文化・芸術

2009年10月19日 (月)

悲しみの奥にある聖地

「悲しみの奥には聖地がある」とは、オスカー・ワイルドの言葉ですが、ここに紹介させていただくのは、友人で生長の家本部に勤めている竹内芳実さんという20代の女性が書き綴った「I’m here ひでちゃんのこと」というブログです。

 ひでちゃんとは、2年半ほど前、26歳の若さで天国へと旅立った、竹内さんの大切な方の愛称です。

 彼女は、ブログの冒頭で次のように紹介しています。
 

「ひでちゃんと過ごしたのはたった一年。その短い時間の中で、私たちは出会い、恋をし、ひでちゃんは何かをやり遂げてあっという間に私の前から去ってしまいました――」


 本文を読んでいると、夭折したひでちゃんの想い、寡黙な竹内さんのこれまで秘めてきた想い、そしてひでちゃんのご両親の想いなどが、手記を通して伝わってきて、胸が熱くなります。

「このまま埋もれさせてはいけない」と思い、ご本人に本欄で紹介してもいいかと打診したところ、

「ぜひ、紹介していただければと思います。彼もそれを望んでいると思いますし、喪失を経験された方の悲しみが少しでもやわらぐことをお祈りしています」


との快諾をいただいたので、つい最近公開された彼女のブログ「I’m here ひでちゃんのこと」を紹介することにしました。

 彼女の越えてきた悲しみは、愛する人を失い、癒えない悲しみを抱えている方々の糧となり、慰めともなることでしょう。
 
 また、彼らの純粋な愛の姿は、ひでちゃんから人生の門出に立つ人たちに向けて贈られた、清らかな魂の記録のようにも思えてきます。

 このブログの公開を機に、竹内さんご自身も、美しい実りある人生に向けて、新たな歩みを進めていただければと心から祈っています。


  久都間 繁

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2009年10月15日 (木)

「レッテル」について②

 今は故人となった生長の家の恩師が、「真理というものは、たとえ子供の口から出たコトバでも、もしそれが真理であれば、子供が語ろうが、誰が語っていようが、真理は厳然として真理だ!」という意味の話を、30年ほど前にして下さったことを、最近ふと思い出したことがあった。

 私はかつて、一を聞いて十を知ったようなつもりになっていたが、それもやはり、大変なレッテル化であり、ずいぶん遠回りをしていたことが、恩師の言葉を振り返ることで、身にしみて分かってきたのである。

 レッテル化とは、相手に貼り付けたラベルしか見えなくなることである。人は、一度ラベルを誰かの顔に貼り付けてしまうと、そのラベルのみに注目して、その人の「生命の本当の相(すがた)」を見なくなる傾向があるのであるが、それがレッテル化であり「現象に捉われる」ということである。

 レッテルとは、私たちが過去において人やものに対して見聞覚知したところの心の残像にすぎないのであり、そのレッテルだけを見ていたのでは、「今」躍動している生命を把握することができなくなるのは当然のことなのである。重要なのは、そのレッテルを思い切って引っ剥がしてしまうことである。しかしそのためには、自分がこれまで身に帯びてきたところの虚飾を捨て、先入観を捨て、素っ裸になってしまわなければならない。

 古事記に登場するアメノウズメノミコトのように、素っ裸になって実相をよろこべば、天照大御神が天の岩戸(レッテル)から、光り輝いて出て来るのである。

 しかし、レッテル化していることに気が付かないでいると、私たちは知らないうちにそのレッテル(仮りの相)に縛られて雁字搦(がんじがら)めとなり、さらに無意識のうちに自分を取り巻くすべてのものを次から次へとレッテル化し、挙げ句の果てにそんなもの(レッテル)ばかりに取り囲まれているのかもしれないのである。そんなことでは、生きがいも、夢も、希望も感じられなくなり、誰とも心の交流がなくなり、八方ふさがり(岩戸隠れ)となるのは当然のことだと言わなければならないのである。

 レッテル化は、年齢による影響とは全然関係ないのである。10代や20代で、あらゆる人や物や事にラベルを貼り付けて雁字搦めになって、生きがいも夢も希望も見失っている、かつての私のような人もいれば、先日(10月12日)「第31回生光展」のオープニングで挨拶した遊馬正・画伯のように、85歳を過ぎても、いよいよ希望成就のよろこびと、夢の実現に燃えながら、生涯を貫いた祈りの人生を謳歌している人もいるのである。

 レッテル化した、出口のない自縄自縛の「天の岩戸」の中でもがき苦しみ、それを求道だ、精進だ、修行だ、と努め励むことも、道を求めている人には大切な通過儀礼である場合もあるのであるが、要はレッテル化をやめ、一切の対象に貼り付けたラベルを剥がし、虚飾を捨て、先入観を捨て、丸はだかの神の子に帰ってみれば、そこに荘厳なる世界が、はじめから横たわっていたことが分かるのである。それは、木や花や風景などの自然の風物だけではなく、一人ひとりの人間も、そこに神秘なる神性・仏性が現前し、顕れよう、溢れ出よう、生長しよう、としていることが見えてくるのである。

 谷口雅宣先生が、絵手紙・絵封筒の創作を皆にお勧めになり、芸術的感覚を伸ばす誌友会をご提唱されているのも、私たちが対象をよく観察することで、これまで貼り付けていた心のラベルを剥がし、人類の通念というレッテルを外してしまい、はじめから「今、ここ」に在った神秘なる世界〈真・善・美〉と出合うことが、一つの重要な目的なのである。

