2021年9月25日 (土)

慈愛の言葉は光りのバトン (2021,10)

 私たちが信仰の道を歩むようになった切っ掛けは、普及誌や聖典に書かれた言葉だったかもしれないし、先輩や友人や父母の導きだったかもしれない。

 いずれにしてもそのカギとなるのは「言葉」である。そしてその言葉は、仏の慈悲や神の愛から発したものであったことは、その後それぞれの人生にもたらされた無量無数の出逢い、悦び、恩恵のことを思えば得心がいくことだろう。

 田舎に住む友人が、畑に簡単な作業スペースを作り、地元の人々が気軽に集まる“場”を設ける計画を伝えてくれた。

 そこでは共に野菜を育て、廃材や雑草を利用してクラフトや雑貨を作ったり、野草でお茶を煎(せん)じたり、そんなPBS活動をしながら、ご近所の方たちに声をかけて、普及誌の輪読やメンタルサイエンスの話などをして、『凡庸の唄』のリアルな世界を実践してみるそうである。

 教区の各地区にこのような開かれたコミュニケーションの“場”が屋外に実現したらどんなに楽しいことだろう。

 時々その場所に誌友が集まり、ミニイベントで畑の世話をしたり、スマホで講話ビデオを見たり、愛行や真理の話や雑談に花が咲く。

 いわゆる青空誌友会場である。ときには畑で穫れたサツマイモなどをたき火して頬張り、季節の巡りと連動しながら仲間と共に齢(よわい)を重ねていく。

 そんな“場”が各地にできたら“新しい文明”を形成する光りの拠点として生長の家は着実に伸びていくだろう。

 こんなライフスタイルが、ウィズコロナ(コロナとの共存・共生)時代の運動の一つの姿になるのかもしれない。

 皆さんも自宅の土地があればそこを活用し、なければ畑を借りてそこを“光りの拠点”とすることもできるのだ。

「畑」という新たな光明化運動のフィールドは、自然と人間との“対話の場”であると同時に“ムスビの場”でもある。無農薬で行う野菜作りを通して一人ひとりの工夫が施され、アイディアが花開く。

 そんな畑には、昆虫や微生物が集まり、様々な野菜の「種」が交換されるだけでなく、智慧と愛と生命がムスビ合う生命の十字路として豊穣な世界が展開するだろう。

 自然と人間が交わる畑は、神性を開発する新時代の道場となり、種を蒔き育て収穫して祝う“祭りの場”となり、同時に“新価値の創造の場”となるのだ。

 この秋、埼玉・群馬のSNI自転車部の皆さんがイエローフラッグリレーの復路(浦和の教化部から高崎の教化部へ)を予定していたが、コロナ禍が蔓延してリアルな実現が困難になった。

 そこで新たな試みとして、おムスビネットを舞台に「居住地の自然と文化を顕彰するリレー」をそれぞれの地元で実施することになった。

 それは自転車だけでなく、徒歩や公共の交通機関も利用して、それぞれの居住地の文化的史跡や自然に光りを当て、過去の人々と現代を生きる私たちと、次世代の人々とをムスビ、各地の自然や史跡を「おムスビネット」と「PBS各部のサイト」で紹介する。そんな生長の家ならではのイベントである。

 ここでもカギとなるのは「言葉」である。神の愛と仏の慈悲から発したコトバは、ご縁あるすべてのものに“光りのバトン”を手渡すだろう。

  (二〇二一・十)

 

 

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2021年8月24日 (火)

生命の舞台 (2021,9)

 八月のお盆に「奉納 八木節ネットフォーラム」を群馬県教化部で開催して、唄と笛、太鼓、鼓(つづみ)、鉦(かね)の生演奏と踊りをリモートで配信させていただいた。

 これは亡き人々への供養であると同時に神界・天界・霊界という不可視の世界への捧げ物であり感謝の行事である。

 何に感謝するのかといえば、天地一切のものが神のいのちであることを拝み、そのいのちの光りが、私たちの日々のなりわいに、それぞれが授けられたお勤めの一つひとつに、家族や友人知人との語らいの中に、静かに輝き渡り、世界を内側から照らしていることを拝むのである。

