ヒンドゥー教

2005年10月30日 (日)

インド中世神秘主義(3)

③ ダードゥー―ムガル帝国への影響

 職工カビールの弟子で、これもイスラム教から改宗した職人、綿すき人夫をしていたダードゥー(1544~1603)という人物がいる。

 先ず、少し長くなるが彼の美しい「詩」を紹介しよう。

『この宇宙の美しさを眺めるとき、私は思わずたずねないではいられない。おお主よ、いかにしてこれを創りたまいしか。いかなる突然の歓喜の波が、あなたの存在から流れ出て、自己を顕現せしめたのか。あなたが宇宙を創造されたのは、真に自己表現のゆえか、それとも、単に感情に動かされたためなのか。あるいはまた、創造の遊戯にふけろうという一時の気紛れのせいなのか。この創造の業はあなたにとっては、それほどまでに歓喜なのか。あるいはまた、生得の喜びが形となって表されるのを見たいと願われたためなのか。
 
  おお、これらの問いに、どうして言葉によって答えることができようか。これらを知る者のみが、それを理解できるであろう。
 
  あなたの創造された、この宇宙、すなわちこの水、そよ風、それらを湛える大地、山脈、大洋、雪をいただく極、燃えさかる太陽、そのすべてに私は心を奪われた。なぜなら天、空、地の三界を通じてのあらゆる生き物の間にあって、私を魅了するのはあなたの奉仕、あなたの美しさだからである。誰にあなたを知ることができよう。おお、見えず、近づけず、うかがい知ることのできない者よ。私は、あなたを知ろうとは思わない。私は、あなたが創られた宇宙の美しさに狂喜し、あなたとともに、それを喜ぶことで満足している。                         (『ヒンドゥー教』155~156頁)』

 このダードゥのコトバは、最も純粋な形で現された「信愛の道(バクティ・マールガ)」の思想だといわれている。

 ダードゥーの「神の創造」についての見解は、

「いかなる突然の歓喜の波が、あなたの存在から流れ出て、自己を創りたまいしか」

「この創造の業はあなたにとっては、それほどまでに歓喜なのか」

「生得の喜びが形となって表される」

 つまり「神の喜び」が即ち「神の創造」である、ということである。 

 神の創造とは、神の「喜びの流出」であり、それを感受したダードゥー自身も「狂喜」したのである。これはユダヤ哲学のハイダス・クレカサスの見出した神、つまり「流出する善性」による天地の創造と、好一対ともいうべき「善なる神」の創造を讃えた美しい思想ではないだろうか。

 ダードゥーは多くの宗派を統一するために、「ブラフマ・サムプラダーヤ」を結成。ここでは各宗派の儀礼や正統的慣行に縛られることなく、自由な形式で神に祈ることを可能にした。

 この団体のモットーは、「我執の放棄、神への礼拝、心身のすべての腐敗の浄化、あらゆる生き物に対して愛を育む」ということであった。

 ダードゥーの信仰は、イスラム教のスーフィズムに深い関心を寄せていたムガル帝国の第3代皇帝アクバルの関心をひくこととなり、ついにダードゥーは宮廷に招かれ、40日間もの長期にわたり、アクバル帝と神や宗教についての討論を行った。

 ダードゥーの影響を受けたアクバル帝は、その後もイスラム教、キリスト教、ゾロアスター教などの指導者を招いて議論を重ね、ついにみずから「ディーン・イ・イラーヒー」(神の宗教)という教えを提唱し、ムガル帝国での政策を通してすべての宗教の融和と統一を試みている。

 さて、このダードゥーの教えは多くの弟子によって受け継がれたが、その一人ラッジャブは次のように語っている。

『この全世界は「ヴェーダ」であり、この全創造は「コーラン」である。乾いた紙の山を全世界だと思い込んでいるパンディット(ヒンドゥー教学者)やカーズィー(イスラム法官)らの努力はまったく無駄である。
  人間の数と同じだけの宗派がある。神の創造は、それほどまでにも多様なのだ。各派の祈りは、多くの小川にも似て、大海のごときハリ(神)のなかへ、ともに流れ込む』  (同書、157頁)

 ヒンドゥー教の中世神秘主義について叙述して驚かされることは、その法脈を受けた何れの弟子も、超越的実在(実在者)を的確に捉えていたと思われることだ。

 ダードゥーの弟子ラッジャブは、宗派というのは人間の数と同じだけあり、それほどまで神は多様なのだと歌う。これはヒンドゥー教の伝統的な神であるブラフマンを、彼らは宗派や教義といった形式に捉われることなく、そのものをズバリと的確に直感把握していたことを物語っている。

