2021年8月24日 (火)

生命の舞台 (2021,9)

 八月のお盆に「奉納 八木節ネットフォーラム」を群馬県教化部で開催して、唄と笛、太鼓、鼓(つづみ)、鉦(かね)の生演奏と踊りをリモートで配信させていただいた。

 これは亡き人々への供養であると同時に神界・天界・霊界という不可視の世界への捧げ物であり感謝の行事である。

 何に感謝するのかといえば、天地一切のものが神のいのちであることを拝み、そのいのちの光りが、私たちの日々のなりわいに、それぞれが授けられたお勤めの一つひとつに、家族や友人知人との語らいの中に、静かに輝き渡り、世界を内側から照らしていることを拝むのである。

 盆踊りの前日、埼玉県教化部から『正法眼蔵を読む』をテキストに「真理勉強会」を配信したが、会場に参加していた四十代の男性から、道元禅師が説いた「仏向上(ぶっこうじょう)」という言葉の意味についての質問をいただいた。

 仏向上とは、悟りを越えて無限生長する生命の姿である。

 なぜ生命は「悟り」をも越えるのかと云えば、悟りと見えるのは生命の一時的な過程であり、生命そのものは無限生長を純粋に持続して絶えず新生し、よみがえり、新価値を湧出する“いきもの”だからである。

 谷口清超先生は同書で、「仏を越えて無限に向上する境涯が展開される」(弁道話)とお説きくださっている。

「仏を越える」とは、仏と現れ、神と現れ、菩薩として現れたもの、あるいは悟りを得て仏となり、神となり、菩薩の境涯に至ったとしても、それは真実存在(生命の実相)の一時的な相(すがた)であって、そのような現象に安住し留まっていたのでは、そこは天人五衰(てんにんごすい)の境涯にすぎないことを伝えているのだ。

 私たちの生命は、日々の小さな“悟り”を重ねて生長する。

 白隠禅師は「大悟十八回、小悟数知れず」と語ったが、昆虫が脱皮を繰り返して生長するように、日々の悟りは日々の生長の姿であり、三正行やPBS活動の光りを放ちながら、生命は豊かに伸びゆくのである。

 日時計主義とは、日々の発見(小さければ小さいほど善い)に光を当てる生き方である。

 それは神の顕れである真・善・美に“気づく”ことであり、“気づか”なければそこに何も見いだすことはできないが“気づき”さえすれば、今ここは紛(まご)うことなき天国であり、浄土であることが発見できるのだ。

 そのための鍵言葉(キーワード)が「感謝」である。感謝は「今」を深く観透(みとお)す心眼であると同時に、「今」を掛け替えのない、いのちの舞台として観る慈悲の眼でもある。

 世の中に過ぎ去らないものなどなく、時は留まることなく展開してゆくように見える。

 二度と繰り返すことのない世界を前に、私たちは、今できる精一杯のことをさせていただき生きる。

 それが、やがて滅するであろう行為や事業であったとしても、私たちはそこに神の生命を刻むのだ。

 それがPBSの倫理的生活であり、次世代や大自然のことに想い巡らせる深切行であり、大調和の世界を一歩一歩実現する菩薩行である。

  (二〇二一・九)

 

 

 

 

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2021年2月 1日 (月)

食がひらく“新しい文明” (2021,2)

 伝統的な「料理」には人々の暖かな“想い”が宿っている。それは家々の歴史であり、祖先から受け継いだ食文化でもある。

 夫婦でも出身地が異なれば、同じ呼び名の料理も素材や味付けが異なり、一筋縄でいかないのは“ムスビ”という深い意味が秘められているからである。

 現代は国や地域を越えて、人や食や情報が行き交う時代である。食は“生きる糧”であることから「おふくろの味」などとも呼ばれ、人それぞれの強いこだわりもあり、食べ慣れないものがマレに食膳に上るなら珍重もされるが、所帯をもった夫婦の食習慣が異なれば、顔を毎日突き合わせているだけに深刻な問題にも発展しかねない。

 振り返ればわが家も所帯を持ったころ、わずかな食文化の違い(静岡と鹿児島)がいつしか針小棒大となって呆然としたが、事の次第を悟り、互いの食文化の背景をしみじみ味わい直したことで、大事に至らずに今日に至っている。

 “ムスビの働き”は、実に深淵(しんえん)である。

 さて、生長の家では菜食中心の食生活を推奨している。肉食忌避(きひ)は、生命を尊び敬う者たちのささやかな抵抗であるが、殺される動物たちの悲しみや、地球環境の問題が、それだけで解決できるものでないことを百も承知の上での選択である。

 生長の家のオーガニック菜園部の活動は、ノーミート料理から、犠牲のない新たな食文化を創造する取り組みでもある。そのためのヒントは、かつての主流を占めていた自然と人間が調和した伝統料理の中にあるのだ。

 それは、今日の料理から肉を差し引くだけという消極的なものではなく、肉を食べないがゆえに可能となる、繊細で滋味(じみ)に富んだ豊かな菜食の文化を蘇らせ、さらに“新価値”を加えて魅力的な食の文明を創造することである。

 過日、埼玉・群馬おムスビネットフォーラム(zoomとFacebook)で開催したイベントで、各家庭でのおせち料理や、寒い季節の家庭料理が、オーガニック菜園部の皆さんによって紹介された。

 実家で食べていたもの、嫁ぎ先や移り住んだ地域で習い覚えたものなど、その一つひとつに、受け継いだ“技術”や“季節の食材”や“ご先祖の想い”が宿り、料理は、私たちの人生を深いところで支えていることが伝わってきた。

