育児

2009年11月 8日 (日)

秋のほったらかし農園①


「ほったらかし農園」にも秋が訪れ、収穫の時を迎えています。

 この日(11月7日)収穫したのは、春に種を植えた落花生です。

 愛犬のハッピーが、ときどき畑に入ってゴロゴロ寝そべっていた関係で、まるで草のベッドのようになっていた落花生畑でした。

 そのような圧迫に耐え、夏の暑さと秋の雨風を越えて、地中に実った落花生がようやく日の光を浴びようとしています。

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 わくわくしながら、ググゥ~っと茎(くき)を引っ張っり上げているのは、末っ子の啓(ヒロム)くんです。

 事前にスコップを地面に深く差して、地中から土をモコっと掘り起こしてあるので、収穫はあんがい簡単です。
 

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 当初予想していたより、たくさん実を付けていたのでホッとしました。
 モデルは長男の實(マコト)くん。私がポーズに注文をつけたので「早く撮って!」と、眼で催促しています(^^;

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 植えてもいないサツマイモまで収穫できました。
 これも「ほったらかし農園」ならではの光景です。

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 天日に干して、収穫が完了!


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 落花生を収穫した後の畑は、土に、生ゴミとEM菌を培養して作った堆肥を混ぜて、新たな苗床を作りました。

 ちょうど一週間ほど前に、ご近所に住む誌友から「のらぼう」という多摩地方特産の野菜(アブラナ科)の苗を頂いていたので、それを植えました。

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「のらぼう」は、来年の2月~3月に収穫できる予定です。
 無農薬でも元気に育ち、おひたしやソテーにして食べるととても美味しいので、わが家のある青梅市などの西多摩地方では春先の定番メニューとなっています。

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2009年9月 8日 (火)

「ほったらかし農園」のヒョウタン

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 今年の春、小学4年の長男とキュウリの苗を買いに行ったところ、瓢箪(ヒョウタン)の小さな苗を発見しました。

「ヒョウタン!」

 思わずそのユニークな形が、電光のように脳裏を駆けぬけ、

「ためしに、育ててみようか!」

 と、息子に問い掛けると、好奇心に満ちた彼の瞳が輝き、1株だけ購入して農園のイチゴ畑の空きスペースに植えてみました。

 肥料を与えていなかったのですが、それなりに成長して、9月上旬にはこんなになりました。

 そういえば10数年前、青森県にある三内丸山遺跡を見学に行った折、5000年前の縄文時代にもかかわらず同地でアフリカ原産のヒョウタンが栽培されていたことを知り、縄文文化圏の交易範囲の広さにたいへん驚かされたことがあります。

 同遺跡では、この他にも世界最古の日本製漆器の破片や、クルミの入ったかわいい縄文ポシェットの遺物、巨大な建造物の遺構、大人と赤ちゃんの埋葬方法の違いなどの行き届いた説明を、現地のボランティアガイドの方にしていただき、この日以来、私の縄文観が一変したことを思い出します。

 さてこのヒョウタン、煮ても焼いても食えそうにありませんが、いずれこれに晩酌でも入れて、はるか往古の森で営まれていた縄文人の生活に思いを馳せながら、秋の夜長に究極の「森のオフィス」のことでも考えてみたいと思います。

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2009年9月 6日 (日)

「ほったらかし農園」のフウセンカズラ

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 子どもたちが学校から貰ってきた種を、なんでも植えてしまうところが「ほったらかし農園」のひとつの特徴でもあります。

 写真は「フウセンカズラ」というつる性の一年草です。まきひげを出して、それを他の植物などに絡ませながら成長します。これは、最近ゴーヤを収穫しているときに目の前にブラブラぶら下がっているのを偶然に発見したものですが、そういえば今年の春先、末っ子にせがまれて一緒に種を植えたことを今になって思い出している好い加減な園主です。

 学校で種を配るほどだから、「フウセンカズラ」もきっと食用になるのだろうと調査してみましたが、これはもっぱら観賞用として栽培されているようで、ネットのどこにも料理や食用に関する記事は見あたりません。 

 袋の上の方に、ちょこんと白い花が咲いているのが分かりますでしょうか。これが受粉して結実すると、下のような袋状になり、冬枯れて茶色くなると一袋に3粒だけ種ができます。種には黒地に白いハート模様の可愛いマークがくっきり浮き出ますので、私が忘れていなければまた本欄で紹介させていただきましょう。

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2009年7月 4日 (土)

耳を傾けること

 私は結婚して今年で21年目になる。

 その間、仕事の関係で関西と東京で生活してきたが、かつて残業が続いて一週間も子どもと会話をしていないことが、ときどきあった。

 そんなとき、なんとなく子どもたちの心が離れてしまったことが分かるものだ。

 彼らの態度が妙によそよそしくなり、“お父さんなんか居てもいなくても全然関係ない”といった世界に住み始め、努めて会話を試みてはみるものの、どうも取り付く島もないような状態になってしまうものだ。

 これは多くのお父さんのみならず、忙しく働いているお母さん方も、ときに感じることがあるかもしれない。

 こんなとき、それぞれの家庭では、コミュニケーション不足を補うための、いろいろな工夫が為されていることだろうと思う。

 わが家でも、子どもが幼いころは、努めて早く帰宅して抱きしめたり一緒に風呂に入ったり、休みの日に野山を散策したり、即興でつくった物語りを聞かせて大笑いさせながら一緒に眠ったり、いろいろな工夫をして心を通わせたものだ。