 しかも彼らの見出した神が、「善なる神」であり、「慈愛に満ちた神」であったということも注目に値するであろう。

 究極的実在(実在者)であるブラフマンが「善なる神」であるとの深い確信から、ダードゥーは、悠然と、多くの宗派を統一するための団体「ブラフマ・サムプラダーヤ」を結成し、アクバル帝は、みずから超宗教的な「ディーン・イ・イラーヒー」(神の宗教)という思想を提唱して、その後3世紀にも及ぶ同国の宗教融和政策の基礎を築くことができたのである。

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インド中世神秘主義(2)

② カビール――宗派を越えた弟子たち


 カビール(生没年不明)はラーマーナンドの弟子である。彼は、15世紀にその生涯をおくったが、カビールの言葉はさらにはっきりと、宗教の形式を超えた世界を表現している。

『 おお神よ、アッラーにせよ、ラーマにせよ、私は、その名によって生きている。宗教の違いは、単なる神を呼ぶ名前の違いにすぎない。誰でも同じ神に祈っているのである』   (『ヒンドゥー教』151頁)

 カビールはイスラム教徒の職工の家に生まれ、彼自身も職工としてイスラムの教えを信仰していたが、ラーマーナンドの教えに直接触れたことで改宗し、彼の直弟子となった。

 しかもカビールは、伝統的な宗教生活である禁欲主義や独身主義を信ずることなく、結婚して息子と娘を育て、生涯一職工として生活した。

 いわば在家の信仰者だったにも関わらず、カビールのもとにはヒンドゥーとイスラム両教の大勢の人々が訪れ、彼の説く教えを聴聞し信仰したという。

 カビールにはおもしろいエピソードが残されている。

 それは、彼の死後のこと。

 ヒンドゥーとイスラム双方の弟子たちが、自分たちの流儀で葬式を出そうと言い争いになった。そしていざ葬儀を行おうと遺体の覆いをめくってみると、亡骸は跡形もなく消え去り、その替わりに花束が置かれていたという。そこで両派で仲良く花を分けあったと伝えられている。

 この伝説は象徴的である。

 各宗教の流儀による葬式とは、宗教における「周縁部分」にあたるが、宗教における中心的真理に立脚したカビールの信仰は、そのような「周縁部分」の次元に存在していなかったということである。

 残されて分けあった花とは、彼の残したコトバのことであろう。

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インド中世神秘主義(1)

① 神秘主義の主唱者ラーマーナンド

 ヒンドゥー教のなかでも、際だって宗派組織や聖典に依存しない系譜として、中世神秘主義の運動が挙げられる。

 彼らの宗教思想は、12世紀以降にインドに入ってきたイスラム教のスーフィズムによる影響などを受け、ブラフマンという名の究極的実在(実在者)を明確に中心に据え、瞑想による深い叡智によって把握した世界を、分かりやすい教えをもって展開した。

 これにより、ヒンドゥー教徒のみならずイスラム教徒、さらにはシク教徒にも大きな影響を与えた。

 ヒンドゥー教で、中世神秘主義の主唱者となったのはラーマーナンド(1370頃~1440頃)である。彼の残した詩は、ヒンドゥー教を母体として誕生したシク教の聖典、『グラント・サーヒブ』の中に混入して現在に伝えられた。それは次の言葉である。

『どこへ行っても、(礼拝の仲介となる)水や石がある。しかし、そこに顕現し、それらを満たしているのはあなたである。人々が「ヴェーダ」のなかにあなたを探そうとしても無駄である。
 私の真実の師よ、あなたは、私を誤謬と幻想からめざめさせてくれた。あなたは幸いなるかな。ラーマーナンドは、その師ブラフマンのなかに消え入ってしまった。すべての束縛を解くのは、師の言葉である。 (『ヒンドゥー教』149~150頁)』

 この言葉の主、ラーマーナンドは、ブラフマンという超越的実在(実在者)は遍在するものであり、「ヴェーダ」に記された文字の中にブラフマンが居るのでないことを明確にした。