 盆踊りの前日、埼玉県教化部から『正法眼蔵を読む』をテキストに「真理勉強会」を配信したが、会場に参加していた四十代の男性から、道元禅師が説いた「仏向上(ぶっこうじょう)」という言葉の意味についての質問をいただいた。

 仏向上とは、悟りを越えて無限生長する生命の姿である。

 なぜ生命は「悟り」をも越えるのかと云えば、悟りと見えるのは生命の一時的な過程であり、生命そのものは無限生長を純粋に持続して絶えず新生し、よみがえり、新価値を湧出する“いきもの”だからである。

 谷口清超先生は同書で、「仏を越えて無限に向上する境涯が展開される」(弁道話)とお説きくださっている。

「仏を越える」とは、仏と現れ、神と現れ、菩薩として現れたもの、あるいは悟りを得て仏となり、神となり、菩薩の境涯に至ったとしても、それは真実存在(生命の実相)の一時的な相(すがた)であって、そのような現象に安住し留まっていたのでは、そこは天人五衰(てんにんごすい)の境涯にすぎないことを伝えているのだ。

 私たちの生命は、日々の小さな“悟り”を重ねて生長する。

 白隠禅師は「大悟十八回、小悟数知れず」と語ったが、昆虫が脱皮を繰り返して生長するように、日々の悟りは日々の生長の姿であり、三正行やPBS活動の光りを放ちながら、生命は豊かに伸びゆくのである。

 日時計主義とは、日々の発見(小さければ小さいほど善い)に光を当てる生き方である。

 それは神の顕れである真・善・美に“気づく”ことであり、“気づか”なければそこに何も見いだすことはできないが“気づき”さえすれば、今ここは紛(まご)うことなき天国であり、浄土であることが発見できるのだ。

 そのための鍵言葉(キーワード)が「感謝」である。感謝は「今」を深く観透(みとお)す心眼であると同時に、「今」を掛け替えのない、いのちの舞台として観る慈悲の眼でもある。

 世の中に過ぎ去らないものなどなく、時は留まることなく展開してゆくように見える。

 二度と繰り返すことのない世界を前に、私たちは、今できる精一杯のことをさせていただき生きる。

 それが、やがて滅するであろう行為や事業であったとしても、私たちはそこに神の生命を刻むのだ。

 それがPBSの倫理的生活であり、次世代や大自然のことに想い巡らせる深切行であり、大調和の世界を一歩一歩実現する菩薩行である。

  (二〇二一・九)

 

 

 

 

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2021年7月 1日 (木)

「すべてを担う」ことから (2021,7)

 川越に引っ越して二年目の夏を迎えている。

 なにを隠そう昨年は、群馬と埼玉での掛け持ちの日々が始まり、春に植えたキュウリもゴーヤもルッコラも、気がつけば伸び放題のトマトの枝と雑草に覆(おお)われ、畑は鳥や虫たちの楽園と化していた。

 ナスやゴーヤを収穫するため茂みに分け入ると、ヤブ蚊が襲来する野生の王国が出現していたのだ。

 そして今春、決意も新たに心も入れ替え、キュウリネットを張り、夏野菜の苗を植え、誌友から頂いた大豆も畑に蒔いた。

 そんな折、ネットフォーラムに参加していた方が「畑から元気を頂いている」と発表されていたが、畑の世話をすることで、潜在していた思考回路や肉体の機能が豊かに働き始めるのであろう。

 畑で浮かんだ農作のアイディアを一つ一つ形にしていくと、いつしか自然と自分とが溶け合い、意識が伸び広がり、心と肉体と畑がひとつに統合されて自在を得るようだ。

 畑という小宇宙は、自然と人間とがムスビ合うための“場”でもあるのだ。

 さて「全托」とは、神に委ねることと教えられているが、それは“めんどくさい”問題を避けて通ることではない。

 まずその問題を、自分でしっかり担わなければ、神に委ねることなど出来ないのである。

 課題や問題を自ら背負い、引き受けて初めて、その重要さ、複雑さ、入り組んだ構造が細部にわたり見えて来るのだ。その詳細が把握できた分だけ、解決への道が開けるのである。

 だから神への「全托」とは、課題から逃げることでも避けて通ることでもなく、その課題を“観世音菩薩の声”として向き合い、総身で受け止めることであり、そこから初めて“全托の祈り”が始まるのだ。