 しかし子どもが中・高生になると、これらの方法が功を奏しなくなる。ことにきょうだいが多い(わが家は4人)場合は、どうしても行き届かないことも出てきたりする。

 身も心も大人へと成長しつつあるこの時期の子どもにとって、実はこれからがいよいよ大人の経験や知恵を必要とする、大切な時期なのだ。

 さて、皆さんはどのようにしてこの時期を乗り越えているのだろうか。


 放っておくことも一つの手かもしれない――


 しかし、つい先月、娘の通う中学校の生徒が、メモに親への感謝の言葉を書き遺し、誰にも告げずに、誰にも相談することなく、イジメなどのハッキリした理由もないのに自殺してしまうというショッキングな事件があった。

 子供が一人で、黙って死を選ぶ、彼にどんな孤独や、辛い思いがあったのかは、今となっては知るよしもない。が、放っておけば雑草が蔓延(はびこ)り荒れ果てるのは、人の心も同じなのかもしれない。

 この事件を機に、私は、あらためて親子間のコミュニケーションについて考えさせられた。


 もしかしたら皆さんの参考にもなるかもしれないので、わが家で始めたささやかな工夫の一つを紹介させていただこうと思う。

 それは至って簡単なことである。

「子供からの問い掛けに、耳を傾けること。そして一緒に答えを探してあげること」

 これに尽きるのではないかと思った。そして、とても大切なことは、先の言葉の前に、

「どんなに忙しいときでも――」

 という一句を添えて実践することだ。

 そうすれば、もし子どもたちが自殺したくなってたとしても、どこかでその信号をキャッチする機会が生まれるはずである。また、それ以前に、親子間の深い信頼関係を構築できることが、何よりも重要なことなのだ。

 それは、「どんなに忙しくても、あなたのことを第一に考えているんだよ!」という親から子への、明確なメッセージをもって生活することになるからだ。

 しかし簡単なことのようでいて、これを実践するには「親の側」に、意外なほどの心的努力が要る。

 ついつい、

「今、忙しいから!」
「今、仕事をしているから!」
「今はダメだから!」

と、言ってしまうのだ!

 心ならずもそんなことが何回か重なれば、もう子どもたちの脳裏にひらめいた宝石のような問い掛けは、どこか空の彼方へと消し飛んでしまうかもしれない。
(かく云う私も、どれほど宝石を扱い損ねてきたことか(^^;)

 しかし、私たちの人生の中で「子育て」の時期というのは、意外なほど短いということも忘れてはならない。

 ことに小学生から中・高生にかけての多感な時期は、彼らの長い人生の中のほんの数年にすぎず、この大切な時期を逃したら、よほどのことがない限り、彼らは私たちに対して自由に心を開いて問い掛けることを、あきらめてしまうかもしれないのだ――


 
――でもご安心いただきたい。

 たとえどんなに「手遅れになった!」と見えたとしても、

「彼らからの問い掛けに真摯に耳を傾けること。そして一緒に答えを探してあげること――」

 人生で出会う全ての人のことを祈りながら、この時の来るを待ち続けていれば、成人したわが子のみならず、どのような大人でも、やがて天来のタイミング(導きのとき)が必ず訪れるのである。

 そのときが、彼らが心を開き、彼らと心を通わせることのできる、神様に導かれた時節なのである。

 ただし子供のときと比べて、たっぷり待たされるかもしれない!


 しかし、私たちには永遠の生命が宿っているのだから、なにもあせる必要はない。

 祈りつつ、ご縁ある人たちの魂の成熟を待つ時間くらい、この広大な宇宙のいとなみと比べたら、ほんの一瞬なのだ。

 しかしその一瞬の内に、人間・神の子の神性・仏性が芽生え、生長して華を開き、やがて「実相」の実を結ぶのである。


  久都間 繁


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2009年6月23日 (火)

忙中「歓」あり

 数日前の夜、地元の「地区防災対策委員会」が開催され、仕事を早めに切り上げてそれに出席した。

 小学校のPTA会長をお受けすると、自動的に6つか7つの地域におけるさまざまなお役が割り当てられる。

 最初は、このことを知らなくて煩わしく思っていたが、社会貢献の意義について職場のメンバーにも理解していただき、リズムに乗ってしまえば、地元の人たちとの絆が深まり、あらめて地域における自治体の活動や、その改善すべき細かな点なども客観的に見えてくるので、これはこれでよかったと今では思っている。

 しかし、実際に私がお役に立つことができるのは、早くて今年度後半から、遅くとも2年目以降からが本番であろうとも思っている。

 さて、翌日は休みをいただいていたので、通勤の折に毎日少しずつ読み進めていた福沢諭吉著の『文明論の概略』を読了することができた。これについては、別の機会に紹介できればと思う。

 庭の畑で、午前中にキュウリの収穫、トマトの枝打ち、落花生の周りの草引きなどを終え、お昼にはゴマだれの冷やし中華を、これも畑でとれた野菜、そしてゆで卵にハムなどを添えてたらふく食べた。

 4時すぎ、次女のいずみ(中1)がテニスの部活から帰宅し、その後ピアノのレッスンから帰ってきた弟たちを加え、町内のグラウンドに皆で行って、いず、まこ(小4)、ひろ(小1)、私の4人で日が暮れるまでテニスをやった。

 気が付けば7時をとおに回っており、遊んでいて時の経つのも忘れるとは、まさにこのことかと思った。

 
  久都間 繁

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2009年5月11日 (月)

