2006年6月14日 (水)

イスラーム神秘主義―スーフィズム(4)

 一神教的神観の神髄へ

 同書における井筒俊彦氏の叙述は、彼ら異端とされたスーフィーたちのうちにこそ、イスラム教における一神教としての本質的な伝統が脈々と生きていたのだと指摘する。

〈バスターミーの「我れに栄光あれ」にせよハッラージの「我・即・真実在」にせよ、そこに見られるものは神の内在的側面の極端な表現であって、彼らの信仰は決してそれに止まりそれに終局するわけではないことを銘記する必要がある。これらのスーフィー達にとっても神の内在性は信仰の一側面にすぎない。彼らの胸裡には、この側面と同時に超越的神の信仰が脈々として保持されていたのである。しかも宇宙万物を超絶する創造主として人間から無限に遠い彼方にある神が、同時に愛の神として、人間自らよりもさらに人間に近い神であることこそ、一神教的神観の神髄なのである。〉  (『イスラーム思想史』二〇九~二一〇頁)

 イスラム教をはじめユダヤ教、キリスト教などの啓典宗教は、ご存じのように一神教(monotheism)である。しかしこの一神教としての神は、イスラム教はアッラーのみが絶対神であり、ユダヤ教ではヤハウェのみが絶対神であり、他の神は一切認めないというように、自分たちの信仰する神のみを絶対視する神観が支配しているのが実情だ。

 しかし、バスターミーやハッラージたちが掌中にした「神」は、そのような「概念図式」の呪縛を透過して、まっすぐに「実在者」に到っていると思われることは紹介した通りである。そして井筒俊彦氏は、彼らのそのような悟境を見逃すことなく、これこそ「一神教的神観の神髄」なのだと喝破する。つまり、「一神教的神観の神髄」とは、「実在者」そのものへの信仰であり、「実相」への帰命合一ということなのである。異端者とは、当時のイスラムにおける「周縁的真理」の視座から見た評価にすぎないのである。

〈絶対的超越性と絶対的内在性、この両者は常識的人間の立場では同時に成立することの出来ぬ矛盾であり、両者の結合は一つのパラドックスであるが、しかもこのパラドックスを体験的に成立させたところに神秘主義の深奥な意義がある。この意味では、ただ被造物に対する神の隔絶だけを強調する神学者や法学者よりも却って、多くの信徒に異端視される迫害された神秘家達の方が遙かに一神教信仰の純乎たる本質をよく代表するものとさえ言わなければならないであろう。〉    (同書、二一〇頁)

 神秘家たちが、「絶対的超越性と絶対的内在性」を同時に結合させたという表現が出てくるが、たとえば荘子にも「至大無外、至小無内」という表現があり、仏教の無門関にも「内外打成一片」という言葉がある。これらの言葉は、「内」や「外」といった相対的な現象の一切を超えて、「究極的実在(実在者)」とひとつに融合した消息を語っている。

 一方、神学者や法学者たちは、「被造物に対する神の隔絶だけを強調する」と表現されているのは、彼らの信奉する理論の規範となっているのは現象世界の範疇における価値判断であり、究極的実在(実在者)への道を閉ざしたまま、「概念図式」による歪曲をうけた神観念を「唯一絶対の神」としてそこに留まったことで、彼らの視界に映る神はもはや私たちと共に存在する生きた神ではなく、熱心に信仰すればするほど、遙かなる高みへと遠ざかる神となってしまったのである。

 つまりイスラム教も、本来は究極的実在そのものへ向かうはずの一神教だったものが、ある時代に応現した神の残像を絶対視する一神教へと転落してしまった、ということである。

〈神と人との間には超え難い無量の深潭があるがスーフィーの神秘的体験においてこの罅隙は無に帰し、絶対的超越者「遠き神」はそのまま「近き神」の内在者と化するのである。「我・即・真実在」「我れに栄光あれ」のような言葉は、「遠き神」がそのまま同時に「近き神」に転化する瞬間の矛盾的体験の極地を、その激烈な体験の力にまかせて不遜な表現の形で爆発させたものであって、ただ単純な神の超越性の無視ではなかった。しかし、形式的典礼と外形的教義のみをもって信仰の全てと考え、宗教に進歩発展を絶対に認めない教義学者達にはかかる考えを理解する由はなかった。すぐれた神秘家がこの故にはげしい迫害を受け、その多くのものが殺害された。 〉(同書、二一〇頁)

「悟る」とは、神と人間との「差」を「取る」ことだと、かつて生長の家の谷口雅春師のご著書から学んで、深く納得させていただいたことがあった。イスラム教でも、やはり「遠き神」が同時に「近き神」へと転化する「人間存在の変革」が行われていたことが、井筒氏の解説から読み取ることが出来るのである。