 この「すべてを担う」ことを生長の家では、「自己を一切者とする自覚」と呼んでいる。ここに立つことで、ついに紛糾していた難題が溶け始め、そこから新たな天地が開け、新価値が生まれるのである。

 畑はスケッチの作業とよく似ている。自宅のある青梅市の庭でも、かれこれ二十年ほど生ゴミとEM菌を利用した無農薬栽培を試みてきたが、プランを描き、畑に出てささやかな経験と感覚に委ねた試行錯誤の手作業がはじまり、そこにアマチュア農園ならではの実験や悦びや失敗もあるのだが、失敗も大切な学習となるのがオーガニック菜園部ならではの楽しみでもある。

 しかし、気軽に無農薬栽培に踏み込むことができないのが専業農家であろう。

『奇跡のリンゴ』の著者の木村秋(あき)則(のり)さんは、農薬を一切使わないリンゴの自然栽培に取り組んだ当初、五年ほどバイトの掛け持ちで家族を養っていたというから身命を賭しての実験だったようだ。

 同氏によると、自宅用に種から栽培する野菜も稲作も、無農薬で豊かに収穫できたが、農薬に慣らされたリンゴで成功させるには、弛(たゆ)まぬ工夫と長い時間を要したという。

 これは薬剤に慣らされた私たちの身心や、浅薄な情報に慣れ親しんだ心が、深い真理を学ぶ場合も同様かもしれない。

 実相が現象に現れるには、辛抱して「待つ」時期が必要であり、その待ち時間は浄めのときであり“魂が新生する”ときでもあるのだ。

   (二〇二一・七)

 

 

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2021年3月 1日 (月)

“文明転換”のとき (2021,3)

「建国記念の日祝賀式」では、高崎の群馬県教化部から「式辞」を埼玉と群馬の皆さんに配信させていただいた。

 その帰路、家内と上毛三山のひとつ榛名山(はるなさん)の中腹にある榛名神社に初めてお詣りした。

 参道には奇岩列石が連なり、ゴウゴウと風の鳴る巨木の谷間を歩いていると、自然の中に神を観た古代の人たちの心が、時を超えて語りかけてくるような想いがした。

 そこには、数億年という自然界の途轍(とてつ)もない歳月が、あらわな巨岩のすがたでさらけ出されていた。日常とかけ離れた峨々(がが)たる景観は、この神域が、人類が軽はずみに仕出かすであろう“開発”という名の破壊から、結界によって護られてきたことを伝えていた。

 参拝後、榛名湖まで足を伸ばすと湖面の全域が凍結し、吹く風は地吹雪のように粉雪を舞い上げていた。湖上に榛名富士が聳(そび)える光景を見たとき、五十数年前に初めて父に連れられて来たときの記憶が蘇ってきた。

 当時小学生だった私は、伊香保温泉が榛名湖畔にあって宿泊したと思いこんでいたが、家内と甘酒を飲みに立ち寄った湖畔の茶店のおかみさんに聴くと、「伊香保はここから二〇分ほど離れた場所だ」と教えてくれた。

 十代に満たぬ子どもの脳裏は、山と湖の神秘な景観に圧倒され、意識が驚きに覆い尽くされていたのだろう。

 子どもの柔軟な心は、自然界と容易に溶け合い、響き合うようだ。そんな彼らの意識の深層は、生涯にわたって蓄えられる経験や記憶の豊かな土壌となり、五官六感に触れるあらゆる情報を吸収して精神の基礎を形成する。

 近年は親の意向で習い事や学習塾などを掛け持ちして能力開発に余念がないが、長い目でみれば“自然界”に触れることで、子どもたちの心がどれほど豊かに育まれることだろう。大人になってからの自在で柔軟な発想や意表を突くアイディアも、自然の多様性に学ぶことから生まれるのだ。

 自然と出合った幼い魂は、眼前に広がる魅力的な光景に誘われて、未知なるものや神秘なるものへの探求をスタートするだろう。

 現在は五十五万人もの若者が鬱(うつ)で病んでいるというが、将来ある若い世代が心の病に陥るのは、自然と交わる機会が少なすぎたことも原因の一つであろう。

 朝の陽光や小鳥の囀りに心を傾け、夕焼けの荘厳や微妙な色彩の移ろいを愛で、草木の生長や雨の恵みに季節の変化を感じ、生かされている歓びを豊かに味わう生活を、どこかに置き忘れてきたのが効率を優先した現代文明の歪(いびつ)な姿である。