 奇蹟は、病気が治ることでも、問題が解決することでもない、今、私たちを取り巻く森羅万象こそが「奇蹟」(住吉大神であり観世音菩薩)そのものであることが分かれば、「解決」への道が開け、「治癒」への道が開け、「成就」への道が開けるのである。聖経『真理の吟唱』にある、「心に耳ある者は聴け、心に眼ある者は見よ」(観世音菩薩を称うる祈り)とは、このことを語っているのである。

 繰り返すが、虚飾を捨て、先入観を捨て、素っ裸になって、アメノウズメノミコトのように実相を観てよろこんで、現象無しのカラッポになって実相遊戯三昧に生活していれば、天照大御神が天の岩戸から自ら出て来て、高天原が咲(わら)いどよめくのである。


  久都間 繁


 

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2009年6月24日 (水)

『文明論の概略』を読む

 2週間ほどかけて、福沢諭吉が100年ほど前に著した『文明論の概略』を読んだ。
 
 福沢は、天保5年(1835年)に生まれ、 明治34年(1901年)に66歳の生涯を終えているが、彼の前半生は旧幕藩体制の時代、そして後半生は明治の文明開化の時代という、二つの異なる時代を一身で生きるという希有な体験をしている。

 これについて、最晩年にざっくばらんに生涯の顛末を述べているのが『福翁自伝』だが、『文明論の概略』では、激変した二つの時代を貫く、政治的、思想的立場を越えた福沢の「独立自尊」の一貫した精神が、顕わな形で吐露されている。

 福沢の著したものを読んでいるときに、いつも興味深く感じるのは、彼の精神の根拠となっているものの所在である。

 幕藩体制にも、明治新政府にも、学閥にも財閥にも、科学的技術をもたらした西洋文明にさえもおもねることなく、全ての事象を柔軟に受け入れた上で自身が「正しい」と判断したところのものを身命をなげうってでも、果敢に断行する。そのような英断の連続のような生涯をまっとう出来たところの精神の在処(ありか)、そこに強く引かれ、福沢の福沢たるものを感じるのである。

 彼の思想は、仏教、神道、儒教、キリスト教をといった当時の形骸化した既成の宗教や道徳を「虚誕妄説」と一蹴し、いわゆるオカルティズム(occultism)とも明確に一線を画しているところがまた面白い。

 しかし彼の著作を紐解いて分かることは、彼ほど「徳義」や「良心」の蘊奥について、自身のコトバで生き生きと説き証した学者も、これまた希(まれ)だということである。


「肉体の便利既に饒(ゆたか)にして、一身の私徳既に恥ずることなしと云ふも、尚この有様に止まりて安んずるの理なし。其饒(そのゆたか)と云ひ、恥ずるなしと云ふは、僅(わずか)に今日の文明に於て足れるのみ、未だ其極(そのきわみ)に至らざること明らかなり。人の精神の発達するは限りあることなし、造化の仕掛けには定則あらざるはなし。無限の精神を以て有定の理を窮(きわ)め、遂には有形無形の別なく、天地間の事物を悉皆(しっかい)人の精神の内に包羅して洩らすものなきに至る可し」
(『福沢諭吉選集』第4巻136~137ページ)〈原文は歴史的仮名遣い〉


 下級藩士の家に生まれ、しかも幼くして父親を亡くした福沢は、糊口をしのぐために子供のころから、さまざまな職人から手仕事を学んでは家計を助け、さらに学問の道を志して後は、出会う師匠宅で家事全般をこなしながら、寝食を忘れて勉学に励んだことは、自身の筆による自伝に詳しい。

 万巻の書を読み洋学者として大成した後も、チャンスをみのがすことなく貪欲に渡米、渡欧を繰り返して学び、さらに後進を啓蒙するために『西洋事情』『学問のすすめ』などの著作や翻訳など数多くの書籍を著し、今日へと続く慶應義塾を立ち上げ、「時事通信社」を設立し、日本の独立と文明確立のために生涯にわたって在野から発言し続けた。そんな福沢の生涯をたどってみると、先に引用した、


「人の精神の発達するは限りあることなし、造化の仕掛けには定則あらざるはなし。無限の精神を以て有定の理を窮(きわ)め、遂には有形無形の別なく、天地間の事物を悉皆(しっかい)人の精神の内に包羅して洩らすものなきに至る可し」


 という言葉は、即ち彼の生涯を貫く、無限生長(向上)する彼の精神の運動そのものを物語っていることが理解できる。
 
 自己内在の無限性を信じ、無限生長の権化の如く疾走する福沢にとって、既存の宗教も儒教も、そして科学文明に彩られた西洋のキリスト教ですらも、彼の目には色あせたものとしか映らなかったであろう。
 上記の文章の最後に、彼は次のような言葉で、この章を結んでいる。

「恰(あたか)も人天並立(じんてんへいりつ)の有様なり。天下後世、必ず其日(そのひ)ある可し」と。

 福沢が後世の者に托した精神的遺産、それを私たちは「読む」ことによって継承できるのであるが、その「独立自尊」の精神は、現在におけるあらゆる形骸化への解毒剤であり、無限生長のための指針ともなるのである。 


  久都間 繁



 

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2009年5月13日 (水)

〝新価値〟の創造について

 オスカーワイルドは、ロンドンの霧は詩人がこれを言葉に表現したときに、初めて存在に入ったと語っているが、これは、詩人が言葉にした後に霧が存在するようになったという意味ではない。