「我・即・真実在」「我れに栄光あれ」そして「人間は神の子である」これらの言葉が発語される地点は、形式的典礼や外形的教義といった現象世界における一切の属性を超えて、「神と人間」との「差」が完全に払拭されたところから発せられているのである。

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2006年6月13日 (火)

イスラーム神秘主義―スーフィズム(3)

 実在者からの発語「我・即・真実在(=神)」

 当時、バスターミーとは別の角度から神との「合一」に達した人物にハッラージ(没年九二二)がいた。彼は、さらにはっきりと、「我・即・真実在(=神)」と宣言している。

〈ハッラージにおいては、「合一」とは「変融」(ittsaf)すなわち魂の本質的変質であり、一実有(Substanz)が全く違った他の実有(実在者)にかわってしまうことを意味する。ハッラージの有名な《Ana al-Haqq!》「我・即・真実在(=神)」とは、人間的主体が完全に変質し、そのまま実在性の永遠の太源に化融することにほかならぬ。 〉  (『イスラーム思想史』二〇七頁)

 端的に言えば、「我・即・真実在(=神)」とは、「私は神である」との大胆な宣言である。

 彼はまた、キリスト教の「受肉(incarnatio)」の教義とよく似た、「落入」(hulul)ということを説いた。これは(A)が(B)の中に完全に溶け入ってしまうことを意味していた。これを「宗教多元主義」の視点からみれば、自我(B)中心から実在(A)中心へと「落入(人間存在が変革)」したという〝救いの構図〟を見てとることができよう。

 しかし「周縁的真理」に立脚した当時の伝統的神学者はじめ多くの人々は、彼のこの説は明らかにキリスト教の「受肉」説に堕した教えだと鋭く指摘した。

〈周知のようにイスラームにおいては、イエスは神から聖なる使命を託された預言者の一人であって、これに神性を認めることは最も甚だしい異端であり、神の露骨な冒涜とされている。従って、どのような形であるにせよ、「受肉」説は絶対に回教徒の承認を受ける訳には行かない。かくてハッラージは遂に異端者として告発され、死刑を宣告され、バグダードの刑場で十字架にはりつけにされて死んだ。〉
(同書、二〇八頁)

 ここにも宗教における原理主義の問題が立ち現れているが、これまで人類は、「周縁的真理」に固執するあまり、どれほど多くの「キリスト(自己変革を遂げた覚者)」たちを、十字架に掛けてきたことだろうか。

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2006年6月12日 (月)

イスラーム神秘主義―スーフィズム(2)

 実在体験の喜び「我に栄光あれ!(Subhani!)」

 一方、ペルシャ出身のアブー・ヤズィード・バスターミー(没年八七四年)は、スーフィズムにおけるジュナイド的な信仰から出発して、さらに〝大乗的〟ともいえる信仰へと達したようである。

〈自分は初心の頃、大変な思い違いをしていた、すなわち自分が神を愛していると考えていたのである。あたかも恋する人が美しい相手を熱烈に愛し憧れるように自分では神を愛している積りだったが、実はこれは反対であった。私が神を愛していたのではなく逆に神が私を愛していたのである。人が神を求めるのではなくて、神が人を求め、人を引きよせるのである、と。〉(『イスラーム思想史』二〇三頁)

 当時のスーフィーたちは、修行者を導いて神に到らせる信仰は、前述したように人間の側から神に向かう「愛」がそうさせるのであり、「愛」の主体はあくまでも人間の側にあるというのが旧来のスタイルだったが、バスターミーによって事態は正反対となった。

 彼によると、自分が神を愛していると考えていたのは「大変な思い違い」であり、神の「愛」は、ただただ私たちに降り注いでいたという。その愛は、無条件に与え続ける「アガペー(agape)」の相をしていたのである。

 バスターミーはこのような経験をした後に、「神」と「我」との間にあると思い続けていた〝無限の距離〟がことごとく解消され、「神との合一」の境地を体験する。

 この間の消息を次の言葉で表現している。

〈三十年の間、いと高き神は私の鏡であったが、今や私は私自身の鏡である。しかし私は既に絶対無であるが故に、いと高き神は彼自らの鏡である。視よ、私はここに神は私の鏡であると言う。何とならば私の舌をもって語るものは神であって、私は既に消滅して跡かたもないからである」と。かくて神秘道の究極するところ、目も眩む光明が突然皓々と照り輝き、心の壁を破って流れ込んできて、人の自己意識は跡かたもなく消えうせる。人は神になるのである。〉 (同書、二〇四~二〇五頁)