 その伝統料理は子や孫へと受け継がれて、また新たな家族を温めることだろう。

 わが家でも秋から冬にかけての伝統料理がある。それは静岡名物のとろろ汁で、私が子どものころは山に入って自然薯(じねんじよ)を掘ることが、田舎少年の通過儀礼(つうかぎれい)となっていた。

 山芋の収穫のため鍬(くわ)で自身の躰が入るほど深く穴を掘るのだが、それは苦役などではなく、内に眠る原初的な底知れぬ力が、森の中で密かに覚醒するイニシエーションでもあった。

 森を歩きながら、地元で語り継がれてきた神さまの話や神秘的なシキタリや植物の名前などが伝えられ、自然の中での豊かな“教養”を身につける機会でもあった。

 置き忘れてきた文化の中に、自然と共生するための智慧があふれている。

 環境破壊が深刻さを増すこの時代に、先人たちの声なき声が、いにしえの物語を通して全国各地で蘇ろうとしている。そこから“新しい文明”を築くための豊穣な智慧が、PBSの活動を通して蘇るのである。

  (二〇二一・二)

 

 

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2021年1月 1日 (金)

随所で主となる (2021,1)

 生長の家では「人間・神の子」を生きることを、「随所(ずいしよ)で主となる」と表現している。

 これは臨済(りんざい)禅師の「随処に主となれば立処皆真(りっしょみなしん)なり」に由来した言葉で、随所とは「いたる所で」といった意味だ。

 しかし、その言葉を履き違えると、ときに無理を重ね、ときに自我を突っ張らせて要らぬ対立を招く場合もあるが、随所で主となるのは、周りを支配した後ではないのだ。神の子のいのちは、はじめから宇宙に充ちているのであり、父母未生(ふぼみしよう)以前から神の子・人間は“主人公”なのである。

 その自覚は一切者として全ての責任を担い、すべての人やものや事のために生きる深い覚悟によってのみ、天地一切のものから「主」とならしめられるのである。

 令和も三年目を迎えたが、昭和の御代も平成の御代も、現象の背後に“久遠を流るるいのち”が生き通していることを、私たち生長の家は拝むのである。

  先達から受け継いできた人類光明化運動・国際平和信仰運動も、すべては仏の四無量心のいとなみであり、慈悲喜捨の生涯を全うした先達お一人おひとりの“想い”や“祈り”や“愛行”が私たちとなって花咲いているのだ。

 総裁先生は、代表者ネットフォーラムでのお言葉「居住地の自然と文化を顕彰する」の中で、「固有の自然の恵みと、その自然と調和した文化的伝統に感謝することが、私たちの『自然と調和する』ライフスタイルの拡大と、地球社会への貢献になる」とお説きくださっている。

  その居住地の自然や文化を顕彰する行事が、インタープリテーションであり、PBS活動である。それは、かつて人々の暮らしの身近にあった「自然のいとなみと調和した文化的伝統」を現代に蘇らせ、豊かに味わい、それを実践してみることである。そこから、忘れ去られていたものや、私たちが今ここに生きていることの深い意味が、一つひとつ紐解かれていくことだろう。

  この活動は、自然と調和して生きてきた先祖や先達の“智慧”に学び、これに新価値を加えて後の世代へとバトンを渡すことでもある。

 正月から如月(きさらぎ)の二月にかけて、一年で最も寒い季節を迎える。この時期、華やかな季節には隠れて見えなかった風土に深く刻まれたいのちの世界を、伝統的な行事や季節の料理を通して私たちの身近なものとして蘇らせ、合わせて不可視のものに想いを馳せるときである。

  はるかな過去と向き合うことは、より善い豊かな未来を創るための扉をひらくことでもある。

  わたしたちに何が托され、何をつなぐ使命があるのか。欲すると欲せざるとにかかわらず今ここに生きる者はそれを担い、過去と未来とを結ぶ架け橋として今ここにいるのだ。

「随所で主となる」とは、過去・現在・未来の人々をムスビ、自然や文化的伝統の中にある豊かな恵みや智恵を、現代によみがえらせて生きることでもある。そのとき、名も無き数多の先人たちの“想い”や“祈り”や“愛行”が、新たなユニバーサルな新価値を加えて、「新しい文明」として復活するのである。

  (二〇二一・一)

 

 

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2017年7月29日 (土)

大岳山(東京)への日帰り縦走

 中3の末っ子と大岳山に登ってきた。

 彼は念願のサッカー都大会出場を決めたものの、試合の数日前、練習中のケガで医師から「全治二週間、出場は無理」と診断された。数日後、チームの試合に帯同したが、出番のないまま4対3で敗戦。――号泣して部活の夏が終わった。

 そんな彼が、「躰がなまっちゃう!」というので、全治したのを機に山に誘ってみた。

 場所は地元の大岳山(1276㍍)。東京・青梅の御岳山ふもとの駐車場から、ケーブルを使わずに御岳山(929㍍)に登り神社に参拝。その後ロックガーデン、芥場峠を経て山頂へ。

 途中、宮崎駿監督の「もののけ姫」の舞台かと見まごう深い森、山犬のモロがいそうな大岩からの展望、そして巨大なガマガエルとの邂逅――。

 往復6時間半、山あり谷あり岩場ありの日帰り縦走。お父さんはガタガタ、中3は復活した。

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2014年6月13日 (金)

「都市の時間」と「森の時間」が重なるとき

 八ヶ岳山麓にある“森の中のオフィス”に勤務するようになって、早半年が過ぎた。

  標高1300メートルにあるオフィスへの出勤にはバスを利用しているが、帰りは家路までの数十分間から一時間ほどの逍遥(しょうよう)を楽しんでいる。

 

