「包容主義」に学ぶ (2026.02)
コロナ禍後、生長の家東京第一教区と第二教区の教化部長を拝命して三年目を迎えた。
この度、生長の家本部練成道場主管(代表役員)を拝命させていただくことになった。主管というお役は三好雅則講師が2024年までご担当されていたが、急逝されたことから菅原孝文講師が同年に受け継ぎ、先秋の11月から久都間にバトンが渡され兼務となった次第だ。
手始めに元旦の講話を担当させていただいた。有り難いことに、関東圏外からも年末年始を利用して真理研鑽に訪れた参加者もいて、私は、皆さんの内に宿る「無限供給の世界」を開くことを目的に『真理の吟唱』を紐解きながら、「新生」「繁栄」「恵み」などをキーワードにお話させていただいた。
今後の指導予定は、4月から毎月上旬に開催される「短期練成会」と、中旬に開催される「神の子を行ずる練成会」で、短期練成は金曜日の午後から、神の子練成は土曜日の午後から、それぞれ神想観の実修そして講話と質疑応答と、合わせて2時間ほどのプランを考えている。
さて、総裁谷口雅宣先生の新年のメッセージは「包容主義の勧め」だった。生長の家では立教以来「日時計主義」を提唱しているが、今般お勧めいただいた「包容主義」は古くて新しい考え方である。
たとえば『万教包容の神示』には、「生命の実相の教えが最も鮮かに顕れたところ」が「世界の中心である」と説かれている。現代は人や物や思想が国際的に交わる情報化社会が出現しているが、そんな状況の中、ある種の人々は「中心」を形の世界(現象)において、自己の属する国や団体だけを優先する利己的なナショナリズムが蔓延しつつある。これは、生長の家の「人間・神の子」の教えからは遙かに遠い思想である。
「包容主義」は、私たちの無意識が如何に世論やイデオロギーに付和雷同しやすいかを顧みる良い機会となる。偏見や先入観は、すべて「現象」を見て生じた偏面的な見方であり、実相を捉えていない。
み教えは「人間は神の子であり現象は心のカゲである」と教えている。私たちが偏見から自由になるに従って、無意識の縛りから解放され、無礙自在な「神の子・人間」の世界が開けてくるのだ。
包容主義を応用した「オープンダイアローグ」という精神医療が、重い心の病を癒やすグループワークとして同分野で注目を集めている。カギとなるのが「受け容れる」という考え方である。似た表現の「受け入れる」との違いは、後者が堪えたり我慢して「他」との同化に努めるのに対して、前者は「他」と見えるものをいったん(括弧)で括り留保して、そのまま受け「容れる」のである。
その不安定な状態に耐え、静かに状況を見護り心の耳を澄ませていれば、排斥していた時には見えなかった対象の多様な側面、それは深い悲しみや苦悩、美点や奥行きなどがそのままの姿を現し、入り組んだ問題を解きほぐす道が開けてくるのだ。「包容主義」は、私たちを観世音菩薩の境涯へと導く大切な指標となるのである。


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