PTA総会でのあいさつ

  小学校のPTA会長をお受けすることになって、5月9日に初めての総会に臨ませていただきました。

 5日ぶりに晴れ渡り、ツバメが飛び交う校舎の一室には、百数十人の人々が参列していました。学校を取り巻く木々の新緑が午後の日差しに映えて、とても美しかったです。

 土曜日ではありましたが、午前から午後にかけて授業参観やセーフティ教室などが開かれ、午後2時45分から総会は始まりました。

 見渡せば、PTA会員の皆さんや校長先生をはじめとした先生方、そして来賓として地元名士の方々がご列席くださっていました。
 以下は、総会の折に発表した「PTA会長あいさつ」の草案です。
(これをベースに、アドリブで伸び伸びとお話させていただきました(^^;)

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 今年度より、PTA会長を拝命致しました久都間 繁と申します。
 わが家では、長男が4年1組、次男が1年3組でお世話になっています。また、今年高校生になった長女、中学校に入学した次女も、このA小学校でお世話になりました。

 その中で、印象に残っているエピソードのひとつを紹介させていただきます。

 私は10年ほど前に、仕事の関係で関西から東京に転勤して来ましたが、最初に住んだ調布市で、当時小学校1年だった長女が、言葉の違いなどが原因でいじめに遭い、腰掛けるときに男の子にイスを引かれて脳しんとうを起こしたことで、登校できなくなりました。

 その後、3年生のときに青梅に越してきたものの、長女はその時のトラウマをかかえたまま、教室に入っても座ることができず、A小でも3年、4年と保健室のソファーの定位置に腰掛けて、持参した本を終日読んで過ごす日々を送っていました。

 当時、校長をされていたH先生とも相談しながら、彼女の成長を見守っていましたが、やがて4年の三学期になるとソファーから窓際に移動して、外ばかりながめるようになり、そのころ書いた作文には、5年に進級した際のクラス替えを楽しみにしている文面が出てくるようになりました。そして5年生に進級したのを機に、突然生まれ変わったようにクラスに溶け込んで、人一倍元気な彼女の本来の姿へと生まれ変わったのです。

 振り返ってみますと、長女は保健室にいる間に、先生方や生徒の様子をじっーと観察して、この学校は生徒も先生も、安心して信じることのできる人たちであることを、何度も何度も心の中で確認していたのではないかと思います。
 そして5年生となり、卵からヒナが孵るように、当時、新たに赴任して担任となったN先生のもとで、安心して伸び伸びと翼を広げることができました。以来、彼女は猛勉強を重ね、第一志望だったあこがれの公立高校に今年ぶじに進学しました。

 このような、子供たちが安心して学ぶことのできるA小の校風、たとえケンカして傷つけあったとしても、イジメにまで発展することない懐の深い学習環境は、A小を取り巻く豊かな自然環境と、先生方と保護者との深い信頼関係、そして地域の人たちの見守りなど、長年の努力の積み重ねがあればこそ、実現できるものだと思います。

 私は今年、縁あって初めてPTA会長をさせていただくことになりましたが、このような当校の良き伝統をしっかりと継承しつつ、それを次代へと伝えるために、諸先輩のお力をいただきながら、PTAの会員の皆様、そして校長先生をはじめ諸先生方と一緒に、本部役員一同、子供たちの幸せのために尽力させていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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2009年3月27日 (金)

卒業式に寄せて

 先週から今週にかけて、幼稚園、小学校、中学校と、3つの卒業式に出席させていただいたが、最後を締めくくったのは火曜日に行われた小学校の卒業式だった。

 小学校を卒業した次女の担任だったA先生は、児童と保護者に宛てた学級通信を、5年生の1学期から卒業式の当日までの2年間、授業のある日はほぼ毎日発行していた。主幹を兼務した多忙な日々にもかかわらず、この作業のお陰で、学校でのさまざまな出来事が分かり、学校に通う子供たちのみならず私たち保護者にとっても、大切で、楽しみなニュースレターになっていた。

 A先生は、青梅の小学校に赴任する前は、三宅島の小学校で教員生活を送っていた。
 島で出会った海洋生物学者のジャック・モイヤー氏とも親交を深めながら、モイヤー氏や子どもたちと一緒に海に潜り、環境問題やその啓発活動に深い関心を寄せながら離島での児童教育に勤しんでいた、そんな矢先、2000年に三宅島が噴火。

 避難先となった東京都・あきる野市内の施設で、140人ほどの児童とともに疎開生活を開始したものの、両親の落ち着き先が決まった子供が一人去り、二人去り、毎週のようにお別れ会を繰り返す中で、残された子どもたちが親恋しさに涙を流すのにいたたまれず、A先生は泣く児童を毎晩両腕に5人も6人も抱えながら一緒に眠った。朝になると、服の両腕が涙でぐっしょりぬれていたという。

 翌2001年春には児童数が20数人となり、同年度後半には、ついに0人となった。

 カラッポになった教室に残されたA先生は、かつて子どもたちと本土へ渡る船の中で、「必ず島へ一緒に連れて帰る」「私がみんなのことを守るぞ!」と誓った期待に応えることができず、教師の使命や役割について反芻する度に無力感に苛まれ、「もう教師を辞めて別の仕事に就こう」と思ったという。
 しかし、教師として悔いの残らぬよう、「あと一年だけ、精一杯やらせていただこう」と決意し、たまたま赴任した先が青梅市内の小学校だった。

 2002年春、さっそく校長室を訪問し、「一年間だけですが、お世話になります」と挨拶した。

 彼にとって、教師生活最後となる一学期が始まった。
 演壇に立って、自分を見つめる子どもたちの純粋な眼に出合ったとき、「三宅島の子どもたちの眼と同じだ!」と、感じた。