 彼の教えを端緒とするインド中世神秘主義では、従来のヒンドゥー教から、

「知識による道(ジュニャーナ・マールガ)」

「行為による道(カルマ・マールガ)」

「信愛の道(バクティ・マールガ)」

といった優れた伝統はすべて取り入れ、形骸にすぎないカースト制度を否定した。

 さらに伝統的な宗教儀礼の意味を疑い、これまでの正統的とされる習慣に縛られることなく、自由な立場から布教した。

 一例を挙げれば、当時の上級階層で使われていたサンスクリット語を使わずに、民衆たちの言語であるヒンディー語で教えを説くことで、多くの一般大衆に受け入れられたのである。

 

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ヒンドゥー教(2)

(2) ヒンドゥー教のメッセージ――神への道は多数ある

 セーンの著した『ヒンドゥー教』によると、ブラフマンという唯一神にいたるためのアプローチの仕方は、同教では形式や教義にとらわれない多様性にみちたものであることが紹介されている。

 ヒンドゥー教の特徴を的確に捉えた一節を紹介しよう。

『 神の礼拝に関するかぎり、ヒンドゥー教はまったく自由である。信徒は、行為(カルマ)、瞑想と知識(ジュニャーナ)、信愛(バクティ)のいずれによって神に近づいてもよく、すべて等しく正しいとされる。儀礼の実施の細かい点も、ちょうど信仰の細部が人によって違っているように互いに違っている。ヒンドゥー教は、神への唯一の道をもたないからそれも当然のことである。(中略)

  神についての観念が一見矛盾しているようにみえるのは、実は同じ最高実在が無限な姿をもっているということを意味することにほかならない。ヒンドゥー教は、宗派の間の形而上学的教義の相違が、すでに認められている根本的な行動規範の発展を少しも妨げるものではないと言明している。ヒンドゥー教を信じている人間にとって重要なことは、必ずしも彼の宗教ではなく、彼のダルマである。(『ヒンドゥー教』52~53頁)』

「同じ最高実在が無限な姿をもっている」という宗教観をもつヒンドゥーの人々にとって、「宗派」「教義」といった形態は必ずしも重要なものではなく、彼らの心の眼差しはそれぞれの「ダルマ」そのものへと向けられているのだ。

 ダルマとは、仏教的な表現をとれば、仏陀の悟った絶対かつ普遍の真理のことを意味している。

 キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など「啓典の民」といわれている世界宗教が、「宗派の間の形而上学的教義の相違」が原因で、これまでの歴史を通じておびただしい血を流してきたことはニューソートのところで紹介したが、記録に残された〝神の言葉〟とされる「教義」を唯一の真理とこだわるが故に、啓典の宗教は必然的に「原理主義」へと発展する可能性を持つのである。

 そもそも「啓典」とは、ある時代に文字盤や書物に記された文字による記録なのである。どのような尊いものであったとしても、形(現象)に捉われれば、敬虔なる信仰が“聖なる憎悪”へと姿を変えることを、彼らの歴史は教えているのではないだろうか。

 一方、ヒンドゥー教にとって重要なものは「聖典」ではなく、目に見えない「真理(法)」なのである。

 彼らの伝統は、このような「原理主義」的問題の扱い方を、5千年という途方もない宗教経験の中で心得てきたのかもしれない。

 すでに述べたように、ヒンドゥー教には、よりどころとなる「唯一絶対の『聖典』」というものがない。また、達磨大師によってインドから中国そして日本へともたらされた禅宗も、「不立文字」として現象的な信仰対象の一切を「無!」と際断している。

 東洋の最良の叡智が、さまざまな時代に泉のように湧出して、再評価される所以もここにあるといえよう。

 信仰とは、書物に記された「教義」を盲目的に信奉することではなく、実在するものと、実在せざるもの(非実在)とを、生きた智慧の眼をもって見極めることだと、ヒンドゥーの智慧は語っているようである。

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2005年10月29日 (土)

ヒンドゥー教(1)

(1) ウパニッシャド「お前は、それである」

 ヒンドゥーという名称は、かつて大英帝国側がインドを植民地としていた時代に、インド土着の民族宗教を包括的に示す名称として、古代ペルシアで呼ばれていたヒンドゥー〈インダス側流域で対岸(シンドの反対側)に住む人々〉という言葉を採用したことから広く普及した。

