伝道員について (2025,10)
八月下旬のある朝、右腕にチカラが入らないことに気がついた。洗面所で顔を洗うのも歯を磨くのも箸を持つのもままならなかったが、神想観だけは左手を添えて実修できた。
数日ほど様子を見たが回復は遅々たるもので、家内から「きっと四十肩だから整骨院に行ったら」と勧められた。
この歳になって四十肩もあるまいと思ったが、予約を入れてくれたので足を運んでみると、電気治療の痛さと違和感に辟易(へきえき)してそれきりとなった。
生長の家では、すべての病や艱難(かんなん)は、過去の無明(まよい)が消えるための“自壊作用”と教えていただいている。症状を素直に受け容れて天地のすべてに感謝して神想観を実修していると、いろいろな事に気付かせていただいた。
たとえ右手が使えなくても、左手を添えれば食事も歯磨きも着替えも生活万般こなせるではないか。“周りと協力し合う”ことで“ムスビの働き”が動き始めるのだ。
そんな発見と感謝の日々を送っていたら、神癒(metaphysical healing)が働いたのだろう、二週間ほどで回復した。
先般、国際本部から「伝道員規定」の改正についての通達が届いた。
「伝道員」とは、近年の生長の家の運動ではなじみのない言葉だが、東京第二教区の白鳩会幹部の方が、「五十年ほど前に母が『伝道員』の任命書を頂いたのを実家で見たことがある」と語っていたから、かつて人類光明化運動の歴史の中で重要な役割を担っていたと思われる。
なぜ今「伝道員規定」が改正されたのか。それは「“質”を重視した運動」へと移行したことが関係している。現在の講師試験が“狭き門”となっていることは皆さんもご存知のことだろう。そのような状況でも、次世代の講師や幹部を育て、み教えを継承していかなければならない。
地方講師に合格すれば誌友会などで「講話」の担当はできるが、生長の家の信仰を深く培(つちか)うためには、講話以前に修得しておきたい大切なこともあるのだ。
それは、生活の中で神想観、聖典・聖経読誦、愛行の「三正行」を実修することである。特に「神想観」は、傍(はた)からは何もしていないように見えるが、これを毎日実修することで、たましいの“質”が培われ、自身や周りの人を導くチカラが養われるのだ。
「伝道員」はこの“質”を育てる大切な時期と私は見ている。ここを疎(おろそ)かにして次に進んでいては、「神の子無限力」や「無限供給」の言葉も、ただの目標やスローガンで終わり、本ものの“おかげ”や”功徳”と出合うことはできない。
「真理は汝を自由ならしめん」というイエスのコトバがある。「汝」というのは肉体人間のことではない。私たちの内なる神の子、すなわち「実相」のことである。お陰信仰に留まっていては肉体人間の境涯を卒業することができない。しかし、三正行を続けることで、人生の随所で、神(宇宙大生命)に導かれて、真の自由(無礙自在、無限供給)を体認して神の子・人間の境涯に入るのである。
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