 天職とは、周りの人たちから教えられるものなのかもしれない――

 以来、今日までの7年間の歳月は、彼にとって、あっという間の出来事だったことだろう。

 私がA先生と出会ったのは、3年前の2006年秋、小学校で行われた学習発表会だった。

 それは環境問題についての6年生による「いのちの環(わ)」という児童劇で、台本も、ストーリーも、子どもたちの唱う歌も、衣装も、舞台セットも先生の指導で何もかも自分たちの手で作り上げたものだった。

 劇の最中に登場する、子どもたちと先生とで作詞・作曲したというオリジナル曲の合唱を聴いているとき、この歌と物語の根底に流れている、自然に寄せる深く、そして優しい眼差しが伝わってきた。たかが小学校の学習発表会と高を括り、まったく何の期待もしていなかった私の目に、涙が止めどなくあふれてきた。それは紛れもない、A先生の根底に流れているものとの出会いだった。

 翌年、次女が5年生に進級し、A先生は娘の担任となった。それ以来、何度か膝をつき合わせてお話しする機会があり、私たちは導かれるように、教育のこと、環境のこと、地域社会への貢献のこと、他の若い先生方、あるいは大先輩の先生なども交えて夜が更けるまで話し合った。


 そんなA先生も、どうやら4月からの転勤も決まり、より責任ある立場の道へと進まれるようだ。したがって、今年の卒業生が、彼が教育現場で受け持つ最後のクラスとなった。

 卒業式の後、クラスの謝恩会が開かれ、A先生のニュースレターを通して繋がり合っていた保護者の皆さんが大勢参加した。

 謝恩会では、生徒の一人ひとりが両親に宛てた「感謝の手紙」を、皆の前で一人ずつ読み上げて、それぞれの親に直接手渡したほか、これも新たに卒業式に向けて先生と子どもたちとで作詞・作曲したというオリジナル曲の楽器演奏が披露され、最後に父母と子どもたちとが、先生のギターに乗せて一緒にその曲を合唱した。希望に満ちた、どんなに絶望したときでも元気が湧いてくるような爽やかな歌詞とメロディからは、A先生から子どもたちへの、彼らの将来に寄せる深い〝思い〟があふれていた。その演奏と歌は、今も私の頭の中で鳴り響いている。

 A先生、長年にわたる生徒たちへの情熱的な指導、本当にありがとうございました。

 子どもたちは、貴方と一緒に経験した学校でのさまざまな行事を通して、無償で奉仕して何かを成し遂げる喜びを、全身で感じ取ったことでしょう。
 この経験は、彼らの生涯の宝となり、自身の運命を切り開く大きな力となることでしょう。
 貴方と出会えたことを、生徒共々心より感謝しております。
 

  久都間 繁 

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2008年12月22日 (月)

ルンのこと③(次女、長男、次男、家内の手紙)

 身罷(みまか)ったルンちゃんに捧げる、次女(小6)、長男(小3)、次男(6歳)の手紙と、最後に家内の手紙を載せました。


 言葉よ、祈りとともに隠り世へと届けよ!!


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 ルンへ

 生まれたときは、うちのベッドでうまれたね。
 ルンがうちに残るって聞いたときは、本当にうれしかったよ。
 また、うちが生きてる間に生まれてきて会おうね。

 いずみより


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 ルン、ぼくはルンといられて、いままででいちばんうれしかったです。
ルンをだいてると なんだかきもちよくなってほっとします。
 でも、きみはもうどこかにいってしまいました。でも、ぼくは事故でこんなことになるより、こうゆうのでよかったです。
 ルン、いつまでも空でぼくのことをみまもってね。

 まこと


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 るんへ

 てんごくでもげんきにしててね またかえってきてね
 るんのことわ いっしょうわすれないよ

 るん いっぱいいきてくれてありがとう

 また いっぱいあそぼうね

 るんへ
 またいきてきてね てんごくでもげんきにいててね。

 ひろむより


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ルンへ

 うちの4人の子どもたちといっしょに過ごしてくれてありがとう。

 アンのもとに生まれてきてくれてありがとう。

 いっぱい笑わせてくれてありがとう。

 みんなルンが大好きでした。

 また会おうね。

 ルン 楽しかったよ。

 おーばかたっしー
 たらんじょーのすけ

 じゃない

 いい子のルンへ

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2008年12月21日 (日)

ルンのこと②(長女の手紙)

 わが家の愛猫ルンは、昨日、隣家の庭にある空き家となった犬小屋の中で、うつ伏せに坐ったまま眠るように死んでいました。

 昨晩、帰宅すると、子どもたちが亡き愛猫に手紙を書き、お気に入りのTシャツや手作りのクッキーと一緒に、段ボールに入れた亡骸(なきがら)に手向けていました。
 拙(つたな)いながらも彼らの綴った哀悼の言葉が、このまま、遺骸とともに灰になるのはもったいないので、こっそり転載させていただくことにしました。 

 以下に紹介するのは、長女(中三)の手紙です。

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2008年12月20日
大好きなルンちゃんへ

 2005年5月16日、いず(二女)のベッドの上で生まれたルンちゃん。
 一番大きな体だったのに、きょうだいのリンちゃんとランちゃんにいじめられていたから、お父さんが、「この子は残しておこう」と言って、ルンは残ることになったんだよ。