 霧は、はじめからロンドンに存在していたのである。存在していても、言葉にして表現しなければ、人々の認識に入ることがなかったのである。

 私たちがコトバを通して「表現活動」をする場合、大きく分けて二つのタイプがあるように思う。

 一つのタイプは、広く巷間に出回って、世の通念となっている情報によって組み立てられた表現である。

 もう一つのタイプは、既に存在しているにもかかわらず、コトバによって表現されないために、ほとんどの人が気が付かないで見落としている情報。これは団体や組織の伝統や、風土に深く溶け込んだ文化、詩人が詠んだロンドンの霧のような自然の風物、あるいは或る人物の生き様など、人々の意識に上ることなく埋もれている概念を、コトバとして表現する場合である。

 前者には、さしたる魅力や発見はない。しかし後者には、多くの人が魅力を感じたり、ことによれば世の中を変えてしまうほどの力が宿っているように思われる。

 しかし、後者のスタイルでコトバや作品を表現するためには、常人が容易に見つけることのない鉱脈を発見して、それをさらに精錬して作品を生み出すような、尋常ならざる努力が要るのではないだろうか。

 しかし、そのような努力を通して紡ぎ出されたコトバ(や芸術)は、〝新価値〟となって世の中に迎えられ、新たな常識として定着する。

「日時計主義」のもたらす、真のインパクトは、この〝新価値〟を創造することである。

 そのためには、表層の意識に上る世の通念を超えて、意識の深層へと深く穿ち入らなければならない。

 そこには、未だコトバとして表現されることのなかった、ある人物の生き方や、社会や地域の伝統、それぞれの風土に溶け込んだ文化、自然の風物などが、無尽蔵の鉱脈として、私たちに発見されるのを待っているのである。

 鉱脈を見出したら、それを深く観察し、掘り出し、精錬して、コトバや作品として紡ぎ上げることである。

〝新価値〟の創造とは、私たちがどれだけ世の伝統や常識に深く棹さして、さらにその根源にある「真・善・美」の世界を内なる規範として生きているか、その人生経験そのものが、各自の作品となって顕れるのではないだろうか。

   久都間 繁

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2009年3月27日 (金)

卒業式に寄せて

 先週から今週にかけて、幼稚園、小学校、中学校と、3つの卒業式に出席させていただいたが、最後を締めくくったのは火曜日に行われた小学校の卒業式だった。

 小学校を卒業した次女の担任だったA先生は、児童と保護者に宛てた学級通信を、5年生の1学期から卒業式の当日までの2年間、授業のある日はほぼ毎日発行していた。主幹を兼務した多忙な日々にもかかわらず、この作業のお陰で、学校でのさまざまな出来事が分かり、学校に通う子供たちのみならず私たち保護者にとっても、大切で、楽しみなニュースレターになっていた。

 A先生は、青梅の小学校に赴任する前は、三宅島の小学校で教員生活を送っていた。
 島で出会った海洋生物学者のジャック・モイヤー氏とも親交を深めながら、モイヤー氏や子どもたちと一緒に海に潜り、環境問題やその啓発活動に深い関心を寄せながら離島での児童教育に勤しんでいた、そんな矢先、2000年に三宅島が噴火。

 避難先となった東京都・あきる野市内の施設で、140人ほどの児童とともに疎開生活を開始したものの、両親の落ち着き先が決まった子供が一人去り、二人去り、毎週のようにお別れ会を繰り返す中で、残された子どもたちが親恋しさに涙を流すのにいたたまれず、A先生は泣く児童を毎晩両腕に5人も6人も抱えながら一緒に眠った。朝になると、服の両腕が涙でぐっしょりぬれていたという。

 翌2001年春には児童数が20数人となり、同年度後半には、ついに0人となった。

 カラッポになった教室に残されたA先生は、かつて子どもたちと本土へ渡る船の中で、「必ず島へ一緒に連れて帰る」「私がみんなのことを守るぞ!」と誓った期待に応えることができず、教師の使命や役割について反芻する度に無力感に苛まれ、「もう教師を辞めて別の仕事に就こう」と思ったという。
 しかし、教師として悔いの残らぬよう、「あと一年だけ、精一杯やらせていただこう」と決意し、たまたま赴任した先が青梅市内の小学校だった。

 2002年春、さっそく校長室を訪問し、「一年間だけですが、お世話になります」と挨拶した。

 彼にとって、教師生活最後となる一学期が始まった。
 演壇に立って、自分を見つめる子どもたちの純粋な眼に出合ったとき、「三宅島の子どもたちの眼と同じだ!」と、感じた。

 天職とは、周りの人たちから教えられるものなのかもしれない――

 以来、今日までの7年間の歳月は、彼にとって、あっという間の出来事だったことだろう。

 私がA先生と出会ったのは、3年前の2006年秋、小学校で行われた学習発表会だった。

 それは環境問題についての6年生による「いのちの環(わ)」という児童劇で、台本も、ストーリーも、子どもたちの唱う歌も、衣装も、舞台セットも先生の指導で何もかも自分たちの手で作り上げたものだった。

 劇の最中に登場する、子どもたちと先生とで作詞・作曲したというオリジナル曲の合唱を聴いているとき、この歌と物語の根底に流れている、自然に寄せる深く、そして優しい眼差しが伝わってきた。たかが小学校の学習発表会と高を括り、まったく何の期待もしていなかった私の目に、涙が止めどなくあふれてきた。それは紛れもない、A先生の根底に流れているものとの出会いだった。

 翌年、次女が5年生に進級し、A先生は娘の担任となった。それ以来、何度か膝をつき合わせてお話しする機会があり、私たちは導かれるように、教育のこと、環境のこと、地域社会への貢献のこと、他の若い先生方、あるいは大先輩の先生なども交えて夜が更けるまで話し合った。