 
 ここには、スーフィーによって到達された「至高の境地」とでもいうべき状態が記されているが、「私の舌をもって語るものは神であって、私は既に消滅して跡かたもない」という言葉には、「もはや我れ生きるにあらず、神のいのちここにありて生きるなり」という状態が、そこに現成している、ということなのかもしれない。

 続いて紹介するバスターミーの言葉の中には、『彼性』や『私性』という言葉が何度も出てくる。『彼性』とは仮に「神の意識の座」つまり「神性」のことであり、『私性』とは「私の意識の座」のことだと解釈して(置き換えて)読み進めていただきたい。

 なお、その際「私の意識の座」とは、必ずしも「自我の座」だけではないことをご留意いただきたい。

〈「・・・・神は私に彼の『彼性』を示した。私は彼の『彼性』を通して私自身の『私性』を眺めた。すると私の『私性』はたちどころに解消した。私は彼の光の中に私の光を見た。・・・・そして私は私の『私性』を彼の『彼性』の中に見た。・・・・私は神に尋ねた、『一体これは誰なのでしょうか』と。神は答えた、『これは私ではない。が、私でないものでもない。私のほかに神はない』と。かくて神は私の『私性』を彼の『彼性』へと変容させ、私の自我を彼の『彼性』のうちに消滅させた。そして彼は私に彼の『彼性』だけを顕示した。私は彼の『彼性』を通して彼に眺め入った。私は神を通して神を眺め、神によって神を観た」。
 こうして神人不分の境に恍惚と我を忘れる「陶酔の人」バスターミーは大胆不敵にも、通常回教徒が神を讃美するに使うSubhana Allah!(神に栄光あれ!)という句を転じてSubhani!(我れに栄光あれ!)と叫ぶ。〉    (同書、二〇四~二〇五頁)

 バスターミーが語ったという「我れに栄光あれ!」との言葉は、「中心的真理」の視座からみれば、自我が滅して実在者そのものとなった境地から発した喜びの宣言として聞こえてもこよう。しかし、「周縁的真理」に立つ多くの人々からみれば、神への恐れを知らぬ異端者の世迷い言として耳に響いたかもしれない。

 ともあれ彼は、このような自己消滅を通して経験した「神との合一」について、「消滅境(fana)」と語り、正確には「合一境における消滅」(fana bi-at-tawhid)と表現した。

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2006年6月11日 (日)

イスラーム神秘主義―スーフィズム(1)

人間中心から実在中心へ

 井筒俊彦氏(一九一四~一九九三 国際的な言語学者でイスラーム学の泰斗としてカナダのマックギル大学イスラーム教授、イラン王立哲学アカデミー教授などを歴任)は、コーラン翻訳者としても有名であるが、同氏が著した『イスラーム思想史』(中央公論社)には、イスラム教における思弁神学、神秘主義、スコラ哲学の三大思想潮流の成立と中世までの展開が克明に記されている。

 スーフィズムの思想について紹介するにあたり、現時点で収集できた資料的限界からスーフィーたちの直接書き残した言葉が限られているため、スーフィー個々の「発語」に関しては、同氏の著書を典拠とさせていただいたことを、予めご了承いただきたい。

 さて、九世紀後半から十世紀の初頭、バグダッドで活躍したジュナイド(没年九一〇)について、同書では次のように彼の思想を要約している。

「スーフィズムとは自己に死に切って神に生きることであり、人は修道によって自我を殺し、自己の一切を放下して幽邃な「一者」の大洋の底深く沈潜し、聖なる「愛」に導かれて新しいいのちに「生まれかわら」ねばならぬとした。そしてこの新生において、人間は自分のあらゆる人間的属性を脱却し、新たに「愛する人」(神)の諸属性を受け、かくて始めて修道者は、「もはや我れ生くるにあらず、神わが裡にありて生き、われを通じて働き給う」という不可思議の次元に躍出できるのであると説いた。」(『イスラーム思想史』、一九八~一九九頁)

 自我を死に切って神なる次元へと新生する「もはや我れ生くるにあらず、神わが裡にありて生き、われを通じて働き給う」という言葉には、宗教多元主義で説かれている基本テーゼ、「自我中心から実在中心への人間存在の変革」への道が、そのまま表現されていると言えよう。また、ジュナイドに見られるように、当時のスーフィーたちの多くの信仰は、神を愛し求めることで人間的な不完全な属性を脱却し、完全なる神にまで至ろうと修行に努め励んでいたようである。

参考図書

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2006年6月10日 (土)

