2024年9月26日 (木)

「“神の子”は性別によらず」を読む (2024,10)

 国際本部から一冊の小冊子『“神の子”は性別によらず ~生長の家白鳩会会則改正に伴うジェンダー関連問答集~』が刊行された。同書は、生長の家における「ジェンダー平等」と「性自認」の考え方について、最新の知見を交えてまとめたものだ。

 ジェンダーとは社会的・文化的につくられた性差のことで、これらの考え方は生長の家の運動のみならず、生活のあらゆる方面で倫理的な判断をしていく際の基礎となるだろう。信徒の皆さんはぜひ熟読していただき、男女の「固定的役割分担論」の問題点などを吟味してほしい。

 今回の冊子に関連したエピソードとして、谷口雅春先生が著わした『無門關解釋(むもんかんかいしゃく)』の第十七則に「國師三喚(こくしさんかん)」という公案がある。そこで先生は、戦前の濃厚な男尊女卑の空気の中で、生長の家の二代目の婦人部長をつとめていた宮信子さんの事例を通して“中心帰一”の深い意味を伝えている。

 生長の家の幹部だった宮さんが、良人(おっと)にみ教えを勧めても、なかなか受け入れて貰えず残念に思っていたとき、良人のことを「まだ修養の余地のある不完全者である」と、不如意な現象ばかり見ていた自分に気が付いた。

 そこで、良人の実相のみを観て拝み、み教えを「身体に行ずる」ようにされたところ、家庭に実相が顕れたエピソードを紹介している。

 同書で谷口雅春先生は、宮さんが「良人を自由に動かし得なかった心境と、自由に動かし得るようになった心境とを比較して参究して見らるると得る処が多いであろう」(一四八頁)と述べている。が、我が家でも、長年の家庭生活が事なきを得たのも、この“行間”を夫婦ともに「参究」させていただいたおかげである。ぜひ原本をご参照いただきたい。

 また『維摩經解釋(ゆいまきょうかいしゃく)』には、女人成仏の問題をめぐって、天女と舎利弗(しゃりほつ)との問答がある。そこで雅春先生は、天女に人間・神の子の真意を語らせている。

「人間は『神の子』であるということは、男でもなく女でもないということである。『神は男であるか、女であるか』というと、男でもなく、女でもない。従って神の自己顕現であるところの人間の実相は男でもなく女でもない」(同書三三〇頁)。

 男と女という区分は現象にすぎないのだ。人間は悉(ことごと)く仏であり神の子であるという「自性円満」の真理が、問答の中から浮き彫りになる。


 総裁、谷口雅宣先生は、一九九九年に刊行した『ちょっと私的に考える』の「半身半疑」の中で、生長の家で説かれてきた「魂の半身」という言葉をめぐって深い洞察を述べている。

「『魂の半身』という言葉は、それだけを取り出して考えるのではなく、生長の家の『人間の本質は神の子』という教義との関係の中で理解されなくてはならない。つまり、『人間は一人一人が神のように完全な存在である』という教えと並べて考えてみる必要がある」(同書一九四頁)。

 さて、この度の小冊子『“神の子”は性別によらず』は、これらジェンダー問題を考えるための生長の家の新たな指針であり、次世代に「人間・神の子」の教えを伝えていくための“無の門関”ともなるだろう。

 

 

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2024年8月25日 (日)

時節は今ここに (2024,9)

 恩師の一人である藤原敏之先生のことを、折に触れて思い出すことがある。

 私が静岡で生長の家青年会活動をしていた昭和五十年代、宇治別格本山で総務をされていた藤原先生は、日本教文社から『すべてを癒やす道』『あなたは必ず救われる』『魂のめぐり逢い』などのご著書を、次々と執筆して出版されていた。

 多くの人が藤原先生のご本を通して、み教えの“奥深さ”に触れ、その信仰的な気風を慕い、親しかった先輩たちも「いざとなったら宇治へ」と、身近な信仰の拠り所にしていた。

 私が宇治の門を叩いたのは、そんな昭和五十七年一月の一般練成会だった。前年に研修生の制度が改められ、本部から宇治に転勤していた榎本恵吾先生が指導に当たっていた。

 道元禅師は「時節」という言葉を『正法眼蔵』で用いているが、生涯を変えるような人との出逢いや、人生の転機となる出来事が始まるときなど、この時節が運命の扉を叩き、潮が満ちるように、そこから新たな物語が人生の舞台に溢れてくる。そんな時節があればこそ、私たちは苦海とも見える人生の波濤(はとう)を渡っていけるのだろう。