 そんなA先生も、どうやら4月からの転勤も決まり、より責任ある立場の道へと進まれるようだ。したがって、今年の卒業生が、彼が教育現場で受け持つ最後のクラスとなった。

 卒業式の後、クラスの謝恩会が開かれ、A先生のニュースレターを通して繋がり合っていた保護者の皆さんが大勢参加した。

 謝恩会では、生徒の一人ひとりが両親に宛てた「感謝の手紙」を、皆の前で一人ずつ読み上げて、それぞれの親に直接手渡したほか、これも新たに卒業式に向けて先生と子どもたちとで作詞・作曲したというオリジナル曲の楽器演奏が披露され、最後に父母と子どもたちとが、先生のギターに乗せて一緒にその曲を合唱した。希望に満ちた、どんなに絶望したときでも元気が湧いてくるような爽やかな歌詞とメロディからは、A先生から子どもたちへの、彼らの将来に寄せる深い〝思い〟があふれていた。その演奏と歌は、今も私の頭の中で鳴り響いている。

 A先生、長年にわたる生徒たちへの情熱的な指導、本当にありがとうございました。

 子どもたちは、貴方と一緒に経験した学校でのさまざまな行事を通して、無償で奉仕して何かを成し遂げる喜びを、全身で感じ取ったことでしょう。
 この経験は、彼らの生涯の宝となり、自身の運命を切り開く大きな力となることでしょう。
 貴方と出会えたことを、生徒共々心より感謝しております。
 

  久都間 繁 

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2008年9月 5日 (金)

アンナ・カレーニナ②

トルストイの『アンナ・カレーニナ』の再読を始めて約半月、ようやく遠大な物語が終わろうとしている。

 この物語に登場するさまざまな人物は、目に見えぬ因果律の律動そのままに、大作家の手によって各自が担わされた運命を「心の法則」のままに粛々と実現していくのであるが、彼らの心に浮かぶ一瞬のひらめき、惑い、そして煉獄のような不安、天にも昇るような喜び、その、どのような心の揺れも見逃されることなく、作者に見据えられ、細部に渡って描かれ、最後のレーヴィンの思索に見事に集約されて、物語に永遠の生命が授けられている。

 20代のころ、解決の目途の立たないどうしようもない不安を抱え、餓(かつ)えるように祈り、『生命の實相』を紐解き、トルストイとドストエフスキーの作品に耽溺した時期があった。
 作品に登場する主人公とともに、彼らがつぶさに経験する地獄と天国とをさまようような激しい振幅のなかを、彼らの内に密む神のような純真さだけを唯一の頼りに、一緒に頸木(くびき)を担い、何週も何カ月も歩調をともにさせてただいたことで、どれだけ魂の煩悶から救われたことだろう。
 ドストエフスキーの『罪と罰』『死の家の記録』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』、トルストイの『戦争と平和』『復活』、そして『アンナ・カレーニナ』。
 今回、『アンナ・カレーニナ』の再読を通して、いろいろなことが思い出されて来るのであるが、これらの物語に登場する主人公たちは、未だ私の傍らにいて、静かに、これまでずっと、なにごとかを語り続けていたような気がする。

 毒をもって毒を制すという言葉がある。安易な解決法など望むべくもないが、随縁の説法は至る所にあり、真の救いの慈手は、どのような業火に苦しむ魂にも、遍く差しのべられている。ロシアの偉大な作家たちの遺作は、私にとってもう一つの重要な魂の道場になっていたように思う。

 過剰な毒としか見えなかった魂に深く食い込んだ棘(トゲ)が、いつの間にか聖なる「使命」へと転じていることの不思議と、「唯神実相」(実相独在)、「三界唯心」(現象本来無し)という生長の家のみ教えの深さと荘厳とを、あらためて思うのである。 


  久都間 繁

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2008年8月16日 (土)

アンナ・カレーニナ

 過日、地元の青梅市にあるBOOK OFF(古書店) に行ったら、トルストイの『アンナ・カレーニナ』(河出書房版 中村白葉訳)が並んでいた。

 この長編小説は、今から四半世紀前の20代前半に新潮社版のものを夢中になって読んだことがあった。

 書店で背表紙を見て、懐かしさに駆られて手にとって開いてみると、物語に登場するさまざまな人物が未だそこに存在していて、私の奥深くに仕舞いこんでいた世界を垣間見るように、紙背から次々とよみがえってくるのを感じた。

 先週だったか、映画監督の宮崎駿さんが『崖の上のポニョ』を制作するまでの300日間を、NHKで取材したドキュメンタリー番組を、録画で見た。

 その中で、宮崎さんが、トトロに登場していたサツキやメイは、あのときも、そして今もこの世にしっかり存在していて、その後も成長してそれぞれの人生を送っている。もうお母さんになって、子供も出来ているかもしれない、私の中ではそういうふうに今でもしっかり生きているのです、という意味の言葉を語っていた。

『アンナ・カレーニナ』を読み始めてみると、レーヴィンも、オブロンスキイも、キティーも、カレーニンも、アンナもウロンスキイも、私の裡で再びそれぞれの人生を紡ぎ始めた。

 懐かしい物語の世界にどっぷり浸かりながらも、最初に読んだ時には主要な登場人物のほとんどが自分より年上だったのが、今では逆に自分が(たぶん)カレーニンよりも年長になっている事実に気が付いた(^^;

 そんなことをよそに、物語の中では、相変わらずレーヴィンに共鳴し、アンナに魅せられ、皆の運命の成り行きをハラハラと見守りながらも、トルストイの筆による人物や自然描写の美しさが切ないほど胸に迫り、その大河のような世界に、ただただ圧倒されるにまかせているのが、シンフォニーを聴くように心地よい。

