区域を越えて市内のどこからでも就学できる「小規模特別認定校制度」を採用した小学校があった。これは、過疎化による児童数の減少に抗うと同時に、不登校の児童を救済するための有効な方策だったと思う。
昨年の八月、鹿児島の姪(小二)を一週間ほど預ったことがある。勉強をみながら話を聴くと、イジメが原因で学校に行けなくなったという。
イジメは、核家族化や都市化など様々な要因が考えられるが、人間関係が希薄になった隙間に忍び込む深刻な社会問題である。わが家の末っ子が小学生の時に親しかった級友も、わが家が転勤して三年ほど地元を離れていた時、イジメが原因で自死したことが伝えられた。孤独死は、老人に限らず私たち同世代の課題でもある。
その後、しばらく姪のことを祈っていると、義妹がネットで「離島留学」という制度を見つけてきた。これは、過疎や少子化の問題を抱える離島などで、小・中学生や高校生を募集して、留学生として受け入れる制度のことで、彼女の母や祖父母の故郷である種子島でも実施していることが分かった。しかも親子で移住した場合は、住宅も無償で提供されるらしい。
シングルマザーだった義妹は“娘のためならば”と、意を決して仕事を辞め、四月からの離島留学に踏み切った。
島での彼女たちの新生活は、家族LINEを通してわが家にも配信された。
わずか全校生徒二十数人の学校では、ほぼ個別指導のように授業が進められ、先生とのマンツーマンに近い授業では落ちこぼれるのも難しそうだ。大自然に抱かれて日が暮れるまで海で泳ぎ、地元の方たちの指導で剣道の稽古に励み「給食が美味しい」と目を輝かせて語る姪は、すっかり日焼けして、島で過ごす日々と共に逞しく成長している。
七月中旬、私が参加予定だった行事が流れて三日間の余白ができた。家内の発案で、車椅子生活の義母を連れて、彼女の古里である種子島に墓参するプランが生まれた。義母にとっては数十年ぶりの帰郷である。この朗報に義妹も姪も大喜びだった。
島に着き、海岸に出ると、黒潮に乗って流れ着いた椰子の実が転がり、澄んだ海にアジア各国からの漂着物も散在して、この島が鉄砲伝来をはじめ文明と歴史の要衝にあったことを思い出した。
折しも台風が発生して連日雨天の予報だったが、私たちが目的地で車を停める度に雨が上がり、夜間は豪雨となるなど、ご先祖の御霊に導かれて日々を過ごした。
義母も幼馴染みたちとの再会を果たし、かつて両親と住んでいたという場所も訪ね、遙かな過去に思いを馳せた。
皆さんもこの夏、これまで足を運ぶ機会のなかった、ゆかりの地を訪ねてみてはいかがだろうか。故人の掛け替えのない思い出と共に、内なる聖地が鮮やかに蘇ることだろう。


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