私は結婚して今年で21年目になる。
その間、仕事の関係で関西と東京で生活してきたが、かつて残業が続いて一週間も子どもと会話をしていないことが、ときどきあった。
そんなとき、なんとなく子どもたちの心が離れてしまったことが分かるものだ。
彼らの態度が妙によそよそしくなり、“お父さんなんか居てもいなくても全然関係ない”といった世界に住み始め、努めて会話を試みてはみるものの、どうも取り付く島もないような状態になってしまうものだ。
これは多くのお父さんのみならず、忙しく働いているお母さん方も、ときに感じることがあるかもしれない。
こんなとき、それぞれの家庭では、コミュニケーション不足を補うための、いろいろな工夫が為されていることだろうと思う。
わが家でも、子どもが幼いころは、努めて早く帰宅して抱きしめたり一緒に風呂に入ったり、休みの日に野山を散策したり、即興でつくった物語りを聞かせて大笑いさせながら一緒に眠ったり、いろいろな工夫をして心を通わせたものだ。
しかし子どもが中・高生になると、これらの方法が功を奏しなくなる。ことにきょうだいが多い(わが家は4人)場合は、どうしても行き届かないことも出てきたりする。
身も心も大人へと成長しつつあるこの時期の子どもにとって、実はこれからがいよいよ大人の経験や知恵を必要とする、大切な時期なのだ。
さて、皆さんはどのようにしてこの時期を乗り越えているのだろうか。
放っておくことも一つの手かもしれない――
しかし、つい先月、娘の通う中学校の生徒が、メモに親への感謝の言葉を書き遺し、誰にも告げずに、誰にも相談することなく、イジメなどのハッキリした理由もないのに自殺してしまうというショッキングな事件があった。
子供が一人で、黙って死を選ぶ、彼にどんな孤独や、辛い思いがあったのかは、今となっては知るよしもない。が、放っておけば雑草が蔓延(はびこ)り荒れ果てるのは、人の心も同じなのかもしれない。
この事件を機に、私は、あらためて親子間のコミュニケーションについて考えさせられた。
もしかしたら皆さんの参考にもなるかもしれないので、わが家で始めたささやかな工夫の一つを紹介させていただこうと思う。
それは至って簡単なことである。
「子供からの問い掛けに、耳を傾けること。そして一緒に答えを探してあげること」
これに尽きるのではないかと思った。そして、とても大切なことは、先の言葉の前に、
「どんなに忙しいときでも――」
という一句を添えて実践することだ。
そうすれば、もし子どもたちが自殺したくなってたとしても、どこかでその信号をキャッチする機会が生まれるはずである。また、それ以前に、親子間の深い信頼関係を構築できることが、何よりも重要なことなのだ。
それは、「どんなに忙しくても、あなたのことを第一に考えているんだよ!」という親から子への、明確なメッセージをもって生活することになるからだ。
しかし簡単なことのようでいて、これを実践するには「親の側」に、意外なほどの心的努力が要る。
ついつい、
「今、忙しいから!」
「今、仕事をしているから!」
「今はダメだから!」
と、言ってしまうのだ!
心ならずもそんなことが何回か重なれば、もう子どもたちの脳裏にひらめいた宝石のような問い掛けは、どこか空の彼方へと消し飛んでしまうかもしれない。
(かく云う私も、どれほど宝石を扱い損ねてきたことか(^^;)
しかし、私たちの人生の中で「子育て」の時期というのは、意外なほど短いということも忘れてはならない。
ことに小学生から中・高生にかけての多感な時期は、彼らの長い人生の中のほんの数年にすぎず、この大切な時期を逃したら、よほどのことがない限り、彼らは私たちに対して自由に心を開いて問い掛けることを、あきらめてしまうかもしれないのだ――
――でもご安心いただきたい。
たとえどんなに「手遅れになった!」と見えたとしても、
「彼らからの問い掛けに真摯に耳を傾けること。そして一緒に答えを探してあげること――」
人生で出会う全ての人のことを祈りながら、この時の来るを待ち続けていれば、成人したわが子のみならず、どのような大人でも、やがて天来のタイミング(導きのとき)が必ず訪れるのである。
そのときが、彼らが心を開き、彼らと心を通わせることのできる、神様に導かれた時節なのである。
ただし子供のときと比べて、たっぷり待たされるかもしれない!
しかし、私たちには永遠の生命が宿っているのだから、なにもあせる必要はない。
祈りつつ、ご縁ある人たちの魂の成熟を待つ時間くらい、この広大な宇宙のいとなみと比べたら、ほんの一瞬なのだ。
しかしその一瞬の内に、人間・神の子の神性・仏性が芽生え、生長して華を開き、やがて「実相」の実を結ぶのである。
久都間 繁
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