昨年の12月上旬、インドネシア・ジャカルタの高校で、学生を対象に「生長の家」のお話をさせていただきました。
参加した教師と学生のほとんどがムスリムのため、イスラームの聖典『コーラン』の一節にある、普遍的な真理と思われる教えの“中心部分”を表現したコトバを引用しながら、演題を「“いのち”に授けられた宝物」と題して、私たちの内から切実に湧いてくる「夢」や「願い」は、神様から授けられたものであることについてお話しました。
また、「コーラン」に説かれたアッラー(神)の恩恵を現す「神兆(みしるし)」について紹介した上で、――私たちは神様の愛に取り巻かれており、それは太陽や月や星や雨や海や植物の(など自然からの)恵みとなり、祖父母や父母兄弟の家族や友人や先生方の愛となって、私たちを生かしている――
という話をして、最後に、「皆さんの“夢”は、神様から授けられたのだから決して遠慮してはいけないし、あきらめたらだめだ! それは君たちのためだけではない、皆さんの夢が実現することを大勢の人が待っているのです!」とお話させていただきました。
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皆さま、こんにちは。
今日は、皆さんお一人おひとりの“いのち”に授けられた宝物について、お話したいと思います。
ここにいる皆さんは、きっと将来の「夢」をお持ちだと思います。
たとえば「大好きな仕事をしたい」とか、「結婚して幸せな家庭を築きたい」とか、「両親に悦ばれたい」といった“夢”や“願い”を持っているのではないでしょうか。
皆さん、いかがでしょう。自分の中にある“夢”や“願い”について、今、眼を閉じて静かに見つめてみましょう――。
いかがですか。それぞれ、思い当たるものがありましたでしょうか。
ここで、私がお伝えしたいことは、その「願い」や「夢」こそが、実は皆さんお一人おひとりに授けられた最高の宝物だ、ということです。それは要するに、皆さんが人生で幸福な生活を実現するための「幸せの種(たね)」なのです。
皆さんの内なる「幸せの“種”」を育て、「夢」の実現を手助けすることが、この学校で勉強することであり、先生方がここで教えてくださることの目的です。
ですから先生方は、皆さんの「夢」や「願い」が人生を通して実現することを、いつも願っているのです。
なぜなら、皆さんのうちにある「幸せの“種”」から芽が出て、やがて花を咲かせ、実を結ばせることこそが、皆さんがこの世界に生まれた目的であり、他の誰とも代わることのできない、皆さん一人ひとりに授けられた大切な使命だからです。
では、その「願い」や「夢」の“種”は、いったい誰が授けてくれたのでしょう。
皆さんは、自分で考えて作ったと思いますか。それともご両親が授けてくれたと思われますか。あるいは学校の先生が授けてくれたのでしょうか。
以上の人たちは、皆さんに降り注ぐ太陽のように、皆さんの「夢」や「願い」が地上に花咲くための手助けをしてくださっていることは間違いありません。しかし、皆さんに「夢」や「願い」を授けたのは、それは慈愛に満ちた創造主である神様(アッラー)が授けてくださったのです。
ですから、皆さんの「願い」や「夢」がこの世界で花咲き実現することは、神様の御心が実現することでもあるのです。
また、皆さんが「夢」や「願い」の実現に向って悦び勇んで生きることこそが、神様の悦びなのです。
もっと言えば、皆さんの「夢」や「願い」が実現することを、実は神様が無限の知恵と愛とチカラを持って、ちょうど大地に降り注ぐ太陽や雨がパパイヤの木やマンゴーを育てるように、ご両親や先生方を通して、全面的に後押ししてくださっているのです。
そこで今日は、みなさんの内に在る「夢」や「願い」について一歩踏み込んで学んでみたいと思います。
さて、ここではムスリムの方が多くいらっしゃると思いますが、コーランの50章16節には、次の言葉が書かれています。
「われ(アッラー)は彼の頸(くび)の血管よりも近くにいる」(50章16節)
この「われ」というのは、アッラーのことです。神様は私たちの「頸(くび)の血管よりも近くにいる」とは、どういうことかと言いますと、神様は私たちの“最も近くにいる”ということです。
もっとハッキリ言えば、「内に在る」ということです。つまり神様は、私たちの内にあって、私たち一人ひとりとなって生きている、ということです。
皆さんは、お父さんとお母さんの子供であることはもちろんですが、それと同時に、偉大なるアッラーの子供でもあるのです。
ですから、どんなに実現できそうもない「夢」や、今の自分とは懸け離れたように見える「願い」であっても大丈夫です。
豆粒のような“種”が、やがて樹木となり立派な花を咲かせ、たくさんの果実を実らせるように、いつもアッラーと共にあることを喜び感謝していれば、「夢」や「願い」を叶える道が、必ず開けてくるのです。
たとえば皆さんは、せっかく「夢」や「願い」という「幸せの“種”」を持ちながらも、現在の貧しさや、自分の能力の足りないところだけを見ている人はいませんか。
たとえば私の家にはお金が無いから「夢」を実現できないとか、私は能力がないからダメだとか、頭が悪いから無理だ、なんて思っている人はいませんか?