 ドストエフスキーの諸作品にただよう厳冬のような激しさに対して、広大なロシアの大地で織りなされる春から秋にかけての伸びやかな季節感と安心感が、この時期のトルストイにはある。
 

 この小説が出版されたのが1887年というから、かれこれ120年近くの歳月が流れている。にも関わらず、国家や社会の時流を超えて、その時々の世界の人々を魅了し続けてきたこの壮大な物語には、後にロシア正教会を破門されても動ずることのなかった、彼の見出した神への堅信からくる、深く切実なリアリズムが貫かれていることを、慧眼の読者は観ずることであろう。

『戦争と平和』にしても『アンナ・カレーニナ』にしても、トルストイの作品を読むことは、壮大なるシンフォニーを聴くことにも似ている。

 ただしそこで鳴り響いているものは、同胞のチャイコフスキーやカリンニコフたちが表現した世界をも包摂する、民族と宗教とを超えた者からの荘厳なメッセージのようでもある。ロシアで、トルストイとまったく異なる道からこれを展開したのがドストエフスキーだ。

  双方の諸作品に貫かれた神への信仰が、時代を超えて、物語に永遠の生命を与えているが、それは、神話のように、永遠に古くならない性質のものなのである。

 折をみて、懐かしいアリョーシャ(『カラマーゾフの兄弟』)にも会いに出かけてみよう。

  久都間 繁

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2008年7月 7日 (月)

もう一つのリアルな世界②

 1995年頃、モザイクやネットスケープなどのブラウザの普及とともに、インターネットの世界が私たちの手の届くところへ降りてきた。

 同じ年、当時私が勤務していた生長の家宇治別格本山でも、何人かの同志たちとサイトの立ち上げを目論んだが、「前例がない。本部もやっていないのに時期尚早」と一蹴されてしまった(^^;

 それではと、関西の、ちょっととんがった生長の家のお仲間たちと、「アトリエ・ハッピー」という双方向で情報交換できるサイトを、自主的に立ち上げることにした。95年のことだ(※アトリエ・ハッピーは、現在は歴史的な役目を終えて閉幕しています)

 その主な目的は、到来するインターネットの時代に備えて、「ネット上での伝道方法の研究」「生長の家の世界の十字路になる」「生長の家の皆さんにインターネットの素晴らしさに目覚めていただく」というもので、意気込みと勢いだけで始めた実験だった。

 当時はまだサイト数が少なかったため、検索サイトで「生長の家」と入力すれば、私たちのサイトが必ず登場する時代だった。数カ月ほどすると、日本のみならず、一足先にネット環境が整った北米、カナダ、アラスカなど各地の生長の家の信奉者から、毎日のように掲示板にメッセージが書き込まれるようになった。やがて、インターネットの可能性に目覚めた各教区の人たちも加わり始めた。

 当時主流だったパソコン通信の閉じたコミュニティとは違った、世界に開かれたオープンな場所での画像や音声などを交えたダイナミックな情報の遣り取りは、刺激的で、大きな魅力に富んでいた。

 そのころ、不定期に運営スタッフが集まり、毎回5時間ほどのブレーン・ストーミング(とその後の飲み会(^^;)などを実施して、21世紀における人類光明化運動・国際平和信仰運動について議論を重ね、さまざまな夢を描いていた。

 つい、この間のことだと思っていたが、ふと気がつけば、あれから十数年も経っている。そういえば私も、東京に来てもう8年目の夏だ。

 今年の統計では、携帯電話の加入者数がついに1億人の大台を突破し、ブロードバンド契約世帯が2千5百を超えた。さらに現在はブログやユーチューブなどが隆盛を極めているが、これからもさらに便利ですごい仕組みが登場することだろう。

 インターネットの世界は、われわれ人類の描くあらゆる夢を具現しながら、未来の人類に向けて、果てしなく広大な遺産を築きあげているようにも見える。

 その遺産が、良貨となるか悪貨となるかは、私たちがネットという舞台で、何を演じるかにかかっているのではないだろうか。

 台本を書き、演出し、出演するのは、「今」を生きる私たち一人一人だからである。

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2008年7月 6日 (日)

もう一つのリアルな世界①

 今朝、昼食の弁当を持っていなかったので、通勤途中に新宿駅のドトールでサンドイッチを買い求めたところ、財布にお金が入っていないことに気がついた。ちょっとあわてたが、とっさにレジで「スイカ」のカードを取り出して支払った。

 考えてみれば、私たちはリアルのお金と、デジタルのお金の両方を使う世界に、いつの間にか住んでいたのである。

 そういえば、ネット上のアマゾンのサイトで本を買うようになったのは、いつからだろう。

 まだ7~8年といったところだろうが、その間、私が京都にいたころに本を買っていた「駸々堂書店」や「丸善」などの老舗をはじめ多くの書店が、街から姿を消していった。

 最近は耳にすることはないが、インターネットが出現したころ、パソコン雑誌などでネット上の世界のことを、リアル(現実)空間と対比して、バーチャル(仮想)空間などと呼んでいた時期がある。

 しかし、今では本の購入のみならず、物品や食料の調達のほか、勉強や仕事のための資料や情報の収集など、私たちの生活の重要な領域をネット上での遣り取りが占め、リアルとネットとの境目がなくなりつつある。それだけ急速に、音もなくネット空間が成長しているということだ。

 この15年ほどの間に、リアル世界とは別の、もう一つのリアルな世界(文化圏・経済圏)がネット上に構築され、さらにそれは加速度的に成長し、いつの間にか私たちは、そこに片足を半分突っ込んで生きている。