イスラムにおける二つの信仰の型

 米国シカゴに本部を有する「イスラム情報・教育研究所(IIIE)」の統計によれば、世界のイスラム教徒の総数は一五億一千万人(二〇〇三年)であり、同年の世界人口が六三億七七六〇万(UNFPA(国連人口基金)調べ)であることから、人類のほぼ四人に一人がイスラム教徒ということになる。

 イスラム学者の中村廣治郎(東京大学文学部教授)は、同氏が訳した『イスラムの神秘主義―スーフィズム入門』(R・A・ニコルソン著)の解説―「スーフィズムとは何か」の中で、イスラム信仰の二つの側面について、次のように説明している。

「イスラム教は聖法(シャリーア)に示された神の正義に基づく理想の共同体を地上に築こうとする運動であり、それに各人が主体的に積極的に参加することが神(アッラー)への服従(イスラーム)なのである。その意味でイスラム教は律法宗教、ないしは共同体的宗教であると言える。少なくとも、それがイスラム教の古典的形態であった。しかし、その後のイスラム史の流れの中では、それはあくまでもイスラム教の一つの側面――最も重要な側面ではあるが―になってしまった。」(同書、二三二頁)

 イスラム教の特徴としての重要な一面は、ここに紹介されている「律法宗教、ないしは共同体的宗教」であり、「神中心的」(theocentric)で厳しい戒律を遵守する教えであるということはよく知られている。しかしこの「共同体型のイスラム」は、同教の長い歴史に現れた一つの側面なのである。

「この聖法型のイスラム(〝共同体型のイスラム〟)に対して、他方では、専ら個人の内面を重視し、そこに沈潜することの中に神を見出そうとする〝個人型のイスラム〟がその反動として出てきた。前者をいわば正面あるいは明の側面とすれば、それに対応する裏面あるいは暗の側面にイスラム教は分化したのである。この後者に相当するのがスーフィズムであり、またシーア思想である。(中略)歴史的には、イスラム教の地上的誕生(七世紀)からアッバース朝の滅亡(一二五八年)までをいわば「イスラム古典期」、それ以後近代までの時代を「イスラム中世」と呼ぶことができるとすれば、イスラム中世とはまさにスーフィズムが主流を占めた時代であった。そしてまた、ワッハーブ派を初めとする近・現代におけるイスラム復古運動は、この中世的スーフィー的イスラムに対する反動であり、それの否定から出発しているのである。」(同書、二三二~二三三頁)

 ここに「共同体型のイスラム」と「個人型のイスラム」という二つの信仰の型が紹介されているが、この二つのタイプは、ちょうどあざなえる縄のようにイスラム史を縦に貫いて同教を形成しているようだ。たとえば、「共同体型のイスラム」は、イスラム聖法などの諸規定に従うことを重視しているため「周縁的真理」が色濃く反映しており、一方「個人型のイスラム」は、瞑想などの行を通して「超越的神」と融合することを究極の目標に置いている。したがって、イスラム教における他の宗教との「共通部分」を分析するためには、先ず「個人型のイスラム」の典型ともいえるイスラム神秘主義(スーフィズム)に焦点を合わせることが、順当なようである。

 前掲書の著書ニコルソンは、イスラム教の聖典コーラン本文の中から〝神秘主義的要素〟のある言葉として、次の数節を紹介している。

「もし私の僕共が、私のことを汝に尋ねるなら、おお、私は側近くにいる。」
(コーラン 二章一八六節)
「われ〔神〕は彼の頸の血管より近くにいる。」(同 五〇章十六節)
「そして地上には、信仰心の篤い者への御徴が多くある。汝らの中にもある。それでも汝らは見ようとしないのか。」(同 五十一章二十―二十一節)                         (同書、三十七頁)

 一読して分かるように、引用したこれらの文章には、イスラムの教えにおける「究極的実在」が表現されているように思われる。しかしながら、同書にはこのような教えとは似ても似つかぬ、民族思想を濃厚に反映した排他的で攻撃的な表現なども数多く記されており、なかなか一筋縄ではいかない。

 ムスリム(イスラム教徒)たちがコーランから、あるいはイスラムの教えから、金の純分となる「中心的真理」を抽出するためには、宗教における「周縁的部分」の要素の多分にある「慣習(スンナ)」に従っていただけでは、意識の地中深く穿ち入ることはできないであろう。スーフィーたちがたどった道は、ムスリムのスンナ的伝統から出発したものの、はるか意識の深層へと歩みを進め、そして神と直接つながることであった。

 イスラムの章では、イスラム古典期に登場して現代にまで影響を及ぼしている、初期スーフィズムの最高峰をなす傑出した三人の神秘家を紹介することで、イスラム教の〝中心部分〟に光を当ててみようと思う。

引用文献

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