 ルンはよく食べてよく寝る子だったから、大きくなったね。
 いつのまにかアン(母ネコ)の2倍くらいになってたよ。

 ルンて名前を付けたのは、単純に最初のはラン、リン、ルンしている子になるように、明るい子になるようにって意味を付けたんだよ。
 ルンは名前のとおりに育ってくれました。いつもみんなを笑わせてくれました。つらいことがあっても、ルンを見てるといやされたんだよ。ルンはよく怒られたけど、それはみんながルンを大好きだったからなんだよ。

 男の子のくせにかわいい顔してるルンは、近所の人からも愛されてたんだよ。
 ルンを見てると、がんばろうって思えたんだよ。本当に本当に大好きだったよ。今でも大好きだよ。きらいになったりしないよ。ルンが死んでも、絶対に忘れない。大好きすぎるよ。みんなルンを大好きなんだよ。大好き大好きこんな紙に書ききれないくらい大好き。
 しばらくいなくなっても、絶対生きてるって信じてたのに、どうして? 早すぎるんじゃない? ばか。大ばか。なんで、ひとん家(ち)で死ぬんだよ。

 ごめんねルン。吐いてるとき、またいつものことだと思って外に出してごめん。あれが最後なんてひどすぎるよね。もっといろんなこと話したかったよ。もっと抱きしめてあげたかったよ。早いよルン。早すぎるよ。ひどいよ。ごめん。

 いずから聞いたとき、うそだと思った。ルンが死ぬわけないと思った。信じられないでしばらくボーッとしてた。犬小屋にいるルンを見ておどろいたよ。冷たいあなたは私のルンだった。わが子を失ったような気分だったよ。

 猫のくせに「犬」「犬」「犬」っていっぱいシール貼ってあるところで死ぬなんてやっぱりルンだよ。人の家の庭で死ぬなんてばか。めいわくかけちゃうじゃん。こんなに泣いたのは初めてかもしれないよ。ルンをどれだけ愛してたか分かってくれる!? 私がいつかまたこの世界に生まれてきたら、また会いましょう。あ、その前に、後50年位たったら、また天国で会いましょう。

 ルンとすごした毎日の5年間は宝物だよ。本当にありがとうルン。こんなにすてきな時間をありがとう。

 ルン、これからは天国から見守ってて。私の成長を見守ってて。ルンを心の支えにしてがんばるからね。私は強くなるからね。これからしばらくしたら、あなたを埋めようと思います。お墓を作ろうと思います。つらいことやうれしいことや、ルンに言わなきゃって思ったことがあったら、そこに行くから。ちゃんとむかえてよね。この手紙とスマイリーのTシャツを入れておくね。
 ルン、ごめんね。赦して。そしてありがとう。本当にありがとう。大好きです。愛しています。今も、これからも。ずっとずっとずっと。

あゆみより。あなたの母より。

P.S.あなたを犬小屋で見たとき、いつもみたいにねてるだけかと思ってしまいました。それほど安らかでした。
ルン、またいつか会えるよね。ではまた、その日まで…。

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2008年12月20日 (土)

ルンのこと①(娘たちへの手紙)

 わが家で長年飼っていたネコが、数日前から姿を見せなくなっていました。

 朝晩の冷え込みが激しかったので、たぶんどこかで身罷(みまか)っていることだろうと思っていましたが、今日のお昼前に、私のケータイに、学校が休みだった娘たち(中3と小6)から相次いで、泣きながら電話が入りました。

「ルンが、ルンが…冷たくなって……」と、二人ともわれを忘れて電話口で泣きじゃくっていました。

追悼をかねた手紙を娘たちに書いたので、公開します。

(ルンはネコの名前です)

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あゆみちゃん、いずみちゃんへ

ルンのこと

 これまで、わが家でいっしょに暮らした、何年もの歳月のこと、いろいろなことを思い出しながら、お昼にずっと祈っていました。

 ルンはやっぱり、動物の姿となって私たちの前に現れた、神様の化身(けしん)だったのだと思います。

 きょうだいの生長を見守りながら、まるで静かな道化師(ピエロ)のように、私たちの生活になくてはならない存在でした。

 そんなことも、いなくなってみて初めて、いまさらのように気が付きます。

 それほどわが家に溶け込んで、ときには愛の潤滑油(じゅんかつゆ)となり、ときには小便たれの憎まれっ子となり、またときにはヒロちゃんはじめ兄弟姉妹の良き親友となって、愛され続けてきました。

 天国に帰っていったルンに、心から感謝して、旅立ちを見おくりましょう。

 ルンの亡骸(なきがら)は、お母さんが帰宅してから、土方さんの庭に引き取りにいきます。それまで待っていてください。

お父さんより

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2008年7月12日 (土)

夏あり、冬あり

 昨日、次女が学校のベランダに落ちていたという、スズメの子を拾ってきた。

 また「やっかいなものを拾ってきたものだ」と、見てみると、生まれてから、まだ数日しか経っていない様子だった。

 一夜明けて、早朝に覗いてみたら、もう、はかないものとなっていた。

 わが家には7人の人間が住んでいるが、それに比例するように飼っている動物の数も多い。

 現在は猫2匹、犬1匹、亀1匹、金魚1匹、サワガニ数匹、カブト虫3匹、さらに下の男の子2人は隠れたところで芋虫や丸虫まで飼育しているらしい。もっとも昆虫の方は季節によって種類が変化するため、来月には現在の数倍に達することだろう。