 たとえば、この「ブログ」という仕組みも、ネット上に出現したのは4~5年前である。が、企業情報センターの調査結果(国内)によると、昨年の時点で、集計対象としたブログサービス全体の昨年1年間の推定訪問者数は3527万人となり、2006年の2752万人に対して128%の伸張率を示したという。

 たった数年で、個人を主体とした双方向的な世界が、これほど成長したのである。さらにこれにミクシィなどのSNSなどを合わせれば、その数は倍増することだろう。

 2008年の時点で、インターネットがこの世に出現して、わずか15年。これが10年後の2018年には、どんな世界へと成長を遂げているのだろう。また、30年後には、70年後には、200年後は――

 それが事業であれ、運動であれ、私たちがこの世の中に対して何らかの働きかけをする場合、今までのようにリアルな世界にだけ軸足を置いて事業を展開していたのでは、街から姿を消した数々の老舗書店と、ほぼ同じ道をたどることは避けられないだろう。

(つづく)

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2008年7月 4日 (金)

庭に咲くバラ

 昨日の朝のこと、早朝の祈りの後で、6時前からブログ(「ツバメの巣」)を書き始めた。

 30分ほどして、ふと庭に目をやると、朝日を浴びた数輪のバラの花が、匂い立つような輝きを帯びて、朝の澄んだ空気の中に咲いているのが見えた。

 じっと正視していると、やがてそのバラは、形を超えた“いのち”そのものとなって、私の“いのち”の中に飛び込んできた。

 それはバラであってバラではない。「存在」そのものの純粋な形相が、顕わな極彩の色となり、私のいのちと呼吸し、いのちといのちとが融合していった。

 祈りながらブログに言葉を紡いでいるとき、それは「真象」というものを、追い寄せている時なのだろうか。

「真象」を観るということは、私たちのいのちが素っ裸(つまり“いのち”そのもの)になったときに開ける、或る視点を獲得するということなのかもしれない。

 これは一種の御祓(みそぎ)である。削がれたものは、これまで「偽象」を見ていた視点である。

“感じる”ということだけでは、だめなのであろう。それは言葉によって文章を紡ぎ、あるいは絵筆を持って美を表現するといった、真・善・美を生み出す能動的な諸活動に私たちが真摯に従事したとき、これまで「偽象」を見ていた視点が忽然と剥落し、そこにはじめから在り続けていた「真象」が姿を現す、そんなことを思うのである。

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2008年7月 2日 (水)

そのまま神であるということ

 畏友、堀浩二さんがブログ「悦びの広場」で、次の言葉を綴っていた。素晴らしい内容であり、幽界に旅立たれた榎本恵吾先生の謦咳に触れた思いがしたので、以下に感想を書かせていただいた。

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>私は榎本恵吾先生に特にきつく言われたのは人間は神の子であるという事は自分は神であると言う事だと言う事であり、それは取りも直さず、自分の人生の一挙手一投足、思想も全て、何時如何なる時もそのままで神であったという事である。この時は神でなかった、間違っていたなんて事は無いのである。それが実相を悟り、正しく認識するという事である。間違っていた、罪を犯したなんて言う風に自分に自分の人生が感じられるのは自分の心のレンズが歪んでいてそう感じられるに過ぎないのである。
 それが分かった時、吾等は自分は神に百%生かされていたと分かる。その時、真に感謝と悦びが湧いて来る。

「何時如何なる時もそのままで神であった」ということは、私たちは、どんな時も、そのままで完全円満なる「光り」だったということである。
 自分の過去を振り返ってみて、神として、光りとして拝めないところがあったとしたら、それは、神であり、光りであることを自覚していなかった過去の残像を見ているのである。「唯神実相」「三界唯心」を説くみ教えに触れたる者、この残像に捉われることなかれ。
 そのまま神、そのまま光りである。私たちの一挙手、一投足が「光り」の現成であり、実相・実在の鳴り響きである。

 たとえ、私たちが、過去にどのような悲惨で取り返しのつかない出来事をしでかしていたとしても、取り返しのつかないようなものなど、この世には存在しないのである。なぜなら、完全円満なる神(仏)のほかに、この三千大千世界に存在するようなものなど無いからである。
 天地の初めから「光り」のみであり、それ以外のものは残像(つまり無)にすぎなかったということは、信仰者として自らの内でいよいよハッキリさせなければならない事実(実相)なのである。

 仏教で云う「同行二人」とはこのことである。二人と云っても、神と自分と別れているものが同行しているという意味ではない。『甘露の法雨』には、「人間は神より出たる光なり」と記されているように、それは完全円満なる神と光りが法輪を転ずる姿であり、それのみが過去、現在、未来を貫いているのである。
 
 誌友会もまた、完全円満なる光りが主催して、完全円満なる光りが集うのである。それは完全と完全とが照らし合う荘厳なる姿であり、そこで開催される諸行事も光りであり、制作された諸作品も光りであり、これ全て生長の家「光明縁起説」より観たる光りの展開であり、実相・実在が展開する消息である。

※「光明縁起説」については、『生長の家』誌の昭和55年6月号に掲載された「碧巌録解釈」の中で、谷口雅春先生が展開されています。現在は、『碧巌録解釈』後編(谷口雅春先生著)の第九十則に掲載されていますので参考にしてください。

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2008年6月22日 (日)

「秋葉原事件」について

 昨夜、久しぶりに早く帰ってみると、6年生の次女を座長に3年生の長男、年長組の次男の3人が、カードゲーム「UNO」なるものに遊び興じていた。
 
 目下の弟どものことを知悉している座長(次女)は、彼らを後目に軽妙な舌戦を仕掛けながら、今このカードを切ったらこの子は泣いちゃって遊べなくなるな、ここで自分だけ上がってしまったらケンカになるぞ、など相手の顔色や心理を読みつつ、嬉々としてゲームを進めていた。