 藤原先生の場合は、大正末から昭和にかけてこの時節が訪れた。仏教の熱心な信仰者で、社会の底辺で貧民救済に当たっていた清水精一という方に師事したことが、ご著書『魂のめぐり逢い』に記されている。

 かつて清水師は、大学で学んだ後に実業界に入ったが、利潤ばかり追求する経営陣と経営方針を巡って激しい対立を繰り返し、失望して仏門へ。

 比叡山での厳しい修行を経て、さらに深く道を究めるため寺を出て、単身で深山幽谷に分け入り、水と松葉などを糧として修行に励んでいると、猿たちが柿や栗を運び、野生の狼が子犬のように戯れ、争いの絶えぬ人間社会では思いも及ばなかった、生かし合いの世界が、清水師の周りに現れたという。

 藤原先生は、そんな師匠が主催する同朋園で奉仕活動に明け暮れていた折り、一人の女性と出逢う。

 清水師から、結婚するなら家族を養うため園を出て職に就くことを勧められ、師の下を辞した藤原先生は、紆余曲折を経て広島で日本生命に奉職。市内での平穏な暮らしも束の間、三十六歳で戦争に招集され、そのお陰で、疎開した家族は原爆の惨禍から逃れることができた。

 敗戦直後、先生は生長の家の光明思想と出合う。真っ暗だった世界観が一変し、神一元の教えを行じていると、病弱だった妻と娘から次々と難病が消えた。

 地方講師を拝命し、勤めの傍ら、赴任する先々で生長の家を説き始めたという。

 宇治練成で指導に当たっている榎本一子講師(長女)によると、藤原先生にとって生長の家との出会いは決定的だったようだ。

 清水精一という、修行も悟りも社会奉仕も抜群だった師匠に見いだせなかった信仰、それは知識でも経験でも精進努力の量でもなく、「自性円満」の教えが放つ唯神実相の光だった。

 その光は、自我を死に切ったとき、無条件の生かす力となって、すべての人の内に湧出するのである。

 

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2024年7月18日 (木)

俳句と如意宝珠  (2024,8)

 誰でも無料で食事ができる「生長の家オープン食堂」が東京でスタートして二年目に入った。

 新大塚駅にある東京第一教化部、そして西国分寺駅近くの東京第二教化部、それぞれ立地も顔ぶれもメニューもまったく異なるが、運営に当たるメンバー一人ひとりのアイディアが豊かに開花して、多様な果実を実らせている。

「機が熟す」という言葉がある。たとえば、これまで押しても引いてもどうにも動かなかったものが、何かを契機にすらすらと動き始めるときに使われる場合が多い。そんな時は、まるで憑きものが落ちたように速やかに事が運ぶものだが、そこに至るまでには産みの苦しみにも似た困難や、すべてを放り出したくなるような事態を経て、もうだめかと諦めかけたとき、夜明けの燭光がちらちらと見え始め、これまでの歩みが大道へと通じていたことが判明する。

 み教えを通して子育てや育成をご経験された方は、すでに身に染みていらっしゃることだろう。

 長いように見えた冬も、やがて必ず明けて春が来る。暁を見ぬ夜はなく、開かぬ扉は何処にもないのだ。避けて通れぬ“遠回り”のようにしか見えない道のりが未熟な時節には耐え難く感ぜられ、迂回が確実な進一歩だと気づくには随分な時間を要するものだ。

 そんな機微が心の琴線に響き始めたとき、たましいは成熟の機を迎えるのだろう。

 世は、スマホでのSNS全盛の時代だ。そんな渦中、総裁先生は「生長の家ネット俳壇」をスタートしたことをフェイスブック上で紹介されていた。SNSや俳句に共通するのは「言葉」である。言葉は、丁寧に育てれば内部に秘めた無限のポテンシャルを開花させるが、それは不毛の大地に咲くのではない、そこには必ず豊かな土壌があり、種を蒔く人、見守り育てる人、そして果実を稔らせる舞台があるのだ。

 いわばネット俳壇は、現代の叡智の道場であり、「季語」を介して研鑽し新価値を生む自然と人間との“ムスビの場”でもある。

 七月のお題は「夏休」と「夕立」という身近で懐かしい季語が兼題として挙げられた。これを皮切りに、リアルな普及誌の俳句コーナーとコラボして、「言葉の創化力を駆使した」日時計主義の新たな運動が展開するだろう。