 多くの人々が目の前の利害損得に振り回されて、人間社会を巧みに生きぬくことのみに躍起になってきたのだ。

 そんなことより、何倍も大切なことがある。その一つは、文明の谷間に忘れられていた自然と深く繋がる生き方を蘇らせることである。

 それは、自然を豊かに味わい、自然と共に生きるための智慧や技術や伝統に光を当て、さらに科学的な新しい知見から新価値を加えて“文明の転換”を図ることである。

 無垢な魂たちの行く先は、文明の袋小路などであってはならない。海や森や大自然の中に帰ることから、人も、文明も、すべてのものが新生するのだ。

  (二〇二一・三)

 

 

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2021年2月 1日 (月)

食がひらく“新しい文明” (2021,2)

 伝統的な「料理」には人々の暖かな“想い”が宿っている。それは家々の歴史であり、祖先から受け継いだ食文化でもある。

 夫婦でも出身地が異なれば、同じ呼び名の料理も素材や味付けが異なり、一筋縄でいかないのは“ムスビ”という深い意味が秘められているからである。

 現代は国や地域を越えて、人や食や情報が行き交う時代である。食は“生きる糧”であることから「おふくろの味」などとも呼ばれ、人それぞれの強いこだわりもあり、食べ慣れないものがマレに食膳に上るなら珍重もされるが、所帯をもった夫婦の食習慣が異なれば、顔を毎日突き合わせているだけに深刻な問題にも発展しかねない。

 振り返ればわが家も所帯を持ったころ、わずかな食文化の違い(静岡と鹿児島)がいつしか針小棒大となって呆然としたが、事の次第を悟り、互いの食文化の背景をしみじみ味わい直したことで、大事に至らずに今日に至っている。

 “ムスビの働き”は、実に深淵(しんえん)である。

 さて、生長の家では菜食中心の食生活を推奨している。肉食忌避(きひ)は、生命を尊び敬う者たちのささやかな抵抗であるが、殺される動物たちの悲しみや、地球環境の問題が、それだけで解決できるものでないことを百も承知の上での選択である。

 生長の家のオーガニック菜園部の活動は、ノーミート料理から、犠牲のない新たな食文化を創造する取り組みでもある。そのためのヒントは、かつての主流を占めていた自然と人間が調和した伝統料理の中にあるのだ。

 それは、今日の料理から肉を差し引くだけという消極的なものではなく、肉を食べないがゆえに可能となる、繊細で滋味(じみ)に富んだ豊かな菜食の文化を蘇らせ、さらに“新価値”を加えて魅力的な食の文明を創造することである。

 過日、埼玉・群馬おムスビネットフォーラム(zoomとFacebook)で開催したイベントで、各家庭でのおせち料理や、寒い季節の家庭料理が、オーガニック菜園部の皆さんによって紹介された。

 実家で食べていたもの、嫁ぎ先や移り住んだ地域で習い覚えたものなど、その一つひとつに、受け継いだ“技術”や“季節の食材”や“ご先祖の想い”が宿り、料理は、私たちの人生を深いところで支えていることが伝わってきた。

 その伝統料理は子や孫へと受け継がれて、また新たな家族を温めることだろう。

 わが家でも秋から冬にかけての伝統料理がある。それは静岡名物のとろろ汁で、私が子どものころは山に入って自然薯(じねんじよ)を掘ることが、田舎少年の通過儀礼(つうかぎれい)となっていた。

 山芋の収穫のため鍬(くわ)で自身の躰が入るほど深く穴を掘るのだが、それは苦役などではなく、内に眠る原初的な底知れぬ力が、森の中で密かに覚醒するイニシエーションでもあった。

 森を歩きながら、地元で語り継がれてきた神さまの話や神秘的なシキタリや植物の名前などが伝えられ、自然の中での豊かな“教養”を身につける機会でもあった。

 置き忘れてきた文化の中に、自然と共生するための智慧があふれている。

 環境破壊が深刻さを増すこの時代に、先人たちの声なき声が、いにしえの物語を通して全国各地で蘇ろうとしている。そこから“新しい文明”を築くための豊穣な智慧が、PBSの活動を通して蘇るのである。

