「“神の子”は性別によらず」を読む (2024,10)
国際本部から一冊の小冊子『“神の子”は性別によらず ~生長の家白鳩会会則改正に伴うジェンダー関連問答集~』が刊行された。同書は、生長の家における「ジェンダー平等」と「性自認」の考え方について、最新の知見を交えてまとめたものだ。
ジェンダーとは社会的・文化的につくられた性差のことで、これらの考え方は生長の家の運動のみならず、生活のあらゆる方面で倫理的な判断をしていく際の基礎となるだろう。信徒の皆さんはぜひ熟読していただき、男女の「固定的役割分担論」の問題点などを吟味してほしい。
今回の冊子に関連したエピソードとして、谷口雅春先生が著わした『無門關解釋(むもんかんかいしゃく)』の第十七則に「國師三喚(こくしさんかん)」という公案がある。そこで先生は、戦前の濃厚な男尊女卑の空気の中で、生長の家の二代目の婦人部長をつとめていた宮信子さんの事例を通して“中心帰一”の深い意味を伝えている。
生長の家の幹部だった宮さんが、良人(おっと)にみ教えを勧めても、なかなか受け入れて貰えず残念に思っていたとき、良人のことを「まだ修養の余地のある不完全者である」と、不如意な現象ばかり見ていた自分に気が付いた。
そこで、良人の実相のみを観て拝み、み教えを「身体に行ずる」ようにされたところ、家庭に実相が顕れたエピソードを紹介している。
同書で谷口雅春先生は、宮さんが「良人を自由に動かし得なかった心境と、自由に動かし得るようになった心境とを比較して参究して見らるると得る処が多いであろう」(一四八頁)と述べている。が、我が家でも、長年の家庭生活が事なきを得たのも、この“行間”を夫婦ともに「参究」させていただいたおかげである。ぜひ原本をご参照いただきたい。
また『維摩經解釋(ゆいまきょうかいしゃく)』には、女人成仏の問題をめぐって、天女と舎利弗(しゃりほつ)との問答がある。そこで雅春先生は、天女に人間・神の子の真意を語らせている。
「人間は『神の子』であるということは、男でもなく女でもないということである。『神は男であるか、女であるか』というと、男でもなく、女でもない。従って神の自己顕現であるところの人間の実相は男でもなく女でもない」(同書三三〇頁)。
男と女という区分は現象にすぎないのだ。人間は悉(ことごと)く仏であり神の子であるという「自性円満」の真理が、問答の中から浮き彫りになる。
総裁、谷口雅宣先生は、一九九九年に刊行した『ちょっと私的に考える』の「半身半疑」の中で、生長の家で説かれてきた「魂の半身」という言葉をめぐって深い洞察を述べている。
「『魂の半身』という言葉は、それだけを取り出して考えるのではなく、生長の家の『人間の本質は神の子』という教義との関係の中で理解されなくてはならない。つまり、『人間は一人一人が神のように完全な存在である』という教えと並べて考えてみる必要がある」(同書一九四頁)。
さて、この度の小冊子『“神の子”は性別によらず』は、これらジェンダー問題を考えるための生長の家の新たな指針であり、次世代に「人間・神の子」の教えを伝えていくための“無の門関”ともなるだろう。
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