 コトバのチカラは俳句を創るだけにとどまらない。どん詰まりだった人生を好転させ、不毛にしか見えなかった境涯に大光明をもたらし、たましいの底に眠っていた仏性の種子、すなわち如意宝珠(いのちのチカラ)を縦横無尽に開花させるのだ。季語のことだまを豊かに生かす俳句が、神想観の補助行となる由縁がここにある。

 ネット俳壇も普及誌もすべてはあなたのために準備された「神の子・人間」を研鑽する舞台にほかならない。投稿のため、珠を磨きあげるように作られた俳句は、あなたの人生を如意自在に光明化する宝珠となって結実するだろう。

 

 

 

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2024年6月25日 (火)

托されたご使命は? (2024,7)

 昨年から、都内の各地で講演会などの諸行事を開催して一年が過ぎた。

 ある会場での質疑応答で、意外なご質問をいただいた。それは「教化部長が家庭で経験してきた夫婦調和の体験について(どう乗り越えたのかその方法を)お話いただきたい」といった意味のお尋ねだった。

 私は「来月、妻が教化部で講話しますから、それとなく訊いてください」とお答えしたのであるが、谷口雅春先生は米国でのある講演会で、病気治しの方法についてのお尋ねに、「no method」とお答えになったという。つまり病気を治すのに「特別な方法などない」というのだ。

 これは夫婦調和の方法についても同様であろう。「方法」は幾らでも語れるかもしれないが、変えなければならないのは「方法」ではなく、隣人や私たちを取り巻く世界を、どう観るか、ということである。

 観世音菩薩は「夫となり妻となり、或いは兄弟姉妹となり小姑ともなり(中略)下役とも同僚ともなりて、常に何かを語り給う」(観世音菩薩を称うる祈り)と、教えていただいている。

 つまり対境は、映し鏡のように私たちのたましいの姿が、そこに見事に現れるのである。しかもそれは、私たちを救い給う仏の「大慈悲である」とまで説かれている。

 生長の家が「天地一切のものに感謝せよ」と説くのは、天地一切のものは神と神の現れであり、人間も、山も川も草も木も、神から出た荘厳な光りであるからである。

 一方「神」の側から見れば、神の光りである天地一切のものは、無条件に神に愛され、生かされ、祝福されていればこそ存在しているのである。

 神が造り給うた実相の世界では、すべてが円満具足し、無条件に生かされていて、そこには駆け引きもなければ、調和するための「方法」などなく、ただそのまま拝み合う感謝の世界だけがあるのだ。


 これも同じ会場で頂いたご質問だが、ある誌友の方が、20年以上も前に録音した私の師匠と思われる方の講話テープを聞いていたそうだ。すると『甘露の法雨』の一説、「罪を犯さんと欲するも罪を犯すこと能わず」「病に罹らんと欲するも病に罹ること能わず」を引用され、次に何か語り始めたところでテープが切れた。続きはどうなったのか、ずっと気になって仕方がない、ぜひお話いただきたい、という。

 さすがは師匠、聴者の心に大疑団が生ずれば、その講話の目的は達したようなものである。が、老婆心豊かな私は次のようにお答えした。

 私たちの実相は「自性円満」である。そのまま円満完全な光りである。罪が近づけば罪が成就して人を導く豊かな智慧が光りを放ち、病が近づけば、やがて必ず健康へと転じて人を癒やす働きとなる。

 だから罪から救われた人、病が癒やされた人、経済や愛憎問題が解決した人、それぞれに神(宇宙大生命)から托されたご使命があるのだ。それが生長の家の“聖使命”である。

 はて、あなたが托されたご使命は、なんでしょうか?

