イスラーム神秘主義―スーフィズム(4)
一神教的神観の神髄へ
同書における井筒俊彦氏の叙述は、彼ら異端とされたスーフィーたちのうちにこそ、イスラム教における一神教としての本質的な伝統が脈々と生きていたのだと指摘する。
〈バスターミーの「我れに栄光あれ」にせよハッラージの「我・即・真実在」にせよ、そこに見られるものは神の内在的側面の極端な表現であって、彼らの信仰は決してそれに止まりそれに終局するわけではないことを銘記する必要がある。これらのスーフィー達にとっても神の内在性は信仰の一側面にすぎない。彼らの胸裡には、この側面と同時に超越的神の信仰が脈々として保持されていたのである。しかも宇宙万物を超絶する創造主として人間から無限に遠い彼方にある神が、同時に愛の神として、人間自らよりもさらに人間に近い神であることこそ、一神教的神観の神髄なのである。〉 (『イスラーム思想史』二〇九~二一〇頁)
イスラム教をはじめユダヤ教、キリスト教などの啓典宗教は、ご存じのように一神教(monotheism)である。しかしこの一神教としての神は、イスラム教はアッラーのみが絶対神であり、ユダヤ教ではヤハウェのみが絶対神であり、他の神は一切認めないというように、自分たちの信仰する神のみを絶対視する神観が支配しているのが実情だ。
しかし、バスターミーやハッラージたちが掌中にした「神」は、そのような「概念図式」の呪縛を透過して、まっすぐに「実在者」に到っていると思われることは紹介した通りである。そして井筒俊彦氏は、彼らのそのような悟境を見逃すことなく、これこそ「一神教的神観の神髄」なのだと喝破する。つまり、「一神教的神観の神髄」とは、「実在者」そのものへの信仰であり、「実相」への帰命合一ということなのである。異端者とは、当時のイスラムにおける「周縁的真理」の視座から見た評価にすぎないのである。
〈絶対的超越性と絶対的内在性、この両者は常識的人間の立場では同時に成立することの出来ぬ矛盾であり、両者の結合は一つのパラドックスであるが、しかもこのパラドックスを体験的に成立させたところに神秘主義の深奥な意義がある。この意味では、ただ被造物に対する神の隔絶だけを強調する神学者や法学者よりも却って、多くの信徒に異端視される迫害された神秘家達の方が遙かに一神教信仰の純乎たる本質をよく代表するものとさえ言わなければならないであろう。〉 (同書、二一〇頁)
神秘家たちが、「絶対的超越性と絶対的内在性」を同時に結合させたという表現が出てくるが、たとえば荘子にも「至大無外、至小無内」という表現があり、仏教の無門関にも「内外打成一片」という言葉がある。これらの言葉は、「内」や「外」といった相対的な現象の一切を超えて、「究極的実在(実在者)」とひとつに融合した消息を語っている。
一方、神学者や法学者たちは、「被造物に対する神の隔絶だけを強調する」と表現されているのは、彼らの信奉する理論の規範となっているのは現象世界の範疇における価値判断であり、究極的実在(実在者)への道を閉ざしたまま、「概念図式」による歪曲をうけた神観念を「唯一絶対の神」としてそこに留まったことで、彼らの視界に映る神はもはや私たちと共に存在する生きた神ではなく、熱心に信仰すればするほど、遙かなる高みへと遠ざかる神となってしまったのである。
つまりイスラム教も、本来は究極的実在そのものへ向かうはずの一神教だったものが、ある時代に応現した神の残像を絶対視する一神教へと転落してしまった、ということである。
〈神と人との間には超え難い無量の深潭があるがスーフィーの神秘的体験においてこの罅隙は無に帰し、絶対的超越者「遠き神」はそのまま「近き神」の内在者と化するのである。「我・即・真実在」「我れに栄光あれ」のような言葉は、「遠き神」がそのまま同時に「近き神」に転化する瞬間の矛盾的体験の極地を、その激烈な体験の力にまかせて不遜な表現の形で爆発させたものであって、ただ単純な神の超越性の無視ではなかった。しかし、形式的典礼と外形的教義のみをもって信仰の全てと考え、宗教に進歩発展を絶対に認めない教義学者達にはかかる考えを理解する由はなかった。すぐれた神秘家がこの故にはげしい迫害を受け、その多くのものが殺害された。 〉(同書、二一〇頁)
「悟る」とは、神と人間との「差」を「取る」ことだと、かつて生長の家の谷口雅春師のご著書から学んで、深く納得させていただいたことがあった。イスラム教でも、やはり「遠き神」が同時に「近き神」へと転化する「人間存在の変革」が行われていたことが、井筒氏の解説から読み取ることが出来るのである。
「我・即・真実在」「我れに栄光あれ」そして「人間は神の子である」これらの言葉が発語される地点は、形式的典礼や外形的教義といった現象世界における一切の属性を超えて、「神と人間」との「差」が完全に払拭されたところから発せられているのである。
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