 また、動物が多い分だけ彼らの死に遭遇する機会も多い。

 その亡きがらは、家に隣接する畑に埋葬しているらしい。

 この時期、畑ではキュウリやナス、トマトなどが収穫の時期を迎え、わが家の食卓を彩っている。

 もうすぐ、長い夏休みが始まる。

 現象的には「生」あり「死」あり、夏あり、冬がある。

 現象そのままに、大生命の側から見れば、雄渾なる生のみが久遠に展開する生き通しの世界。

  生長無限、歓喜無限。暗なく、病なく、死もなく、生のみの世界なのである。

 十方世界光明遍照、吾が全身光明遍照。

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2008年7月 3日 (木)

ツバメの巣

 今から7年ほど前、青梅に越して来た春のこと、我が家の玄関灯の上にツバメが巣を掛けた。
 つがいのツバメが毎日ひっきりなしに土を運んで巣作りをしていたが、ある日を境に、どこかへ立ち去ってしまった。

 家族中でヒナが孵(かえ)るのを楽しみにしていたが、果たして玄関灯を灯したのがいけなかったのか、猫を飼ったので警戒してしまったのか、それとも子供たちが観察しすぎたせいなのか、家内と考えを巡らせてみたものの、やがて関心は目前の子育てや生活へと移り、玄関灯の上には三分の二ほど仕上がった巣が、そのまま鎮座したまま歳月が過ぎていった。

 そして今年の春、新たなつがいがこの巣を発見し、巣作りを始めた。

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 私たちも万全を期して、玄関灯のスイッチが入らないようにテープで固定し、猫に襲われないよう玄関周りをきれいに片づけた。

 1カ月ほど経った6月下旬、ついに5羽のヒナが孵った。

 ツバメのヒナは、生きている昆虫を主食としているため、彼らの親は早朝から夕暮れまで一刻も休まずに、捕獲した餌を大車輪でヒナたちに運んでいる。
 何の迷いもなく、黙々と無心に働くそこには、生命のいとなみの純粋な姿が現れていて、見ているだけで尊くなる。

 7月3日の今朝、巣を見上げてみると、ヒナたちはすでに巣からあふれそうになるほど大きく成長していた。あと一週間も経てば巣立つことであろう。

 巣の構築から、雛の巣立ちまで足かけ7年。

 一見、誰からも忘れ去られた空白と見える時間の中で、秘かに何ものかが着実に熟成を遂げ、巣立ちの時を待っていたのかもしれない。

 内なる夢の実現と、とてもよく似ているように思う。

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2008年6月22日 (日)

「秋葉原事件」について

 昨夜、久しぶりに早く帰ってみると、6年生の次女を座長に3年生の長男、年長組の次男の3人が、カードゲーム「UNO」なるものに遊び興じていた。
 
 目下の弟どものことを知悉している座長(次女)は、彼らを後目に軽妙な舌戦を仕掛けながら、今このカードを切ったらこの子は泣いちゃって遊べなくなるな、ここで自分だけ上がってしまったらケンカになるぞ、など相手の顔色や心理を読みつつ、嬉々としてゲームを進めていた。

 私は、「この子はマージャンに向いているかもしれない」などと感心しながら徳利を傾けていたが、ふと「秋葉原無差別殺傷事件」の加害者は、子供の頃どのような遊びをしていたのだろうかと思った。

 スポーツをはじめ「UNO」やトランプなど、人間同士が直接野外や卓上で遊ぶゲームには必ず喜怒哀楽が伴い、そこに知識や技術を超えたゲームの奥深さや味わいが生まれる。

 わが家では、テレビゲームは学習用ソフトを除いて基本的に禁止しているが、人間が直接ふれ合うことで成立するリアルなゲームと、プログラムを相手にするテレビゲームとの違いとは何だろうか。

 ただ一つ言えることは、テレビゲームに登場する相手(キャラクター)は、喜怒哀楽が完全に欠落しているということだ。

 どの勝負であれ人間同士の対戦では、①「知能」②「技術」③「感情」、この三つの要素が複雑に加わることでゲームの勝敗が決するのではないだろうか。

 なま身の人間と対戦しないテレビゲームでは、参加する人間の側にのみ①「知能」②「技術」③「感情」の三要素が成立しているが、相手となるキャラクターの側には①「知能」②「技術」しか存在しない。

 勝負とは、つまり①「知能」戦、②「技術」戦、③「感情」戦を、双方向的な遣り取りを通して総合力で競うのが本来であるが、ゲームに登場するキャラクターとの対戦では、③「感情」戦については、相手からの反応を得ることができないため、相手の喜びも怒りも悲しみも楽しみも嘆きも、こちらに伝わって来ることはない。

 通勤途中の電車の中で、猟奇的なゲームソフトの宣伝が、広告用の液晶画面に流れることがある。そこでは、大刀を持った武者のような主人公が、数え切れないほどのサムライや怪物を、バッサバッサと切り捨てるシーンが目に飛び込んでくる。

 テレビゲームでは、なぜこれほどまでに「死」が軽んじられているのか。なぜ、これほどたくさんの生き物を殺すことが出来るのか。
 それは、相手に「感情」が存在していないことが明白だからであろう。「感情」が存在していなければ、それは“生き物”ではなく、ただの「もの」に過ぎないわけであるが、バーチャル空間の場合は「者」であることも、「物」であることすらも成立しない。つまりスイッチ一つ、リセットひとつで現れたり消えたりする対象に、いちいちそんなやっかいな“思い”を抱くことができないのは当然のことであろう。「感情」のやりとりのないところに、「思いやり」や「優しさ」が成り立たないのも当たり前の道理である。徹底的に痛めつけたとしても、その対象からは微塵も「人格」や「痛み」や「悲しみ」を感じることはできないのだから――。