 

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2024年5月26日 (日)

三好講師からの助言 (2024,6)

 西行法師は「願はくは花の下にて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ」と歌ったが、古歌をたどるように一人の先達が先般霊界へと旅立った。

 かつて東京第一教区でも教化部長を務められ、本部練成道場と富士河口湖練成道場の主管だった三好雅則講師のことは、『いのちの環』の「悠々味読」連載や、ビデオ講話などでその人柄に接した方も多いと思う。私も、折に触れてご縁をいただいた一人だが、思い出を辿りながら追悼の言葉としたい。


 私は二度ほど、生長の家教修会の発表講師として登壇したことがあった。最初は2004年、万教帰一の考え方に似た「宗教多元主義」というキリスト教神学ついて、世界の宗教や心理学などを織り込んで論文を書かせていただいたが、ある程度原稿がまとまった折、当時の上司だった三好講師に助言を頂くためご覧にいれると、ゆっくり全体に眼を通された後に、ひらめくままに参考文献などを示唆してくださった。

 それは、真理の森を逍遥してきた碩学ならではのアドバイスで、多くの添削者がやるような土足で侵入して文章を切り刻むようなものとは全く異なり、拙い表現の奥にあるアイディアを尊重して、言葉の自然な成熟を見護るような優しいスタンスだった。

 次に発表の機会を得たのは2013年“森の中のオフィス”の落成を記念しての国際教修会だった。三好講師とは部署も変わり、直接ご指導をいただくことはなかったが、私が発表を終えた後の食卓で正面にお座りになり、私が論文に密かに組み込んだ発見をまっすぐに受け止めていて、感慨深く感想を語ってくださっていたことを、昨日のことのように思い出すのである。

 思えば、本部の広報・編集部で初めてご縁をいただいて以来、私の中で三好講師は一人の大切な想定読者となり、私の綴る言葉の真価を確かめる試金石の役割を担ってくださっていたように思うのである。

 2016年、私が八ヶ岳の国際本部から、東京第二教区に教化部長として赴任する折のこと。当時、運動推進部長をされていた三好講師から、ある助言をいただいた。「教化部長になったら『「正法眼蔵」を読む』を、信徒の皆さんに講義したらいいですよ。私も大変に勉強になりましたから」。なんの疑いもなく、素直に「ハイ」と引き受けて以来、東京第二教区、そして兼務となった埼玉教区と群馬教区で計六年ほど、毎月欠かさず講話をさせていただいた。

 講師の皆さんはご存じのように、唯神実相の哲学を「読む」ことと「講義」することの間には、天地の開きがある。

  その広大な空隙には、無尽蔵の発見と、数知れぬ苦悩と、悟りの悦びが満ち溢れ、その体験を語ることで生長の家講師としての使命が生きられ、み教えの“深み”である“久遠を流るるいのち”が後世へと伝えられる。三好講師の助言のおかげで、何よりも私自身が救われたのである。
 
 碩学の大人(うし)を悼む薄暑かな
 百薬(どくだみ)や祐筆の大人(うし)偲ぶ庭

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2024年4月22日 (月)

神と共にありて (2024,5) 

 先般、たまたま家族が集まり、近くの河川敷まで花見に行くことができた。野に出て、咲く花を愛で、蓬(よもぎ)を摘んだ。そんな翌朝のこと、神想観しているとき、ふと「人生で今が最高のときなんだな」ということに気がついた。

 それは、わが家のことだけではない。人と人とが出逢うこと、共に時を過ごすことの掛け替えのなさ、それが独りで迎える一日であったとしても、私たちがいつも神と共に在ることが分かれば、天地のすべてが家族であり、すべての出逢いが最高の時となる。

 人が生きて生活させていただく“あたりまえ”のことのなかに神のいのちが豊かに充ち“奇蹟の時”が、泉のようにあふれ出ているのだ。

「足るを知る」という言葉がある。それは日常の“あたりまえ”と見えていたものが、決してあたりまえに存在していたのではなく、その背後に不思議な神縁と、不可視の世界からの恩寵に包まれていた真実に、心の眼がひらくことを言うのであり、日時計主義の生活がここから始まる。

 幸福を外に求め、条件が満たされることのみに幸せを見いだしている間は永遠にそれに気付くことはできない。

 無一物のまま、すでに一切が与えられている実相に眼を向けて、身近な人や物や出来事に感謝していれば、すべてのものが神に由来した物語りを語り始める。

 イエスは「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出るすべての言葉によって生きる」(マタイ四:四)と語っている。

 コトバは、私たちのたましいの糧であり、人生を創造する力である。コトバほど味わい深いものはなく、それは祈りとなり、音楽となり、絵画や文学などの芸術となり、あらゆる宗教や事業や活動となって世を照らすのである。

 アフガニスタンで命を落とした中村哲氏の遺文『希望の一滴 中村哲、アフガン最期の言葉』を読んだ。同氏のことは以前にも紹介させていただいたが、脳神経科の専門医だった中村医師が、専門外のハンセン病患者の救済のため一九九〇年代からアフガニスタンに妻子を連れて赴き、現地に溶け込んで幾つかの診療所を開設していた。