 当初は、スキーの体力作りのため、という目的で始めたが、今ではその目的はどうでもいいものとなり、自然の中を歩くこと、そのこと自体が大きな悦びとなった。

 

 帰路の途上では、その季節、その天候、その時間帯ならではの森での体験が次々と訪れる。

 

 4月に入り――鹿が風のように駆け抜け、ウグイスや小鳥たちの啼き声が森に響き、可憐な花々が地面や樹上で咲き、緑の米粒のような葉が梢で芽吹きはじめた。

 

 それらの光景と出合う度に、一つひとつの印象が心に刻まれる。

 

 都心に通勤していたときには直線的に飛び去っていた時間が、ここでは〝自然〟がもたらす豊かで新鮮な日々の印象となって心に留まる。

 

 9月にこの地に越してこの方、森が黄金色に染まり、やがて落葉し、雪が降り、新緑が芽吹き――そして時間はゆったりと、それは季節の揺るぎないあゆみと同調したようなペースで流れはじめている。

 

 これまで切り離されているように見えていた、「都市生活の時間」と、樹木が茂り花が咲き鳥が歌う「自然の時間」とが、森での逍遥を重ねているうちに、前者の時間が、次第に後者の雄渾ないとなみの中に包摂されてきたようだ。

 そのことが、無上の安らぎを森に棲(す)み始めた私たちにもたらしていることは、意識していないと気がつかないほど、その移行は自然である。

 

 森での生活は、はじめから私たち人間が、大生命の懐(ふところ)に抱かれていたことを、素直に思い出させてくれるのかもしれない。

                     (2014年4月)

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2014年6月 7日 (土)

「リニア中央新幹線が水を奪う」橋本淳司氏の「水」ニュース・レポートを読む

 メルマガ『橋本淳司の週刊「水」ニュース・レポート』掲載の「リニア中央新幹線が水を奪う」を読んで、レポートをシェアすることの許可を発信元の「アクアスフィア」に求めたところ、「公開していませんので、メールをシェアしていただくか、出所を明記してくだされば、ブログなどで公開していただいてもけっこうです」との連絡をいただきましたので、ブログ上で公開いたします。

  これを読むまでの「リニア中央新幹線」についての私の理解は微々たるもので、数年前に南アルプスにトンネルを開けて東京と名古屋間を結ぶことがニュースで発表されたときは、「自然を冒涜する行為だ」と、観念的に受け止めている程度でした。が、橋本氏のレポートから、具体的な「冒涜」の〝深度〟が、初めて伝わってきました。

  たとえば、品川から名古屋間を結ぶ全長286キロメートルの約8割が地下トンネルとなり、その長大なトンネル上に、直径40メートルの巨大な立坑が、なんと5~10キロメートルおきにつくられるそうです。これによって、「東京ー名古屋の地下深くつらぬく横穴と、そこに向かって地上から伸びる無数の縦穴があくことに」なり、その結果として、南アルプスの豊かな自然環境を大きく改変する工事となるのです。

  この工事の環境への影響は計り知れず、重要な水源である富士川、大井川、天竜川など一級河川への影響に加え、南アルプスの動植物など生態系への深刻な影響が懸念されています。

  同レポートには、山梨県笛吹市の「リニア実験線」周辺でも、すでに御坂町の水源である一級河川「天川」が枯渇していることを伝え、その周りの市町村についても、「トンネル掘削工事の現場周辺では、井戸水や河川の渇水・減水が相次いで」いると報告しています。

  同氏は、「日本列島に穴をあけて水を奪い、大量のエネルギーをつかい、処理しきれないほどの残土を出し、それでも高速に移動する必要があるのでしょうか」と訴えます。

  インターネット通信網に加え、これを活用するためのデバイスが発達し、東京・名古屋間のみならず、誰でも気軽に安価に世界各国に住む人々と瞬時にコミュニケーションできるこの時代に、〝移動時間の短縮〟などという時代錯誤の目標を立て、しかも、格安航空会社との競合による不採算などの大きなリスクを背負ってまで、大規模な工事を進める意味があるのかと次々と疑問が湧いてきます。

  そして世界各地で深刻な水不足にあえいでいる今の時代に、失ったら二度と戻らない南アルプスの自然環境や水資源を枯渇させ、新幹線の3.5倍も電力を消費するという「リニア中央新幹線」を建設することの必要性について、根本から見直す必用があることを、このレポートは伝えています。

  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここから引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ▼「リニア中央新幹線が水を奪う」(橋本淳司)
(初出『傘松』2014年4月号「水の惑星に生きる作法」)

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 ●「夢の超特急」は薔薇色の明日をもたらすか

  リニア中央新幹線の経済効果が各種メディアで取り上げられています。

  三菱UFJリサーチ&コンサルティングのレポートでは、品川ー名古屋間が開業した後の経済効果は、2050年までに10.7兆円、大阪まで一括で整備された場合に16.8兆円と推計されています。その内訳は、まずは「夢の超特急」を目当てにした外国人観光客などの増加によるもので、東京・名古屋・大阪だけでなく、途中駅周辺でも観光を中心に経済効果が見込めるとされています。

  また、東京ー名古屋間は40分、東京ー大阪間は1時間という移動時間の短縮に伴って、仕事の効率がアップし、経済活動が活性化する効果も大きいとされています。

  それだけに、リニア中央新幹線に対する地元自治体の期待は高まるばかりです。まるで初恋にうなされる中学生のようです。最近では京都市が、駅誘致に前のめりになっています。「京都駅ルートが実現した場合の経済効果が年間810億円。現行案の奈良ルートと比べ約2倍になる」という独自の試算を公表して、何とかリニアのルートを呼び込もうと必死になっています。