  (二〇二一・二)

 

 

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2014年7月 1日 (火)

無垢な眼差しを感じて

 自然と人との調和を目指す『いのちの環』という日本教文社刊の雑誌7月号(NO52)に、「脱原発について」というテーマでエッセイを寄稿しました。

同誌には『日本の田舎は宝の山』の著者 曽根原 久司さんのインタービューなども掲載されているので、興味のある方はお求めください。
私の寄稿文を転載します。

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 3年前の冬、豪雪の八甲田山をスキーで滑降したことがある。

 それは山小屋所属のガイドの案内で、ゲレンデ外の自然の森や谷を麓まで滑り抜けるというもので、相部屋で親しくなった方に、目元の涼しい、Tさんという雪焼けした60代の好漢がいた。

 彼は平成11年まで東京・小金井でパン屋を営む傍ら、家族で登山に親しみ、子供が独立したのを機に福島の安達太良山麓に移転。

 地元の食材を使った無添加のパン屋を奥様と開業し、東京にいる孫たちを毎年家に招いて夏は登山、冬はスキーをするのが何よりの楽しみだった。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。続く東京電力の福島第一原発の事故で、終の棲家として選んだ彼のフィールドにも被害が及ぶ。

 以来、心待ちにしていた孫たちとの冒険も、娘の嫁ぎ先の両親から「森が放射能で汚染されているから」という理由で反対され、途絶えていることを残念そうに話してくれた。


汚染された場所に行かなければ安全か?


 環境省の「汚染情報サイト」で「森林の放射性物質の除染」について確認すると、住居、農用地等に隣接する森林の除染は林縁から20メートルの範囲で進められている。

 が、「落ち葉等の堆積有機物の除去を中心に」行う程度である。広大な森林については「調査・研究」を進めるとしているが、実際は放射能の減衰を待つほか打つ手がない状況のようだ。

 京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏は、昨年五月にYouTubeに公開した小沢一郎氏との対談「福島第一原発を抑え込むために」の中で、マスコミに公開されることのない次のような事実を語っている。

 今回の事故で大気中に放出した放射性物質セシウム137の量について、当時の民主党政権がIAEAに提出した報告書には広島原爆の一六八発分と記載され、同原発4号機の使用済み燃料プールには未だ一万発分が眠っており、さらに海洋流出で問題になった汚染水には、すでに大気中に放出された十倍もの放射性物質が含まれていると解説する。

 これに加え、昨年9月の東京オリンピック決定後も、毎日300トンの汚染水(経済産業省の試算)が太平洋に流れ、自然界の動植物が広範囲にわたって被曝している。

 食物連鎖による生命界全体の遺伝子への影響を考えれば、もはや「汚染された場所に行かなければ安全」という段階ではない。

 

あなたは、何をもって応えますか

 

 日本政府は2月25日に発表した国の中長期的な「エネルギー基本計画」に、「原発は重要なベースロード電源」と明記した。

 残念なことだが現政権は、原発再稼働を前提に政策を進めている。

目先の経済的利益によって生じる放射性廃棄物という膨大なツケは、やがて未来世代が途轍もない時間と犠牲とお金を費やして支払うことになるだろう。

 なによりも危惧すべきは、現世代がそのことを「知らない」ように、情報が制御されていることだ。

 釈迦は「知って犯す罪よりも、知らずに犯す罪の方が重い」と説いているが、原発再稼働が後世に与える影響を、そして放射線が遺伝子にもたらす潰滅的な意味を「知らない」こと、そのことが即ち未来世代への「重い罪」を犯す、つまり自分の子や孫の健康すらちゃんと守れないというやっかいな時代に、私たちは生きているのだ。

 それが原発に依存した社会に暮らすことの現実である。

 私たちがそれに気づいたのなら、もう「見て見ぬふり」をしてはならない。

「知らない」ことが重い罪となるならば、気付いただけで何も学ばず、何も為さないことは、絶望的な負の遺産を次世代に押しつけて遁走するようなものだ。

 しかし、因果律という明鏡は、すべての闇を明るみに引き出さずにはおかないだろう。

 最後の審判は遠い未来のことではない。それは、私たちの日々の生き方を掛け値なしに見通す、後世の人々の澄んだ眼差しの中にあるのだ。

 その無垢な光に、あなたは何をもって応えてあげるだろうか。

 