 そんな渦中、米軍による空爆と、気候変動による渇水に見舞われ、疫病と飢餓に苦しむ同地の窮状を見かねて、現地の人々と共に1600本もの井戸を掘り、65万人のいのちを支える用水路を建設するなど、治水事業に携わった。同書にはそれら生きた記録が、所感としてまとめられている。

 かつて、私たちの身近にあった「天与の恵みを疎(おろそ)かにせず、大地と共に生きる生活」が、ページを繰り、読み進むごとに眼前によみがえり、洋の東西を越えた太古の人々のコトバが、同氏の体験を通して読者のいのちにずしんと響いてくる。

 宗教を越え、国境を越えた人と人との繋がりの中から、私たちに授けられた天与の使命について、いつしか、心の眼がひらかれる。そんな天啓の書でもある。

 

 

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2024年3月25日 (月)

俳句と言葉の力 (2024,4)

 3月のある日、行きつけの文具店に万年筆のインクを買いに行った折、街路に馥郁(ふくいく)とした香りが漂っていた。ほのかなにおいに導かれていくと、そこにはお香の老舗(しにせ)が出店した移動販売があった。

 お香には侘(わ)び寂(さ)びの“抹香臭い”静的なイメージがあったが、街路での積極的な移動販売は新鮮な驚きで、しかも風が強い日にもかかわらず、香りに惹(ひ)かれたお客さんがひっきりなしに訪れ、店員さんがその応対に追われていたのだ。

 聖書には、「人は灯火をともして升(ます)の下におかず灯台の上におく。かくて灯火は家にある凡ての物を照すなり」(マタイ5-15)とあるが、どんな老舗も旧弊(きゅうへい)を捨ててしまえば、街路でも風の日でも良いものは衆目に触れて、隠れていた真価が顕わになるのだ。生長の家オープン食堂も、回を重ねる度にその真価に火が灯り、多くの人々のたましいを明るく照らすだろう。

「神・自然・人間の大調和祈念祭」に参列するため、十年ぶりに原宿「いのちの樹林」に足を運んだ。私は御祭の後でPBSミニイベント「春のスケッチ」を開催する予定で、参加する皆さんにも画材の持参を呼びかけて講話の準備も整えていたのだが、当日の総裁先生のスピーチは、なんと「俳句の勧め」だった!

 人生には、計画していた事とはまったく異なる道へと運命が展開し、そこに不思議な必然性が生ずることがしばしば訪れる。が、今回もそんな展開に見舞われた。

 総裁先生は、「俳句は私たちの信仰と深く結びついている」ことに触れ、「朝顔や つるべとられて もらひ水」など数句を紹介されて、これらの句には神・自然・人間の一体性が見事に描かれており、皆さんに「観行の補助行として俳句を詠(よ)むことをお勧めする」と語っていた。

 このスピーチを受けた私は、「第一回いのちの樹林、句会にようこそ!」と参加者に呼びかけると、原宿の会場はどっと湧いて句会の開催となった。

 総裁先生は、日本列島には一万年以上も人々が生活してきた歴史があり、四季の変化が著しいその風土から生まれた俳句には、五千を越える季語があると紹介されていたが、「季語」には、どうやら深い言霊(ことだま)が満ちていて、それは詠むことで、時を超えて「今・ここ」に蘇るようである。

 かつて学生時代「現代俳句講座」という授業を受講した折、哲学者で俳人の大峯顕(あきら)氏が「言葉は存在の家である」というハイデガーの言葉を紹介され、「花を詠めば花が出てくる。天狗を詠めば天狗が出てくる」と語っていたことが強く印象に残っている。どうもその道の人には、“言葉が世界を創る”ことは周知の事実なのである。

 俳句や和歌などの言葉の結晶を通して古人と出逢い、たましいを磨き鍛錬することは、人生そのものを、如意自在に光りへと変容させる「言葉の創化力」を豊かに覚醒させるようである。季語などの言霊を駆使する俳句を“神想観の助行”とする所以(ゆえん)であろう。

 啓蟄の水面(みなも)に満ちる息吹かな 繁(樹林にて)

 

 

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2024年2月24日 (土)

“絶対善”の世界 (2024,3)

 本欄をご覧になっている皆さんは、生長の家で「人間・神の子」の教えと出逢い、本当の人間は肉体などではなく、「神さまの完全円満ないのちである」との教えに触れて、無限智、無限愛、無限生命の実相に目覚めた方も多かろうと思う。