  各地でバラ色の妄想が一人歩きしている感がありますが、果たしてリニア計画は、それほどよいものでしょうか。少しだけ冷静になって考えてみたいと思います。

  そもそもリニア中央新幹線とは、時速約500キロで品川、名古屋、大阪を一直線で結ぶものです。走行方式は「超伝導磁気浮上方式」。リニアモーターをマイナス269度まで冷やし、そこに電流を流して超伝導状態にし、側壁の磁石との間に生じる強い磁気により、車体を浮かせて走行します。

  品川ー名古屋間は平成39(2027年)年開業を予定し、平成45年に大阪への延長をめざしています。品川を出発すると、神奈川県相模原市、山梨県甲府市、長野県高森町、飯田市、岐阜県中津川市という中間駅を経て名古屋に到着。全長286キロメートルの工程ですが、都市部では大深度の地下トンネル、南アルプスの山並みでは直下に大トンネルを穿つことになり、経路の約8割が地下を走ることになります。

 ●リニア実験線での水涸れ

  ここに「夢の超特急」の1つ目の問題点があります。トンネル工事によって水涸れを引き起こす可能性があるのです。

  私は数年前から山梨県笛吹市のリニア実験線周辺を何度も歩いています。

  建設現場近くの道を歩くと何台ものトラックとすれ違います。ときおり水がゴーゴーと音を立てて流れる場所があります。静かな山のなかでコンクリートの滑り台を水が落ちて行く様子は異様です。

  これは何か。トンネル工事の際、水脈にぶつかると、トンネル内に水が溢れます。そうなると工事に支障を来します。そこでコンクリートのバイパスをつくって他の場所に移します。その水が音を立てて流れているのです。

  しかし、そうなると別の場所で水涸れが起きます。

  山のなかで水の消えた川に出会いました。なぜそこが川だとわかったか。干上がった地面に、水で削られた丸みを帯びた石と、魚やカニの死骸が転がっていたからです。これはとんでもないことになっていると思いました。

 トンネル掘削工事の現場周辺では、井戸水や河川の渇水・減水が相次いでいます

  地下水の豊富な地盤にトンネルを掘削すると、風呂桶の底に穴があいたようになり、地下水が漏れ出します。大量の出水により掘削工事は難航し、一方で、その地下水をつかっていた人々は水に困るようになります。

  平地の場合、砂や礫の層にある隙間に水が流れます。平地にトンネルを掘る場合、既存の井戸があれば観測記録やボーリング資料などをもとに計画を立てることができます。シールド工法という砂利を掘ったそばから既成の壁を組み立て、地下水がトンネル内に漏出するのを極力小さくする工法もあります。

  しかし、山岳トンネルの場合は、簡単ではありません。地下水が岩盤の亀裂の中に含まれているからです(火山地帯を除く)。これを「裂か水」と呼びます。地下深い岩盤内にどのように亀裂が入っているのか、裂か水がどの程度存在しているのかはなかなかわかりません。山岳トンネルを掘るときには、機械で岩を掘り崩し、一定の長さを掘り進めたところで壁にコンクリートを吹きつけ、鉄の棒で岩盤に密着させ、防水シートを張り、さらにコンクリートで内壁を構築します。あるいは徹底的にトンネル周辺の水を抜きます。

  しかし、どこに水があるのかを正確に予測するのはむずかしく、結果として水脈を切断することがあるのです。

 御坂町の水源である一級河川「天川」は枯渇しました。八代町竹居の門林地区九世帯が使っていた井戸水は明らかに減っています。応急対応で市の上水道に接続していますが、ここに住民に話を聞くと、「工事前には井戸が減ったりしたことは一度もなかった」と言っていました。

  御坂町上黒駒の若宮地区でも、生活用水として使っていた簡易水道が渇水しましたし、八代町竹居で約100世帯がつかっていた簡易水道の水源も枯れました。工事者は「水源の水をためる層近くを掘削したことが原因」と因果関係を認め、「日常的に水脈の観測を行いながら慎重に工事を進める。仮に新たな報告があった場合、地元住民に対し、きめ細かな対応をしていく」としています。

  そうしたなか、やや意外に思ったことがありました。何人もの住民に話を聞いたのですが、水源が枯渇したことへの怒りの声はあまりなく、補償として代替水源を確保してくれたことへの感謝の声ばかり聞きました。とりあえず今日、明日の水が確保されればいいということでしょうか。

  ですが代替の水は遠くからポンプで配送されているためエネルギーコストが高いはずです。さらに生活水の補償は、国土交通省の通達で「最長30年間」という期限がありますから、将来的には水道料金として住民が支払うことになるでしょう。そのときになって地元の水が消えたことを後悔しても遅いのです。

 ●本線で起きる水の問題

  リニア中央新幹線本線は、東日本大震災から間もない2011年5月に国交省が「GOサイン」を出し、建設に向けた動きが一気に加速しました。

  リニア本線では、前述したように、全長286キロメートル経路の約8割が地下トンネルになります。それに加え、ルート上に直径40メートルの巨大な立坑が5~10キロメートルおきにつくられます。つまり、東京ー名古屋の地下深くつらぬく横穴と、そこに向かって地上から伸びる無数の縦穴があくことになります。

  こうした工事の影響が懸念されている場所があります。

  たとえば、長野県下伊那郡大鹿村大河原の釜沢集落では、集落の水源地の地下を路線が通る予定になっています。また、同県木曽郡南木曽町妻籠では、県の水環境保全条例で「水道水源保全地区」に指定されて、360世帯が利用している水源地と路線が重なっています。