  (2014年4月)

〈普及誌『いのちの環』(日本教文社刊) リレー・エッセイ「脱原発について」掲載〉

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2014年6月13日 (金)

「都市の時間」と「森の時間」が重なるとき

 八ヶ岳山麓にある“森の中のオフィス”に勤務するようになって、早半年が過ぎた。

  標高1300メートルにあるオフィスへの出勤にはバスを利用しているが、帰りは家路までの数十分間から一時間ほどの逍遥(しょうよう)を楽しんでいる。

 

 当初は、スキーの体力作りのため、という目的で始めたが、今ではその目的はどうでもいいものとなり、自然の中を歩くこと、そのこと自体が大きな悦びとなった。

 

 帰路の途上では、その季節、その天候、その時間帯ならではの森での体験が次々と訪れる。

 

 4月に入り――鹿が風のように駆け抜け、ウグイスや小鳥たちの啼き声が森に響き、可憐な花々が地面や樹上で咲き、緑の米粒のような葉が梢で芽吹きはじめた。

 

 それらの光景と出合う度に、一つひとつの印象が心に刻まれる。

 

 都心に通勤していたときには直線的に飛び去っていた時間が、ここでは〝自然〟がもたらす豊かで新鮮な日々の印象となって心に留まる。

 

 9月にこの地に越してこの方、森が黄金色に染まり、やがて落葉し、雪が降り、新緑が芽吹き――そして時間はゆったりと、それは季節の揺るぎないあゆみと同調したようなペースで流れはじめている。

 

 これまで切り離されているように見えていた、「都市生活の時間」と、樹木が茂り花が咲き鳥が歌う「自然の時間」とが、森での逍遥を重ねているうちに、前者の時間が、次第に後者の雄渾ないとなみの中に包摂されてきたようだ。

 そのことが、無上の安らぎを森に棲(す)み始めた私たちにもたらしていることは、意識していないと気がつかないほど、その移行は自然である。

 

 森での生活は、はじめから私たち人間が、大生命の懐(ふところ)に抱かれていたことを、素直に思い出させてくれるのかもしれない。

                     (2014年4月)

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2014年5月31日 (土)

森の中で見えてきたこと

 機関誌『生長の家』の編集部から、リレー・エッセイ「八ヶ岳の暮らし」の寄稿を求められました。

 同誌の6月号に掲載されましたが、これを書いたのが、八ヶ岳ではまだ新緑も芽吹かぬ3月の冬枯れの中だったため、読み返してみると、すでに時機を逸した感がありますが、初めて体験した〝雪どけの季節〟ならではの感想として公開します。

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 八ヶ岳の森で暮らしてから、人生でやり残していたことに、なぜか背を押されて生活するようになった。

 それは私の余命が判明したからではなくて、森に住んだことで、人生で重要なことと、それ以外のことが見えてきたのである。

 森の日々を振り返ると幾つかの印象的な光景が甦ってくる。

 それは、冬に備えて薪の原木を一人で割っているとき─―

 大雪に埋まった道を、寮の仲間と黙々と除雪しているとき─―

 深雪に鎖された森に飢えてさまよう鹿と、目が合ったとき─―

 仕事を終えて、一人月明かりの森を歩いているとき─―

 氷雪が溶けて、やがて春の大地を潤すように、何か大切なことが体感され、都会生活の薫習(くんじゅう)が、次第に剥落(はくらく)していった気がする。

 さて、背を押されていることの一つは読書。

 テレビを見る習慣を止めたことで、森の静けさが部屋の中に充ちてきて、重要な対象が次々と像を結び始めた。

 祈りに導かれつつ、今日の文明史的な課題と聖典の精読に、深夜と早朝に取り組んでいる。

 次に家族との語らい。

 家の中心に薪ストーブが据えられ、夕暮れを過ぎれば真っ暗闇の森に家の灯がともり、周りに住む鹿や狐など動物たちの息遣いを感じながら、火を囲んで、夫婦、親子、時に友人たちと語らいの日々を過ごしている。