 これは聖典に採録されていた話だが、生長の家の教えに感銘したあるご婦人が、「自分だけこれを読んでいるのはもったいない」と、夫や家族に勧めてみたが、全く関心を寄せてくれない。

 そこで谷口雅春先生に、「どうしたら読んでもらえるでしょうか?」とお尋ねしたところ、先生は「ご自分の生活で、生長の家を読ませてあげたらいいですよ」という意味のご回答をされていた。

 どんなに「善い」と確信したことでも、その人が“善き果実”を生活に実らせていなければ相手にされないだろう。しかしその生活に、智慧・愛・生命の光りが輝いていれば、黙っていても、誰もが強い関心を寄せ始める。これに和顔、愛語、讃嘆が加われば鬼に金棒だ。

 生長の家の教えは、「日時計主義」の生き方、感謝の生活、そして日々の神想観と教えていただいている。

 これらの「行」の目的は“絶対善”の神のいのちを生きることである。その「行」から、実相の豊穣な世界が動き出し、あなたの神の子の使命に“真理の火”が灯され、出逢うすべての人に物に事に「神のいのち」が花咲き始めるのだ。

 かつて生長の家では、宗教的な運動の成果を表すための目安として、即物的な「数」に運動を換算して評価する時代が続いていた。しかし、宗教的な救いや、癒やし、慈悲や感謝、といった不可視の神の働きは「数」に置き換えようもなく、無量無数に生まれた新価値は“網の目”からこぼれ落ちていたかもしれない。

 これら評価の歪みを改善するために、「聖使命会員数、普及誌購読者数、組織会員数」を成果として強調する運動を廃止したことが、2月5日付の通達で伝えられた。

 これは、昨年スタートしたオープン食堂など「与えること」に宗教上の重要な意義を認め、より神意に叶った運動を展開するための改革である。

 が、改革の背後に密(ひ)そむ神意を深く凝視すれば、「廃止された」のは「数」を成果として強調する運動であって、「神のいのち」である“真理の火”を伝える運動は、この改革の中から、より鮮やかな姿で誌友・信徒の信仰生活に蘇るだろう。そして四無量心の「行」を実践する随所で、純粋な愛行が春を迎えた野山のように花咲き始めるのだ。

「地方の信者たち互いに団結して祈り合え」とは「懺悔の神示」に説かれた言葉である。祈り合いは、私たちの前に顕れた“神のいのち”に感謝し、拝み合い、慈悲喜捨を行ずることである。

 思えば、天地一切のものに神ならざるものはひとつも無いのであり、その「絶対善」の実相は、あなたが生きる随所で智慧となり、渾てを生かす愛となって“新価値”を創造するのである。

 

 

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2024年2月 1日 (木)

観世音菩薩からの警鐘 (2024,2)

 生長の家では「観世音菩薩は、あらゆる姿とあらわれて私たちに救いの説法を宣示したまう」と教えていただいている。

 それは特別な人だけが“説法”を聴けるのではなく、神想観を通して心の耳を澄ましてさえいれば、誰でもそれを聴くことができるのである。
 世界にある真っ当な宗教の「教え」は、その“声なき声”を深く傾聴したところに生まれてきたのであり、そこに各宗教に受け継がれた「行」の実践があり、そこからすべてを生かす愛や智慧が湧出するのである。

 元日に石川県で能登半島地震が発生し、翌二日には羽田空港で、日航機と海上保安庁の航空機が衝突して炎上するという大事故が起きた。

 自然災害と人的災害と原因を異にしているが、何れも観世音菩薩の“声なき声”としてこれを傾聴することから、私たちが取り組まなければならない課題が見えてくるはずである。

 能登半島地震の報道から私が教えられたことは、普段からの①水や食料の備蓄。②近隣の人たちとの心の絆。そして③災害時を想定してのシミュレーションの大切さである。

 例えば、「水や食料の備蓄」は、内閣府のガイドラインでは3日分以上が基本とされている。その根拠は、人命救助のデッドラインが72時間(3日間)であることから、発災した当初の行政は救助・救命を最優先するため、自身や家族を守るためには最低でも3日分の食料を備蓄する必要があるのだ。