それは神様を信じているのではなく、ただの心の現れである「現象」を見ているだけなのです。
私たちが今まで考えてきたこと、思い込んでいたことが、「現象」となって目の前に現れているだけにすぎないのです。
一粒の種が豊かな実りをもたらすように、皆さんは、神様に授けられた「願い」を、感謝と喜びをもって努力することで、どれだけでも運命を開拓するチカラが湧いてきます。
より豊かな、より悦びに充ちた、より善き運命を、皆さんの人生に実現する秘訣がここにあります。
皆さんの内にある「夢」のツバサを、心の限り大きく広げてください。そして皆さんの「願い」が、人生に必ず実現することを伸び伸びと悦んでください。
そして、今できる一つ一つのことに一所懸命に取り組んでください。それが「夢」や「願い」を叶えるための道です。
そしてまっすぐに、あなたの「夢」や「願い」や「希望」に向って、黙々と進んでください。
コーランの第51章20-21節には、次のコトバが説かれています。
「そして地上には、信仰心の篤い者への御徴(みしるし)が多くある。汝らの中にもある。それでも汝らは見ようとしないのか」(第51章20-21節)
このコトバは、神様は、どこかの遠い彼方にいるのではなく、常に皆さんと共にある、ということを伝えています。
そして今現に、神様が皆さん一人ひとりの“いのち”となって生きているのです。その神様の御心が、皆さんの内から、絶えず“願い”となり“夢”となって喜びのメッセージを発しています。
「幸せになりたい」「豊かになりたい」「すばらしい相手と結婚したい」「幸福な家庭を築きたい」「夢をかなえたい」これらの明るい、悦びと希望に満ちた“願い”は、すべて皆さまの内なる神様から発しています。
なぜなら神様は、はじめから満ち足りており、幸福であり、悦びそのものだからです。したがって、神様の子供である皆さんもまた、満ち足りたい、幸福になりたい、悦びたい、という“願い”が自然に湧き起こってくるのは当然のことなのです。
だから皆さん、心の底から湧いてくる“願い”を遠慮してはいけません! “夢”をあきらめてはだめです! それは自分のためではありません。あなたの“夢”が実現することを、多くの人が待っているのです。
天地に満ちている“神のいのち”を豊かに感じよう
さて、視野を大きく広げてみれば、神様は皆さんの中にあると同時に、皆さんに光りを降り注ぐ太陽となって現れています。
また、私たちが住む地球となり、海となり大地となり、私たちを取り巻く空気となり、水となり、火となって現れています。
また、皆さんのお父さんとなり、お母さんとなり、おじいちゃん、おばあちゃんとなり、兄弟姉妹となり、学校の先生となり、友だちとなって現れています。
つまり皆さんは、神様の“愛”と“生かす力”に取り巻かれていると同時に、神様は皆さんの内にも満ちているのです。つまりこの世界は神様に満ちあふれている、と言えるのです。
最後にコーランの数節(16章10-13節)を拝読して、今日の話をまとめてみます。
彼(神様)こそはお前たちのために天から水を降らせて下さるお方。それが飲み水にもなれば、またそれで樹木が(育って)お前たちの家畜の飼料ともなり、また(神様は)それでお前たちのために穀物やら、オリーヴやら、棕櫚(しゅろ)やら、葡萄(ぶどう)やら、そのほかありとあらゆる果実を育てて下さる。まことにこれこそ、ものを考える人にとっては、まぎれもなく神兆(みしるし)というべきではなかろうか。
またお前たちのために夜と昼、太陽と月を使役して下さった。それから星々もまた御命令によって使役されている。まことにこれこそ、もののわかる人にとっては、まぎれもない神兆というべきではなかろうか。
またお前たちのため地上にたくさん作り出して下さったもの(動物や植物)の種種様々な色どり――まことにこれこそ、注意ぶかい人にとっては、まぎれもなく神兆というべきではなかろうか。 (16章10-13節)
ここには、神様の「神兆(みしるし)」について説かれていますが、ここでとても大切なことは、神様の「神兆(みしるし)」を豊かに感じることのできる人は、「ものを考える人」「もののわかる人」「注意ぶかい人」と説かれていることです。
つまり、これとは逆に、「ものを考えない人、もののわからない人、注意が散漫な人」は神様を感じることができない、ということです。
皆さん、動物や植物が生長することの不思議や、夜空に浮かぶ星の美しさ、朝日や夕日など自然現象の美しさを豊かに感じてください。
そしてお父さんお母さんをはじめ皆さんを見守る人々の愛や思いやりを思い出してください。
これらの全ては慈愛深き神様の恵みそのものなのです。
この神様の神兆(みしるし)のひとつ一つを注意深く観察し、心から感謝しましょう。
私たちを取り巻く神様の恵みを豊かに感じて、神様の恵みの中に生かされている喜びをかみ締めてみましょう。
それでは、ただ今から紙を配りますので名前を書いてください。これから10分ほど、皆さんを取り巻く神様の恵みを1つ1つ思い出しながら、感謝をこめて書いてみましょう。
その後で、皆さんの将来の“夢”や“願い”を書いてみましょう。どうぞ始めてください。
(このとき、ホワイトボードに次のように明記しました)
①私の周りに満ちあふれている神様の恵み
②私の将来の“夢”や“願い”
※書き終えた後で、何人かの人に発表していただきました。また、これを自宅の机の前に貼って神さまに感謝していれば、それぞれの夢が叶うことをお伝えしました。
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