 私は、「この子はマージャンに向いているかもしれない」などと感心しながら徳利を傾けていたが、ふと「秋葉原無差別殺傷事件」の加害者は、子供の頃どのような遊びをしていたのだろうかと思った。

 スポーツをはじめ「UNO」やトランプなど、人間同士が直接野外や卓上で遊ぶゲームには必ず喜怒哀楽が伴い、そこに知識や技術を超えたゲームの奥深さや味わいが生まれる。

 わが家では、テレビゲームは学習用ソフトを除いて基本的に禁止しているが、人間が直接ふれ合うことで成立するリアルなゲームと、プログラムを相手にするテレビゲームとの違いとは何だろうか。

 ただ一つ言えることは、テレビゲームに登場する相手(キャラクター)は、喜怒哀楽が完全に欠落しているということだ。

 どの勝負であれ人間同士の対戦では、①「知能」②「技術」③「感情」、この三つの要素が複雑に加わることでゲームの勝敗が決するのではないだろうか。

 なま身の人間と対戦しないテレビゲームでは、参加する人間の側にのみ①「知能」②「技術」③「感情」の三要素が成立しているが、相手となるキャラクターの側には①「知能」②「技術」しか存在しない。

 勝負とは、つまり①「知能」戦、②「技術」戦、③「感情」戦を、双方向的な遣り取りを通して総合力で競うのが本来であるが、ゲームに登場するキャラクターとの対戦では、③「感情」戦については、相手からの反応を得ることができないため、相手の喜びも怒りも悲しみも楽しみも嘆きも、こちらに伝わって来ることはない。

 通勤途中の電車の中で、猟奇的なゲームソフトの宣伝が、広告用の液晶画面に流れることがある。そこでは、大刀を持った武者のような主人公が、数え切れないほどのサムライや怪物を、バッサバッサと切り捨てるシーンが目に飛び込んでくる。

 テレビゲームでは、なぜこれほどまでに「死」が軽んじられているのか。なぜ、これほどたくさんの生き物を殺すことが出来るのか。
 それは、相手に「感情」が存在していないことが明白だからであろう。「感情」が存在していなければ、それは“生き物”ではなく、ただの「もの」に過ぎないわけであるが、バーチャル空間の場合は「者」であることも、「物」であることすらも成立しない。つまりスイッチ一つ、リセットひとつで現れたり消えたりする対象に、いちいちそんなやっかいな“思い”を抱くことができないのは当然のことであろう。「感情」のやりとりのないところに、「思いやり」や「優しさ」が成り立たないのも当たり前の道理である。徹底的に痛めつけたとしても、その対象からは微塵も「人格」や「痛み」や「悲しみ」を感じることはできないのだから――。

 リアル(現実)の世界での「知能」、「技術」、「感情」による遊びを十分に経験していない子供が、一人バーチャル(仮想空間)で、「感情」の完全に欠落した、「者」でも「物」でも、そして「モノ」でもない“相手”と遊ぶ。

 努めて想像してみてほしい。

「無差別殺傷事件」が、なぜあのような場所で発生したのか。
 防止するには、どのようにすればいいのか。

 そして、子供にふさわしい“遊び”とは、何なのかということを。

 政治やイデオロギーや思想を越えて、それぞれの家庭や地域で取り組まなくてはならないことがたくさん見えてこないだろうか。

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「秋葉原事件」について

 昨夜、久しぶりに早く帰ってみると、6年生の次女を座長に3年生の長男、年長組の次男の3人が、カードゲーム「UNO」なるものに遊び興じていた。
 
 目下の弟どものことを知悉している座長(次女)は、彼らを後目に軽妙な舌戦を仕掛けながら、今このカードを切ったらこの子は泣いちゃって遊べなくなるな、ここで自分だけ上がってしまったらケンカになるぞ、など相手の顔色や心理を読みつつ、嬉々としてゲームを進めていた。

 私は、「この子はマージャンに向いているかもしれない」などと感心しながら徳利を傾けていたが、ふと「秋葉原無差別殺傷事件」の加害者は、子供の頃どのような遊びをしていたのだろうかと思った。

 スポーツをはじめ「UNO」やトランプなど、人間同士が直接野外や卓上で遊ぶゲームには必ず喜怒哀楽が伴い、そこに知識や技術を超えたゲームの奥深さや味わいが生まれる。

 わが家では、テレビゲームは学習用ソフトを除いて基本的に禁止しているが、人間が直接ふれ合うことで成立するリアルなゲームと、プログラムを相手にするテレビゲームとの違いとは何だろうか。

 ただ一つ言えることは、テレビゲームに登場する相手(キャラクター)は、喜怒哀楽が完全に欠落しているということだ。

 どの勝負であれ人間同士の対戦では、①「知能」②「技術」③「感情」、この三つの要素が複雑に加わることでゲームの勝敗が決するのではないだろうか。

 なま身の人間と対戦しないテレビゲームでは、参加する人間の側にのみ①「知能」②「技術」③「感情」の三要素が成立しているが、相手となるキャラクターの側には①「知能」②「技術」しか存在しない。

 勝負とは、つまり①「知能」戦、②「技術」戦、③「感情」戦を、双方向的な遣り取りを通して総合力で競うのが本来であるが、ゲームに登場するキャラクターとの対戦では、③「感情」戦については、相手からの反応を得ることができないため、相手の喜びも怒りも悲しみも楽しみも嘆きも、こちらに伝わって来ることはない。