 リアル(現実)の世界での「知能」、「技術」、「感情」による遊びを十分に経験していない子供が、一人バーチャル(仮想空間)で、「感情」の完全に欠落した、「者」でも「物」でも、そして「モノ」でもない“相手”と遊ぶ。

 努めて想像してみてほしい。

「無差別殺傷事件」が、なぜあのような場所で発生したのか。
 防止するには、どのようにすればいいのか。

 そして、子供にふさわしい“遊び”とは、何なのかということを。

 政治やイデオロギーや思想を越えて、それぞれの家庭や地域で取り組まなくてはならないことがたくさん見えてこないだろうか。

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「秋葉原事件」について

 昨夜、久しぶりに早く帰ってみると、6年生の次女を座長に3年生の長男、年長組の次男の3人が、カードゲーム「UNO」なるものに遊び興じていた。
 
 目下の弟どものことを知悉している座長(次女)は、彼らを後目に軽妙な舌戦を仕掛けながら、今このカードを切ったらこの子は泣いちゃって遊べなくなるな、ここで自分だけ上がってしまったらケンカになるぞ、など相手の顔色や心理を読みつつ、嬉々としてゲームを進めていた。

 私は、「この子はマージャンに向いているかもしれない」などと感心しながら徳利を傾けていたが、ふと「秋葉原無差別殺傷事件」の加害者は、子供の頃どのような遊びをしていたのだろうかと思った。

 スポーツをはじめ「UNO」やトランプなど、人間同士が直接野外や卓上で遊ぶゲームには必ず喜怒哀楽が伴い、そこに知識や技術を超えたゲームの奥深さや味わいが生まれる。

 わが家では、テレビゲームは学習用ソフトを除いて基本的に禁止しているが、人間が直接ふれ合うことで成立するリアルなゲームと、プログラムを相手にするテレビゲームとの違いとは何だろうか。

 ただ一つ言えることは、テレビゲームに登場する相手(キャラクター)は、喜怒哀楽が完全に欠落しているということだ。

 どの勝負であれ人間同士の対戦では、①「知能」②「技術」③「感情」、この三つの要素が複雑に加わることでゲームの勝敗が決するのではないだろうか。

 なま身の人間と対戦しないテレビゲームでは、参加する人間の側にのみ①「知能」②「技術」③「感情」の三要素が成立しているが、相手となるキャラクターの側には①「知能」②「技術」しか存在しない。

 勝負とは、つまり①「知能」戦、②「技術」戦、③「感情」戦を、双方向的な遣り取りを通して総合力で競うのが本来であるが、ゲームに登場するキャラクターとの対戦では、③「感情」戦については、相手からの反応を得ることができないため、相手の喜びも怒りも悲しみも楽しみも嘆きも、こちらに伝わって来ることはない。

 通勤途中の電車の中で、猟奇的なゲームソフトの宣伝が、広告用の液晶画面に流れることがある。そこでは、大刀を持った武者のような主人公が、数え切れないほどのサムライや怪物を、バッサバッサと切り捨てるシーンが目に飛び込んでくる。

 テレビゲームでは、なぜこれほどまでに「死」が軽んじられているのか。なぜ、これほどたくさんの生き物を殺すことが出来るのか。
 それは、相手に「感情」が存在していないことが明白だからであろう。「感情」が存在していなければ、それは“生き物”ではなく、ただの「もの」に過ぎないわけであるが、バーチャル空間の場合は「者」であることも、「物」であることすらも成立しない。つまりスイッチ一つ、リセットひとつで現れたり消えたりする対象に、いちいちそんなやっかいな“思い”を抱くことができないのは当然のことであろう。「感情」のやりとりのないところに、「思いやり」や「優しさ」が成り立たないのも当たり前の道理である。徹底的に痛めつけたとしても、その対象からは微塵も「人格」や「痛み」や「悲しみ」を感じることはできないのだから――。

 リアル(現実)の世界での「知能」、「技術」、「感情」による遊びを十分に経験していない子供が、一人バーチャル(仮想空間)で、「感情」の完全に欠落した、「者」でも「物」でも、そして「モノ」でもない“相手”と遊ぶ。

 努めて想像してみてほしい。

「無差別殺傷事件」が、なぜあのような場所で発生したのか。
 防止するには、どのようにすればいいのか。

 そして、子供にふさわしい“遊び”とは、何なのかということを。

 政治やイデオロギーや思想を越えて、それぞれの家庭や地域で取り組まなくてはならないことがたくさん見えてこないだろうか。

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2008年4月28日 (月)

聖胎長養

友人から届いた手紙への返信です。

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合掌、ありがとうございます。

メールを拝見させていただき、貴方様の魂が、ますます無限生長をされていることを嬉しく拝察させていただいております。

神様以外にはない世界のなですから、不完全と見える教育法も教師も、病気も、これらの一切のもの(つまり不完全な現象)は、本当は相手にする必要はないのです。
(相手にして認めていればいつまでも不完全な状態が付いてまわるのです。それが心の法則です)

ですから実相を直視するとは、「神様の世界に入ってしまう!」ということです。

つまり、私たちの生活が、神様のみを相手にした生活となり、私たちの住む世界が、神様のみを相手にする世界となることです
神様の世界は、智慧、愛、生命に満ちた大調和の世界であり、すべての人間は「神」であり、「仏」そのものなのですから、私たちは、「ただただ拝む」こと、「ただただ感謝する」こと以外にない(つまり完全なる全托、自我の完全放棄、感謝礼拝三昧な)のが「実相直視」なのです。