 こうした地域では、実験線の工事現場周辺と同様のことが起きる可能性があります。

 ●南アルプス横断トンネルで大井川が涸れる

  本線のトンネルのなかでも、とりわけ長いのが南アルプス横断トンネルです。小渋川など二カ所の川を渡る橋の部分で少しトンネル外へ出るだけなので、実際には山梨県富士川町から豊丘村に至る延長約50キロのトンネルと考えてよいと思います。富士川、大井川、天竜川という三河川の流域を一本のトンネルで貫くわけですが、現在、水涸れについて最も心配されているのが大井川です。

  JRが大井川水系源流部の七地点で工事後の河川流量を試算したところ、赤石発電所木賊取水せき上流で毎秒2.03トン減るという結果が出ました。毎秒2.03トンは同地点の平均流量(11.9トン)の約17%に相当します。

  トンネルを掘ることで河川流量が減るメカニズムは、掘削途中に地中の水脈にぶつかりトンネル内部に地下水が染み出すことが原因です。

  そこでJRは、トンネル周囲の地盤の隙間を埋める薬剤を注入したり、防水シートを施したりした上でトンネルをコンクリート加工する案を示しています。

  しかしながら、こうした対策を講じても、地下水がトンネル外側のコンクリ表面を伝うなどして山梨、長野両県内のトンネル開口部から流出する懸念は残っています。

 毎秒2.03トンという水は、下流域の島田、掛川など7市約63万人の水利権量とほぼ同じです。該当する地域の自治体は懸念を示し、JRに対し、保全措置を尽くしても減水となる場合は、代替水源を確保し、利水団体と継続的に協議することなどを求める要望書を提出しました。

  とくに掛川市の住民は複雑な思いでしょう。なぜなら過去にトンネル工事が原因で、生活に利用してきた湧き水が枯れてしまった経験があるのです。粟ヶ岳の中腹には地下水が湧き出る水源がいくつもあり、地域特産の茶の栽培に欠かせません。

  ここでは1954年頃、約35世帯で簡易水道組合を発足して生活水を調達していました。毎分200リットル以上の豊富な水が湧き出るため、他の地区にも供給したほどでしたが、2000年5月に水源が枯れたのです。原因は約500メートル北側で1999年から始まった新東名高速道路金谷トンネルの掘削工事でした。

  事業者の中日本高速道路が止水工事などを試みましたが、湧き水が戻ることはありませんでした。

 ●生態系保全の視点はない

 「これまでつかっていた水がなくなっても、代替の水は用意してくれると言っているんだから、それでいいじゃないか」

  という人がいます。

  そういう人はほかの動植物のことを考えていない人です。

  工事によって、河川や湖沼の水深が浅くなる、流れが切れる、水温が上がるなど、生態系がダメージを受ける可能性は高いのですが、長大なトンネルの建設現場を取り巻く南アルプスには多様な希少動植物が存在します。

  静岡市、川根本町を含む3県10市町村は同地域を含むエリアでユネスコエコパークの登録を目指し、開発と保全の整合性が問われています。

 アセス準備書は、県条例が保護対象とするラン科の植物「ホテイラン」の生育環境を「保全されない可能性がある」と明記しています。絶滅の危険性が極めて高いとされるイヌワシやクマタカなども同様の評価です。

  これを受け静岡市環境影響評価専門家会議は、「多様な生態系を損なうことはエコパーク全体の機能喪失につながる」と指摘し、「必要な場合は計画の見直しも含めてエコパークの登録実現を積極支援すべき」とまとめています。

 ●採算性低く、電力効率も悪い

  リニア計画にはほかにも疑問点が残ります。

  1つ目は採算性です。膨大な建設費に見合う利用者がいるでしょうか。最大の懸念は、JR東海という民間企業が9兆円もの建設費用を全額負担することです。リニア中央新幹線のビジネスモデルは東海道新幹線と基本的には同じで、内部留保(利益剰余金)と借金で建設費を賄い、運賃・料金収入でそれを回収するというものです。

  JR東海の内部留保は1兆5891億円(2013年9月)ですが、一方の借入金・社債・鉄道施設購入長期未払金の有利子負債として2兆6022億円を抱えています。リニアに着工すれば、借入金はさらに増えます。全線開業時の債務は5兆円程度になると予測されています。

  一方で、運賃収入は東海道新幹線開通時のようには大きな運賃収入は見込めないでしょう。

  リニアを開業しても既存の新幹線から乗客がシフトするだけだからです。さらに格安航空会社との顧客の奪い合いも予想されます。そうなると不採算路線になる可能性もあります。JR東海は今のところ品川―名古屋間の運賃を東海道新幹線「のぞみ」の運賃に700円程度上乗せすることを想定しています。大阪まで全面開業した際も、上乗せは全線で1000円程度にとどまる見込みとしていますが、不採算であれば、運賃体系を見直さざるをえないでしょう。

  2つ目は電力です。リニアの消費電力は現在の新幹線の3倍といわれています。ここで問題となるのは強い磁界をつくり出すために超伝導磁石を使うことで、全長約四百四十キロの路線全体に常伝導の推進コイル(電磁石)を敷設するなどで、膨大な電力を必要とします。乗超伝導磁石の冷却にも大きな電力が必要です。

  産業技術総合研究所首席評価役の阿部修二氏が、JRの公表数値などをもとにリニア走行の消費電力量などを予測しています。乗客1人当たりの消費電力量は、既存の新幹線と同じ時速300キロメートルで走ると約2倍、最高時速とされる506キロメートルで走行した場合は300キロメートルで走る新幹線の三・五倍となる試算を示し、リニアのエネルギー効率の悪さを指摘しています。