 通勤途中の電車の中で、猟奇的なゲームソフトの宣伝が、広告用の液晶画面に流れることがある。そこでは、大刀を持った武者のような主人公が、数え切れないほどのサムライや怪物を、バッサバッサと切り捨てるシーンが目に飛び込んでくる。

 テレビゲームでは、なぜこれほどまでに「死」が軽んじられているのか。なぜ、これほどたくさんの生き物を殺すことが出来るのか。
 それは、相手に「感情」が存在していないことが明白だからであろう。「感情」が存在していなければ、それは“生き物”ではなく、ただの「もの」に過ぎないわけであるが、バーチャル空間の場合は「者」であることも、「物」であることすらも成立しない。つまりスイッチ一つ、リセットひとつで現れたり消えたりする対象に、いちいちそんなやっかいな“思い”を抱くことができないのは当然のことであろう。「感情」のやりとりのないところに、「思いやり」や「優しさ」が成り立たないのも当たり前の道理である。徹底的に痛めつけたとしても、その対象からは微塵も「人格」や「痛み」や「悲しみ」を感じることはできないのだから――。

 リアル(現実)の世界での「知能」、「技術」、「感情」による遊びを十分に経験していない子供が、一人バーチャル(仮想空間)で、「感情」の完全に欠落した、「者」でも「物」でも、そして「モノ」でもない“相手”と遊ぶ。

 努めて想像してみてほしい。

「無差別殺傷事件」が、なぜあのような場所で発生したのか。
 防止するには、どのようにすればいいのか。

 そして、子供にふさわしい“遊び”とは、何なのかということを。

 政治やイデオロギーや思想を越えて、それぞれの家庭や地域で取り組まなくてはならないことがたくさん見えてこないだろうか。

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2007年12月14日 (金)

落ち葉について

 12月のある日、青梅市内に住む漆器作家ご夫妻の工房(朱文筵工房)兼ご自宅を、家内と二人で訪問して歓談させていただいた。その折、工房の通路に降り積もった落ち葉のことが話題になった。

 ご夫妻が語るには、土の上に散った落ち葉はいいが、アスファルトやコンクリートの上に落ちたものはなぜか調和を欠くとのこと。

 私はその話を聞いているとき、作曲家のベラ・バルトークが、落ち葉の降り積もる音を聞いたという話を思い出していた。

 それは、現在目の前で散っているものだけではなく、何年も何百年も降り積もって土と化した落ち葉たちが、時を超えて降り積もるその〝音〟が、今も聞こえているのだという。

 バルトークの聞いたそれは、五感の耳が感受した〝音〟ではないことは明らかである。が、では彼の所有するどの様な感官に、それが鳴り響いていたのであろうか――。

 落ち葉は、やがて時を経て土となる。そしてその土が肥やしとなって、樹木が養われる。つまり土と樹木と落ち葉とは有機的に繋がっているのだが、「美」とは、その〝連続性〟の由来を伝える何ものかではないだろうか。そんな着想が浮かんできた。

 たとえば、漆器などは樹木で作られた素材としての椀と、その表面に繰り返し手作業で塗布された漆の樹液などによって構成されているが、そこにはプラスチックなどの石油化学製品の椀とは質を異にする、奥深い「美」が表現されている。さらにそこには、落ち葉と地面と樹木との関係ような、椀と漆と人間との有機的で質的な〝連続性〟が現れているように見える。

 私たち人間が「美」を感ずる背景には、私たちが有機体であるということに由来した、深い理由があるのかもしれない。それは、「美」と「生命」とが、同一のものの異なる側面であり、人間はそれを無尽蔵に感受し、評価し、表現することのできる、おそらく唯一の存在であるというところに、あらゆる種類の芸術が生まれ、数多の宗教が生まれた由縁があるように思う。

 それを確認し、豊かに味わうためにも、私たちは大量生産、大量消費された軽薄な製品から、再び、私たちの生命との〝連続性〟を感じさせる有機的な製品に回帰する時期が来ているのかもしれない。

 地球環境問題は、そのことを雄弁に語っている。無機的なものを、地球環境が消化することができないのは、地球が有機的な生命体だからである。

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2007年9月 9日 (日)

いのちの響き

  台風一過後、私の住む青梅の庭では、秋の虫たちが一斉に啼き始めた。

 夜中に床に就くと、開け放った窓から、虫たちの音(ね)が宇宙を奏でるように深い夜を満たしていた。

 何種類もの命の音の合奏。それは虫が啼くというよりも、大地そのものの音楽だった。
 音が鳴っているのではない、いのちが、いのちのなかで、いのちを奏でていた。

 それまでは一つ一つの虫の音が、勝手気ままに鳴っていると思っていたが、周りの虫たちのいのちの響きを、彼らは確かに感じながら、絶妙のアンサンブルで自らの音を奏でているのだった。

 やがて時間が消え、天地が消え、私も消え、いのちの合奏のみが、いのちの世界に鳴り響いていた。

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2007年8月25日 (土)

蝉の抜け殻

 子どもたちは蝉の抜け殻が大好きだ。

 たぶん抜け殻の方でも、子どもたちのことが、大好きなのではないだろうか。

 あの奇怪な姿、あの飴色の輝き、あの、ちょうど手の届くところに止まっているその高さ。

 蝉の抜け殻は主人公が去った後で、子どもたちの夏を豊かにいろどっている。

 主人公は天空に羽ばたいて大きな鳴き声で盛夏をうたいあげている。

 抜け殻はじっとしたまま、無言で晩夏を奏でている。

 そして双方ともに、跡形もなく消えてゆく。

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