しかし、これには「慣れ」が要ります。谷口雅春先生も、「悟りに慣れる」のに時間を要した、ということをどこかのご著書で回想されています。
仏教などでは、これを「聖胎長養」といって、悟りの最後の段階の重要な修行と位置づけています。

あせることなく、うまずたゆまず「聖胎長養」してください。
はじめのはじめから、光明一元の世界なのですから、それを信じて、その世界に生まれ変わることが「人間・神の子」の誕生であり、「一人悟れば九族天に生まれる」ということです。

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2008年4月 9日 (水)

一人出家すれば

 友人から届いた手紙への返信です。

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実相直視は、貴方の努力精進によって達成できるようなもので

はありません。

生長の家には、「全托」という言葉があります。
この言葉の意味は、

すべては神である、神以外のものは存在しない。善一元、光明一元の世界のみを信じて、すべてを善なる神に委ねよ。

ということを表現しています。

その神様の世界に、すべてを托した完全な安らかさ、自力のまったく要らない、自力をまったく必要としない、自分というものの要らない世界――

それは、無いもの(現象)を「無い」と、はっきりと断ち切ったところにのみ、見出すことができる金剛不壊の世界です。

それが、生長の家が明らかにした実相世界です。

貴方が生きているのではない、神が貴方を生きているのです。

お子さんが生きていると見るのは現象です。完全円満なる神が、光明一元なる神のみがお子さんを生きているのです。その事実(実相)を安らかに「ハイ!」と受けとることが、実相直視です。

すべてを善一元の神に托して、自力による一切の努力が無くなること、それが「一人出家すれば九族天に生まる」ということです。

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2007年12月22日 (土)

巨大ショッピングセンター

 私の住んでいる青梅市から山一つ越えた町に、巨大なショッピングセンターが出現した。2007年末のことだ。

 ショッピングセンター周辺には日の出町、武蔵五日市市、あきる野市などがあり、これらの町を貫通してJR武蔵五日市線が走っている。終点の武蔵五日市駅周辺は、山に囲まれた市街と寄り添うように、街道には昔ながらの風情ある商店が立ち並び、長い時間を経て築かれたであろう地方都市の美しく完結した姿が見てとれる。

 しかし巨大ショッピングセンターの出現は、否応なく、これら古くからある地元の商店街に影響を及ぼすことであろう。

 わが家には中学生を筆頭に5歳の幼稚園児まで4人の子供がいる。家の近くのバス停には、客があまり寄りつかない小さな酒店があり、そこには夏も冬もアイスクリームのボックスが置いてある。近所の子供たちはそこの常連さんで、わが家の5歳の子までが、小銭を握りしめて1人でアイスを買いに出かけて、ちゃんと売買を成立させている。酒屋のジイさんともなじみとなり、いつぞやは定価に数十円足りないにもかかわらずちゃんとアイスを買ってきていた。

 そんな光景を見ていると、かつて私が小学生だったころの風景が脳裏に浮かんできた。私は静岡県の山間の村に育ったが、そんな場所でも子どもが足を運べる数キロ四方の範囲に4~5軒の駄菓子屋があった。

 店には大きさや味や値段の違う自家製のおでん、景品の並んだ1回5円也のクジ、紙袋にささやかな玩具を入れたサグリ、王冠の裏をめくったら当たり外れが出てくる炭酸飲料。今では見かけないものばかりだが、駄菓子屋周辺は子どものたまり場となり、親からもらったささやかな小遣いの使い道は、当時小学校低学年だった私たちの脳裏を駈けめぐり、生活の重要な領域を占めていた。

 ある日、クジの景品で陳列されていた拳銃が無性に欲しくなり、何日も挑戦してみたが、なけなしの小遣いは空しく消えていった。意を決して親の財布からお金をくすね、景品欲しさに駄菓子屋に勝負に出かけたことがあった。小箱に盛られた切手大のクジを一枚一枚めくり、さあ当たるぞ、もう当たるぞ、これで当たるぞ、とめくっていったが、最後の一枚をめくり終えても、とうとう当たりは出てこなかった。呆然としていると、なんとも言えない汚れた悲しみがこみ上げてきた。後日、その景品の拳銃が商品として売られていたのを見て、忸怩(じくじ)たる思いをしながらもすべてを了解した。

 ふり返ってみれば、駄菓子屋のさまざまなタイプのおばさんたちと触れあうことで、かつての子どもたちは小さなヤケド、思わぬ行幸などを繰り返し経験しながら、人間の多様な側面を見せられつつ渡世のいろはを学んでいたのである。

 ショッピングセンターやコンビニの出現は、大人にとって便利である反面、子どもから、重要な社会教育の「場」を奪っているのかもしれない。もったいないことである。

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2007年8月25日 (土)

蝉の抜け殻

 子どもたちは蝉の抜け殻が大好きだ。

 たぶん抜け殻の方でも、子どもたちのことが、大好きなのではないだろうか。

 あの奇怪な姿、あの飴色の輝き、あの、ちょうど手の届くところに止まっているその高さ。

 蝉の抜け殻は主人公が去った後で、子どもたちの夏を豊かにいろどっている。

 主人公は天空に羽ばたいて大きな鳴き声で盛夏をうたいあげている。

 抜け殻はじっとしたまま、無言で晩夏を奏でている。

 そして双方ともに、跡形もなく消えてゆく。

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