  3つ目は残土の問題です。自然豊かな南アルプスに長大なトンネルを掘るのですから、沿線全体に残土処理の問題があります

  そのほか電磁石の影響の問題も未知数です。リニアに乗るときには、クレジットカードなどは磁気の影響を受けないように、特殊なケースに預けることになっています

 ●リニアは高度経済成長期の残滓

  振り返って見れば、リニア中央新幹線が最初に提案されたのは1973年、第二次改造田中角栄内閣の高度成長真っ盛りの時代でした。リニアとは、ブルドーザー宰相による列島改造計画の残滓なのです。

  列島改造とは、川による町と町の結びつきを断ち、地方の町を道路や鉄道で東京と直結することでした。それまで、ヒト、モノ、カネ、文化の流れは川とともにありました。そして一つの川の流れで結ばれた流域が生活圏でした。流域を基盤とした生活圏は、独自の方法で自立し、ユニークな文化を生みました。しかし、高速道路網、新幹線網が整備され、地方の町が東京と直接つながるようになると、川の道はしだいに消え、川の流れで結ばれていた小さな町同士のつながりは薄くなりました。

  ヒトとカネは町から東京へ流れ、モノと文化は東京から町へと流れました。若者は東京へ行き、地方には年寄りが残されました。街並や商店街は消え、幹線道路沿いにショッピングセンター、ファストフードチェーンができたのです。道路と鉄道は開発時には地方の水を奪い、完成後は地位の活力を東京へ吸い取るストローの役割を果たしたのです。

  高度経済成長の残滓であるリニアも巨大なストローです。計画から40年が経過し、社会が大きな変化を迎えているにもかかわらず、相変わらず成長の夢を追いかける単純なプロジェクトです。

 もう少し冷静になって自分たちを取り巻く状況を見てください。

  今後半世紀、私たちを取り巻く環境は大きく変化するでしょう。

  今後の構造変化のなかで最もインパクトの大きいものは人口減少でしょう。現在の傾向が続けば、2060年には人口が約8700万人まで減少します。そして、その多くが都市に住んでいるとされています。

  こうしたなか経済成長を目指さない社会づくりを真剣に考える時代になりました。経済活動は行いながらも、その規模自体は拡大していかない経済です。経済の持続は必要ですが、経済規模が拡大し続けることは必要でしょうか。

  また一方で、日本列島に穴をあけて水を奪い、大量のエネルギーをつかい、処理しきれないほどの残土を出し、それでも高速に移動する必要があるのでしょうか。

  地球は有限です。有限の地球から無限に資源やエネルギーを取り出し、無限に二酸化炭素や廃棄物を戻し続けることはできません。

  リニアは成長期の子どもが描いた夢のようです。少子高齢化・人口減少、過疎化の進展、エネルギー問題などの課題を抱え、成熟期を生きる私たちが、実現するようなものではないのです。

 笛吹市で読んだ「議会たより」には、「富士山世界遺産登録とリニア開通で笛吹市が桃源郷になる」という意味のことが書かれていました。しかし、桃源郷とは本来、主体的に探して見つけたり、到達したりするものではなく、すでに手のなかにあるもの、とされています。■

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『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書 2013.1.30)
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『水は誰のものか 水循環をとりまく自治体の課題』
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発行者
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橋本淳司(はしもとじゅんじ)

水ジャーナリスト、アクアコミュニケーター、アクアスフィア代表。
橋本淳司、アクアスフィアの活動、お問い合わせはWEBページをご覧ください!
http://www.aqua-sphere.net/

<水課題・課題解決方法の発信:週刊「水」ニュース・レポート、各種メディア>
<政策提言:国や自治体の水制度作成への参画・アドバイス>
<プロジェクト:市民・自治体・企業の皆様との連携>
<人材育成・啓発活動:講演、教育研修>
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 引用ここまで ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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2014年5月31日 (土)

森の中で見えてきたこと

 機関誌『生長の家』の編集部から、リレー・エッセイ「八ヶ岳の暮らし」の寄稿を求められました。

 同誌の6月号に掲載されましたが、これを書いたのが、八ヶ岳ではまだ新緑も芽吹かぬ3月の冬枯れの中だったため、読み返してみると、すでに時機を逸した感がありますが、初めて体験した〝雪どけの季節〟ならではの感想として公開します。

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 八ヶ岳の森で暮らしてから、人生でやり残していたことに、なぜか背を押されて生活するようになった。

 それは私の余命が判明したからではなくて、森に住んだことで、人生で重要なことと、それ以外のことが見えてきたのである。

 森の日々を振り返ると幾つかの印象的な光景が甦ってくる。

 それは、冬に備えて薪の原木を一人で割っているとき─―

 大雪に埋まった道を、寮の仲間と黙々と除雪しているとき─―

 深雪に鎖された森に飢えてさまよう鹿と、目が合ったとき─―

 仕事を終えて、一人月明かりの森を歩いているとき─―

 氷雪が溶けて、やがて春の大地を潤すように、何か大切なことが体感され、都会生活の薫習(くんじゅう)が、次第に剥落(はくらく)していった気がする。

 さて、背を押されていることの一つは読書。

 テレビを見る習慣を止めたことで、森の静けさが部屋の中に充ちてきて、重要な対象が次々と像を結び始めた。

 祈りに導かれつつ、今日の文明史的な課題と聖典の精読に、深夜と早朝に取り組んでいる。

 次に家族との語らい。

 家の中心に薪ストーブが据えられ、夕暮れを過ぎれば真っ暗闇の森に家の灯がともり、周りに住む鹿や狐など動物たちの息遣いを感じながら、火を囲んで、夫婦、親子、時に友人たちと語らいの日々を過ごしている。