 したがって、ヒンドゥー教という名前の宗教が初めから存在していたわけではない。

 ヒンドゥー教はおよそ5千年もの長期にわたり、インドに発生した宗教を吸収して同化しつつ、複合体として発展してきた教えである。

 したがって、ヒンドゥー教には、キリスト教やイスラム教のように開祖となる人物は存在しない。また、その聖典としては、「ヴェーダ」「ウパニッシャド」「バガヴァッド・ギーター」「マハーバーラタ」「プラーナ」などが存在しているが、これらは何れも、教義に関する宗教的な論争などが発生した際に、キリスト教の『聖書』や、イスラム教の『コーラン』のような、“よりどころ”となる、唯一絶対の聖典とはならない。

 しかし、ヒンドゥー教思想においても各派を貫いて共通する基本的な思想があり、たとえば前800年ごろに成立した「ウパニッシャド」には、ブラフマンBrahman(梵)とアートマンAtman(真我)という概念が説かれ、これをめぐっての教説がヒンドゥー思想の基本概念を形成している。

 たとえば、ブラフマンとは宇宙に遍在する「神」であり、またアートマンは「個我」を意味している。ウパニッシャドでは、ブラフマンとアートマンとは同一であるという同一説(梵我一如説)が説かれ、

「最高実在はすべての霊魂のなかに自己を顕現する」

とされ、これを端的に「お前は、それである。(tat tvam asi)」と、表現している。

 最高実在であるブラフマンとは、即ち「究極的実在(実在者)」のことである。

 たとえばインド史上最高の哲学者ともいわれているシャンカラ(700頃~750頃)は、宇宙にはブラフマンのみが存在し、それは各個人の内なるアートマンとまったく同一(不二)であり、アートマンから展開している現象世界は幻影(マーヤー maya)であって実在ではない、という「不二一元論」の哲学にまで高めた。

 この哲学は仏教における「三界唯心所現」の哲学と符号するところが多く、考察の対象としても資するところの多い思想であるが、本稿での紹介はこのくらいにして、「不二一元論」についての詳細は井筒俊彦氏が遺された画期的な論文「マーヤー的世界認識―不二一元論的ヴェーダーンタの思惟構造をめぐって」(『超越のことば―イスラーム・ユダヤ哲学における神と人』岩波書店刊に収録)を参考にしていただきたい。

 さて、ヒンドゥー教の思想を概観すると、このブラフマンに至るには、およそ三つの道が開かれている。

 一つは、瞑想や思索による①「知識による道(ジュニャーナ・マールガ)」。

 もう一つは、祭式などによる②「行為による道(カルマ・マールガ)」。

 そして、ひたむきに信仰を捧げる③「信愛の道(バクティ・マールガ)」である。

 シャンカラの思想に連なる哲学的学派は①ジュニャーナ・マールガであり、本稿で紹介させていただくのは③バクティ・マールガの系譜である。

 ブラフマンにいたる三つの道について、インドの宗教史・精神史研究の権威でタゴール国際大学学長を務めたクシティ・モーハン・セーン(1880~1960)は、著書『ヒンドゥー教―インド3000年の生き方・考え方』の中で次のように説明している。

『神を礼拝するさまざまな方法が併存しているために、ヒンドゥー教は多神教であるとする、ヨーロッパでよくみられる誤解が生じた。もしブラフマンの教義の理解を欠いていたとすれば、これは確かに陥りやすい誤解である。というのは、一般に行われているヒンドゥー教では、神はさまざまな姿で礼拝されるからである。ヒンドゥー教徒は、自分の属する階層の社会的伝統に従って神話のなかのある特定の神に特別な愛着を示し、それを通して真なる神を礼拝する。この「名もなきもの」「形なきもの」は種々の名で呼ばれ、さまざまな姿が与えられる。しかし、彼が「唯一者」であることを忘れてはならないのである。(同書、23頁)』

 ヒンドゥー教では、自分たちの属するカーストの社会的伝統に由来する神様(ヴィシュヌ神、シヴァ神など)を通して、「真なる神」である「唯一者」(ブラフマン)を礼拝するという。つまりヒンドゥー教では、一般の民衆レベルでも、ブラフマンを究極的実在(実在者)として認識していた、ということであろう。

 考えてみれば、私たち日本人も、神社での初詣などを通して、はじめからこの「名もなきもの」を礼拝していたのではなかったか。ただし、ヒンドゥー教にしても日本の祭事にしても、庶民における神観念が、どこまで正確に「究極的実在」を捉えていたのかは定かではないが―。

引用文献

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