 また、関東大震災級の大規模災害を想定した場合は、「一週間分」以上の備蓄が望ましいとされている。

 能登でも、発災後の数日間は行政の支援が行き届かず、電気も水道も止まり困窮に耐えている人たちに、地元の一人の主婦が、ご自宅のガソリンにも事欠く中で「飲料水」を軽トラに積んで明るく配っている姿がニュースで報道されていた。

 自然災害は“想定外”なことばかり山積すると思われるが、近隣の人との「心の絆」の大切さが浮き彫りになる光景だった。

 神仏に導かれて生きる信仰者には、随所で一隅を照らすことが求められるだろう。大切なのは、どんなに悲惨と見える状況の渦中にあっても、そこに一縷(る)の光明を見出して新価値を湧出させる智慧と、艱難を光明へと転ずる逞(たくま)しい力である。

 もし自身が、発災後に難を免れていたのであれば、周りやご縁ある人との絆を築いておけば、機に応じて縦横にお役に立てるのである。

 神想観とは神との対話でもある。朝夕の祈りの時間にどんなことでも神に委(ゆだ)ねていれば、ヒラメキや、直感や、ふとした行為となって日々導かれるのだ。

 それは自我(ego)中心の意識が、神の子・人間へと次第に目覚めて生長する過程でもある。

 その“祈り”を通して経験する心の深い振幅が、やがて魂を豊かに円熟させ、被災時に限らず人生の随所で家族やご縁ある人々を導くのである。

 

 

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2023年12月28日 (木)

祈りの時間 (2024,1)

 私が神想観の修行を始めたころ、といっても四十年も前のことだが、祈りは、懐かしい音楽を聴くのに似ていることに気がついた。

 それは、「世界平和の祈り」をしているときだったが、ひび割れた地表に降り注ぐ春の雨のように、魂を静かに潤す調べを、私は朝に夕に聴き続けていたのだ。

 その温かく柔かな光りに、ぽっかりと開いた魂の傷が包まれ、今にして思えば、それは観世音菩薩の慈悲に触れていたのである。

 四無量心を行ずる神想観の中に「一切衆生の苦しみを除き、悩みを和らげ」という言葉がある。

 ある講演での質疑応答で、この祈りの言葉について参加者から、「なぜ“苦しみは除き”なのに、悩みの方は消されずに“和らげ”なのでしょうか」と尋ねられたことがあった。これは、そのまま「神はなぜ、病や老いや死を、消し去り給わないのか」という問いにも聴こえてきた。

 魂にトゲのように深く突き刺さったように見える病気や、自身では到底解決できないと思われる苦難に見舞われたとき、神想観という「祈りの時間」を経ることで、それが簡単に消されることなく、魂をどん底まで掘り下げる機会となっていのちを錬磨していたことが見渡せて来るのだ。

 神想観を始めるまでの「時間」は、私たちとは無関係に経過していくように見える。でも、「時間」こそが、私たちの魂を包む仏の慈手であり、魂を伸びやかに生長させる神の懐であることが、「祈りの時間」を経ることで観えてくるのである。

 出来損ないのやっかい者としか見えなかった私のような者たちすらも、「祈りの時間」は“業”のすべてを抱擁し、罪や苦しみを溶解して、彼が今生で果たすべき使命へと変容させる。

 その「時間」の深い慈悲と融合するのが信仰であり、生長の家の神想観である。

『人類同胞大調和六章経』の「愛行により超次元に自己拡大する祈り」の冒頭には、「人間は宇宙遍満の普遍的大生命の“生みの子”である」と説かれている。宇宙大生命こそが、あなたの実相である。

 祈りの不思議な働きによって、私たちの苦しみが除かれ、悩みが和らげられるのは、生きとし生けるものに注がれる神の愛や仏の四無量心の光りが、自身(の実相)から発していたことに気付くからである。

 その厳かな事実に触れ、架せられた使命と、実相の大地に立つ安らかさとが、「愛行」となって全てのご縁を豊かに潤すのだ。

“新しい文明”が展開する令和の御代の愛行が「オープン食堂」や「PBS活動」である。これに参加して実践するだけで、五欲に支配された“自我中心の卵の殻”が破られ、宇宙大生命なる神(実相)を中心とした、神の子・人間の生き方へと転換していくのだ。

 気付けば、苦しみがいつの間にか除かれ、病が癒やされ、悩みが和らげられていく。生長の家の修行は“与えれば却って殖える”ムスビの実践である。それが大乗の教えを現代に生きる、生長の家の“楽行道”である。

 

 

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