 そしてスキー。

 5年前「吾が人生にまだこんなに楽しいものが残されていたのか!」と、驚きとともに数十年ぶりに再開したが、今は電気自動車で25分も走ればゲレンデだ。

 急斜面に飛び込むとき、眠っていた身体の感覚が全面的に覚醒し、斜面を自在に滑降していると、いつしか自然・心・躰が一つになる三昧境。
 冬季に限定されたこの瞑想にも似たスポーツの悦びは、どこまで深まるのだろう。

 そして山登り。

 “森の中のオフィス”周辺の南アルプス山系では、かつて、北岳、間ノ岳、農鳥、甲斐駒、仙丈と登ったが、なぜか未踏のままだった八ヶ岳。

 限られた誌幅にこんなことばかり挙げていても切りがない。が、森に住んだおかげで、当分の間くたばりそうもない。


  (2014年3月)

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2012年6月10日 (日)

小学校PTA連合会総会における挨拶

 6月8日、青梅市の小学校PTA連合会(小P連)の総会が行われました。

 市内各校の小学校PTA会長と学校長は、合わせて小P連の理事も兼務しています。

 この総会をもって理事を退任する私に、ご縁あって、「退任理事を代表して挨拶をしてほしい」との依頼が来ましたので、悦んでお受けすることにしました。

 以下は、スピーチのための下書きに、当日のアドリブでのお話しを加えたものです。

 当日の参加者は、市内の小学校各校の新旧の校長に新旧のPTA会長、そして各校の副会長、庶務、会計などの本部役員。来賓として教育委員会の方々が参列していますので、仏教で説く善因善果や、徳積みの話。そして生長の家で説く心の法則などの話を、平易な言葉で、さらりと表現するよう工夫してみましたのでご覧ください。 



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 ご紹介いただきましたA小前会長の久都間です。

 3年間、小P連の理事ならびにA小学校の会長をさせていただきました。その関係からか、今年度会長校のY小学校の会長と、前会長から、
「思いの丈(たけ)を語ってください」とのご指名をいただいておりましたので、少しだけ語らせていただきます。

 

 本日の総会をもって、16校中10人の会長さんが退任されますが、先ほどから、前に出て感謝状を受け取られる前PTA会長の皆さんお一人お一人のお顔を拝見しながら、皆さんと会長会の折に、夜が更けるまでえんえんと熱く語り合った日々のことを、しみじみと思い出しておりました。

 あらためて会長会は、最高のオヤジの会だったなあと、そんなことを感じております。

 

 さて、私たちの活動をふり返ってみますと、学校において子供たちが学ぶ「知識」についての教育は、学校の先生方が担ってくださいますが、これから子供たちが人生を渡り、生きていく上でもっとも大切な教育は、ここにいらっしゃるお父さん、お母さんたちが、PTA活動を通じて、一所懸命に学校のため、地域の子供たちのために、何の見返りも求めずに無償で、ときに手弁当で奉仕される姿を子供たちは横目で見ながら、彼らは言葉には出さなくてもたくさんのことを学んでいるのではないかと思います。

 

 子供たちの心に種蒔かれたこれらの記憶は、将来彼らが学校や職場で、やがて親となって家庭や地域社会で、たとえどのような困難な状況に遭遇したとしても、自らのチカラで道を開き、問題を解決し、幸せを築き上げていくための糧やヒントとなって、必ず花開いてくる時期が来るのではないかと思います。

 

 そのような意味でPTA活動は、一見、経済的にも時間的にも与えっぱなしの活動のように見えるかもしれませんが、実は親にとっても子供にとっても“子育て”という二度と繰り返すことのないこの大切な時期に、最良の経験をさせていただいていたのではないのかなと、この3年間をふり返って、そんなことを感じております。

 

 さて、今年度の各校のPTA会長の皆さま、そしてお集まりの本部役員の皆様、それぞれの担当校で、子供たちが楽しく充実した学校生活を送れるよう、今年も各校でのPTA活動に、皆さまの大切なお時間とお力をいっぱい注いでいただければと思います。

 

 また、教育委員会の皆さま、これまでと同様に、私たち小P連の活動を温かく見守り、ご指導とご協力をくださるよう、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 最後に前年度小P連の幹事校をご担当されたU会長はじめI小事務局の皆さま、この一年間、縁の下の力持ちとして、ときには潤滑油として、円滑に小P連の運営に当たってくださり、本当にありがとうございました。心より感謝しております。

 

 以上をもちまして、退任理事を代表しての私からの挨拶とさせていただきます。

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2011年9月28日 (水)

自然エネルギーを求めて(1)――羨望の太陽光発電

 福島における東電の原発事故以来、わが家では「自然エネルギー」の導入を真剣に考えるようになった。

 

 太陽光発電については、だいぶ前に施工業者に調査してもらったことがある。

 

 そのときは、

 

「屋根の形状の関係で、パネルを1kW程度しか載せることができませんので、ちょっと無理ですね」

 

との見立てで、やむなく断念したことがあった。

 

――あれから7年ほど経っている。

 

 

 パネルの形状も多様となり、面積当たりの発電量も、きっと増加しているだろう。せめて2kW程度でも発電できればいいのだが・・・。そう考え、今度はメーカーの相談窓口を通して、経験豊富な施工業者を紹介してもらった。

 

 

 数日後、施工会社の社長はじめスタッフらがわが家に来訪。

 

 同社の社長の話によると、ちょうど青梅市で「地球温暖化対策住宅用機器設置費補助金交付制度(平成23年度)」の募集が始まったところで、締め切りは一週間後。とりあえず申請だけでも出しておきましょう――とのこと。

 

 思いがけない朗報に、1kWあたり5万円、上限額は15万円とのことで、弾む心を抑えながらとりあえず2kWの補助金を申請することにした!

