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2025年11月26日 (水)

サクラマス (2025,12)

 生長の家では、三年に一度の役員改選と各組織の編成が行われ、最適な方々が就任されたことに感謝している。

 自ら率先してご使命を拝命された方、周りの空気に押されて受けられた方、さまざまな理由が背後にあると思う。このような時節にいつも心に蘇るのは「吾れ神を選びしに非ず、神吾を選び給いしなり」という言葉である。

 この言葉を初めて耳にしたのは宇治別格本山での「伝道練成会」だった。ご指導くださっていた楠本加美野総務が伝道に赴く皆さんに語っていたのである。私も職員研修の一環として、練成会員と一緒に近隣の伝道に回らせていただいたが、先の言葉を、静かに心で反芻(はんすう)していると、これまで自分の意思で選択して入信した生長の家だと思っていた考えがグラグラと崩れ、すべては神さまのお計らいとお導きの中で生かされて今ここに居たのか、という深い感慨が湧いてきたのである。

 自分が選んだのではなかった、神に選ばれていたからこそ生長の家にご縁を頂き、み教えと出合うことができた。そのことの発見は、私たちがこの世界に生まれてきた理由についても豊かな意味を告げているように思われた。“神吾を選び給う”とは、神さまからの召命を受けていればこそ、今ここに存在している、という事でもあるのだ。

 この言葉と出合っていなかったら、生長の家の往相(おうそう)精進という求道の道を往くこともなかったかもしれないし、慣れ親しんだ宇治別格本山から、未知で知り合いのいない国際本部に転籍することもなかったかもしれない。運命とは不思議なものだ。

 ちょうどその頃、NHK特集で渓流域の自然観察についての映像を放送していた。それはサクラマスの生態だったと記憶しているが、サクラマスの幼体はヤマメである。山深い谷から下って広い海洋を巡り、遙かな旅を経て故郷の川に遡上して“いのちのバトン”を渡すために産卵するのであるが、その最後の場面で、興味深い光景が繰り広げられていたのだ。

 それは大きなサクラマスが受精する際の縄張り争いに、小さなヤマメも参加していたのである。同年齢なのに体格差は数倍以上あり、ヤマメは弾き飛ばされていたのだが、それは谷を下って旅に出ることのなかった貧弱なままの“たましいの姿”を、何者からか見せつけられている思いがした。

 先週二日ほど高熱にうなされ、こんこんと眠りつつ意識が時空を旅したせいで回想的なコラムとなったが、ともあれ新たにお役を拝命された皆さん、そして会員としてみ教えにご縁を頂いた皆さん、いったん立ち止まって静かに先の言葉を見つめていただければと思う。「吾れ神を選びしに非ず、神吾を選び給いしなり」と。

 私がテレビで見たサクラマスの姿は、彼が旅の途上で出逢った豊かなご縁と、そこから生まれた数多(あまた)の悦びの象徴だったのである。それは使命を生きて人生の波濤(はとう)を自在に遊泳するに至った、生長したたましいの姿を現していたのである。

 

 

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