2026年5月31日 (日)

「潜在意識」をあなたの味方に (2026,06)

 生長の家東京第一教区の教化部会館(文京区・大塚)では、この4月から第一日曜日に「実相研鑽会」(教化部長指導)。そして「日曜誌友会」(信徒の体験談)や各種の研修会。そして「ヤンプロ」(生長の家二世三世ゲストによる体験談)などを毎月実施している。

 5月の実相研鑽会は『新版 生活の智慧365章』をテキストに「心の重荷」というテーマで研鑽した。
 同書には、「外界の困難は必ずしもあなたの重荷とならない」が、「内界の『心の重荷』」は「本当の重荷」となってあなたを傷つけると説かれている。

 そして「心の重荷」とは「この世の中に“悪”なるものが存在し、それが必ず自分を傷つけるという信念」であり、その恐怖心が催眠術のように作用して「神の子・無限力」を自縄自縛するという。

 この世界に「悪」の存在を認め、“善と悪”の二つに分けて対立的に捉える考え方を「二分法」という。

 この短絡的な思考は、まるで「常識」のように小説や映画や時代劇などで表現されて人々の心を支配している。この二分法は「人間」を「白人と非白人」に分けて人種差別を生じ、世の中を「敵と味方」や「善玉と悪玉」とに分けて対立の構図を作り、深い根拠もなく「愛国者と非国民」とに分けて差別する。トランプ氏など現代の為政者もこれを巧みに操って世論を動かしているように見える。

「二分法」の考え方は、無意識のうちに心に浸透して私たちの行動を支配する。

 生長の家の「唯心所現」に照らして見れば、この思想の型に振り回されると、自心が生み出した“心のカゲ”にすぎない対象を(敵対者も病気も)必ず何処かに見い出さずにはいられなくなり、無駄な争いを繰り広げて地獄を現出するだろう。

 生長の家の「唯心所現」の教えでは、「すべては心のカゲである」と教えている。

 “すべては吾より出て吾に帰る”のが「心の法則」である。「大調和の神示」に説かれた「汝ら天地一切のものと和解せよ」との教えは、人間の実相(本当のすがた)が「全宇宙を包容するところの実体」であり「宇宙大生命」であることを伝えている。つまり私たちを取り巻く現象の一切(肉体も心も環境も天地の渾て)は、宇宙大生命の内(神の中)にあるのだ。

 私たちが「人間・神の子」という無尽蔵の恵みを豊かに享受する道は、神想観を実修して自心の潜在意識と深く和解して、これを全面的に味方につけることである。その功徳は計り知れない。

 神想観は、念の世界に蓄積されたあらゆる「業」を浄めるのである。多くの方は、病や事故などの諸問題は、現象界に現れた後に対処するものと考えているが、信仰の世界では、霊界も深層意識も含め“不可視の世界”と和解して豊かに交流することで、問題と見えるものが事前に消滅してしまうのである。

 それが日々の神想観がもたらす最良の功徳であり、あなたが一族を代表して生長の家を信仰している由縁である。

 

 

 

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2025年11月26日 (水)

サクラマス (2025,12)

 生長の家では、三年に一度の役員改選と各組織の編成が行われ、最適な方々が就任されたことに感謝している。

 自ら率先してご使命を拝命された方、周りの空気に押されて受けられた方、さまざまな理由が背後にあると思う。このような時節にいつも心に蘇るのは「吾れ神を選びしに非ず、神吾を選び給いしなり」という言葉である。

 この言葉を初めて耳にしたのは宇治別格本山での「伝道練成会」だった。ご指導くださっていた楠本加美野総務が伝道に赴く皆さんに語っていたのである。私も職員研修の一環として、練成会員と一緒に近隣の伝道に回らせていただいたが、先の言葉を、静かに心で反芻(はんすう)していると、これまで自分の意思で選択して入信した生長の家だと思っていた考えがグラグラと崩れ、すべては神さまのお計らいとお導きの中で生かされて今ここに居たのか、という深い感慨が湧いてきたのである。

 自分が選んだのではなかった、神に選ばれていたからこそ生長の家にご縁を頂き、み教えと出合うことができた。そのことの発見は、私たちがこの世界に生まれてきた理由についても豊かな意味を告げているように思われた。“神吾を選び給う”とは、神さまからの召命を受けていればこそ、今ここに存在している、という事でもあるのだ。

 この言葉と出合っていなかったら、生長の家の往相(おうそう)精進という求道の道を往くこともなかったかもしれないし、慣れ親しんだ宇治別格本山から、未知で知り合いのいない国際本部に転籍することもなかったかもしれない。運命とは不思議なものだ。

 ちょうどその頃、NHK特集で渓流域の自然観察についての映像を放送していた。それはサクラマスの生態だったと記憶しているが、サクラマスの幼体はヤマメである。山深い谷から下って広い海洋を巡り、遙かな旅を経て故郷の川に遡上して“いのちのバトン”を渡すために産卵するのであるが、その最後の場面で、興味深い光景が繰り広げられていたのだ。

 それは大きなサクラマスが受精する際の縄張り争いに、小さなヤマメも参加していたのである。同年齢なのに体格差は数倍以上あり、ヤマメは弾き飛ばされていたのだが、それは谷を下って旅に出ることのなかった貧弱なままの“たましいの姿”を、何者からか見せつけられている思いがした。

 先週二日ほど高熱にうなされ、こんこんと眠りつつ意識が時空を旅したせいで回想的なコラムとなったが、ともあれ新たにお役を拝命された皆さん、そして会員としてみ教えにご縁を頂いた皆さん、いったん立ち止まって静かに先の言葉を見つめていただければと思う。「吾れ神を選びしに非ず、神吾を選び給いしなり」と。

 私がテレビで見たサクラマスの姿は、彼が旅の途上で出逢った豊かなご縁と、そこから生まれた数多(あまた)の悦びの象徴だったのである。それは使命を生きて人生の波濤(はとう)を自在に遊泳するに至った、生長したたましいの姿を現していたのである。

 

 

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