 

 同時に、施工チームの方に屋根の形状を徹底的に調査してもらうと、うれしいことに合わせて2.05kWの太陽光パネルの搭載が可能との連絡をいただいた。

 

 飛び上がるような想いで10年間のローンを組み、国と東京都への補助金申請書に署名し、東電に申請する発電所の名称を夫婦で話し合って決め、翌月に実施する施工の日取りも決定。

 

 わくわくしながら、家内とともに手帳とカレンダーに施工日をしっかり赤ペンで書き込んだ。

 

 これでいよいよわが家の屋根にも太陽光発電が乗るぞ! 子供たちをはじめ、ご近所、知り合い、職場の同僚にも、嬉しさのあまり発電所の設立をふれて廻った(^^; 

 

 

 そんな、工事まであと一週間とせまった晩のこと、施工会社の担当者から突然の電話が入った。

 

 受話器をとると、恐縮した声で、

 

「――屋根が特殊な形なので、パネル編成の関係で最低入力電圧に届かないことが判明しました。ご期待に添えなくて、まことに申しわけございません…」

 

との、あっけない結末を、申し訳なさそうに話してくれたのである(^^;

 

 

 かくして、またもや太陽光発電への道は閉ざされ、補助金の申請もローンもあえなく取り下げとなる幕切れとなった。

 

 これ以来、電車に載っていても、道を歩いていても、なぜか住宅の屋根ばかり視界に飛び込んでくるのだ。

 

 ――この家の屋根は2kWくらい。あそこは3kWは乗るぞ。
 おっ! この屋根の広さと陽当たりの良さなら4kW、いや4.5kW載せて数年で元を取れるなあ――

 

 そんな当て所のない皮算用が、脳裏に浮かんでは、屋根の上に浮かぶ白雲とともに、どこかへ消えていくのだった。

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2011年5月10日 (火)

PTA総会での会長あいさつ〈2011年度〉

 5月の上旬、岩ツバメの飛び交う校舎で、今年も小学校PTA総会が行われました。

 

 月日の経つのは早いもので、これで3年目の「会長あいさつ」となります。

 

〈2009年度〉 http://ashikabi.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/post-1fec.html
〈2010年度〉 http://ashikabi.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/pta2010-1f27.html

 

 今年も、スピーチさせていただいたことの草案を公開させていただきます。

 

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【総会冒頭での「会長あいさつ」】

 

 今日は、A小PTA総会にお集まりくださり、ありがとうございます。

 

 また来賓の皆さんも、ご多用の中をお越しくださり、心より感謝しております。

 

 この3月、東北地方を震源地として大きな震災が発生しましたが、東京でも、ほんの一時期ではありますが、食べ物が不足したり、ガソリンが供給されなかったり、停電したことがありました。

 

 しかし被災地では、家や家族を失い、さらに仕事を失うという深刻な状況の中で、ライフラインが絶たれたことにより食物も水もガソリンも無くなり、同じ地域に住む人たちが助け合い、支え合って生活していたことが報道などを通して伝わって来ます。

 

 地域社会が本来持っている役割の大切さが、あのような大変な状況の中で、浮き彫りになっていたことを感じました。

 

 そのような目を通して、私たちのPTAの活動を振り返ってみますと、それは、学校と地域社会、そして明日の地域を担う子供たちとを結ぶ、大切な役割を担っているように思います。

 

 この地域に住む一員として、これからも皆さまからたくさんのおチカラを頂きながら、またコミュニケーションを深めながら、一つひとつの行事に取り組むことで学校や地域に貢献して行きたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

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【新体制発足後の「会長あいさつ」】

 

 今日でPTAの新体制が発足し、私としても今年で3年目の会長をお受けすることになりました。

 

 実は2年前にPTAの役員をお受けするまでの私は、学校や地域のことは家内に任せっきりで、学校の運動会や学習発表会に顔を出す程度でした。

 

 したがって、そのころの私は――

 

「PTAの役員の人たちは、ご苦労なことだ、でも私はそんな面倒くさいことやってられないよ」

 

という考えでおりました。ですから、校長先生と担任の先生のほかは、先生方のお顔も名前もほとんど知らないような状態でした(^^;。

 

 ところがご縁あって、「めんどくさい」と思っていたPTAのお役を受けてみると、一歩踏み込めば一歩だけ、二歩三歩と踏み込めばその分だけ、そこから家庭や職場だけでは得ることのできない、地域のボランティアならではの世界が開けてきて、いろいろな人と出会い、語り合う中から地域社会との絆が深まり、そこで経験したことがフィードバックされて、また家庭や仕事に善い影響を与えていることが、PTAのお役を受けることでよく分かるようになりました。

 

 離れて見ていたときには「めんどくさい」としか思えなかったことこそが、実は個人においては〝人生の扉〟を少しずつ開く大切なカギであり、そのカギを回すことで、地域社会においても、多様性と実りのある、豊かな生活を実現することに貢献できるのではないか――そんなことを会長3年目にして感じております。

 

 今年度もPTA本部役員および運営委員一同、「めんどくさい」ことに一所懸命に尽力して参りますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

2010年5月7日

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