 そしてスキー。

 5年前「吾が人生にまだこんなに楽しいものが残されていたのか!」と、驚きとともに数十年ぶりに再開したが、今は電気自動車で25分も走ればゲレンデだ。

 急斜面に飛び込むとき、眠っていた身体の感覚が全面的に覚醒し、斜面を自在に滑降していると、いつしか自然・心・躰が一つになる三昧境。
 冬季に限定されたこの瞑想にも似たスポーツの悦びは、どこまで深まるのだろう。

 そして山登り。

 “森の中のオフィス”周辺の南アルプス山系では、かつて、北岳、間ノ岳、農鳥、甲斐駒、仙丈と登ったが、なぜか未踏のままだった八ヶ岳。

 限られた誌幅にこんなことばかり挙げていても切りがない。が、森に住んだおかげで、当分の間くたばりそうもない。


  (2014年3月)

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2014年4月16日 (水)

鶴見済氏の『脱資本主義宣言』を読む

  鶴見済氏の『脱資本主義宣言――グローバル経済が蝕む暮らし』を読んだ。

 
 仏教に「抜苦与楽」という言葉がある。

 これは衆生の苦しみを抜き去り、代わりに楽を与えるというもので、鶴見氏のこの著作は、今日の文明史的な「苦しみ」を解決するための、一つの処方箋として書かれたものと言えよう。

  本書の「はじめに」で、鶴見氏は次のように書いている。

 

  それでは、経済の仕組みに代わるモデルとな
  る別の仕組みとは何か? カネでない価値観を
 どこに求めればいいか?
  本書がその一例として取り上げているのが、
 自然界の仕組みや自然界とのつながりだ。

 

「自然界とのつながり」――鶴見氏は、かつて90年代のはじめに『完全自殺マニュアル」などという、物騒な作品を著しているが、人生についての試行錯誤を重ねながら、この世の「生きづらさ」の問題と格闘し、「どうすれば楽に生きられるのか」について探求し続けた痕跡が、行間からじんじん迫るのを真摯な読者は感じることだろう。

  同氏はある時期から、「楽に生きるためにはこの『経済の仕組み』を何とかしないとダメだろう」ということに気がつき、この“仕組み”について一つひとつ細かいデータに当たって調査してみた。すると、「驚きあきれるような事実」を次々と見出すことになる。

 つまり私たちが住んでいる資本主義社会の背後には、「生きづらさ」の原因となるものがあふれていたのである。読者は読み進むにしたがって“眼からウロコ”が落ちる思いでページをめくることになる。

  本書の内容から、彼が見出したことの一端を挙げてみよう。

 

 カネ儲けを第一の目的にしてしまった社会が
 失ったものは何か? 当然のことながらそれ
 は、「カネ儲けにつながらない価値」だ。この
 社会では人の健康や環境への害も、金額に
 換算しないと文字通り「計算に入らない」よう
 になってきた。ましてや我々の多様 な「幸
 せ」について、この社会が勘定できるわけが
 ない。
  グローバル化する資本主義が、カネのある
 なしにかかわらず、すべてのヒトにもたらす災
 いはこれであ
る。   (同書133~134頁)

 

 これは卑近な例だが、わが家の子供たちがかつて通っていた都心の小学校では、幼い子供を抱えながらもパートで忙しく働いている主婦が何人もいた。これも、ささやかでも家計の足しになればと、家族の幸せを願っての労働である。

 しかし母親が外で働くようになれば、社会的な責任をともなう仕事の都合を、彼女がまじめな方であるほど、家庭の都合より優先することになる。

 ある日〝こんなはずではなかったかも・・・〟とふと気付いてみても、わずかでも月々の収入が、子どもの幸せや夢の実現につながることを思えば、ガマンせざるをえない。
 しかしそのシワヨセは、すべて家族に、ことに幼い子供に寄せられることを、知って(意識して)いるか否かということは、とても重要である。

  もしこれを自覚せずに進めば、子どもたちは最も愛情を必要としている時期に、母親とふれあう時間を、おカネを得るための経済活動に奪われ、愛情の代償として親が買い与えたテレビゲームと向き合うことになる。失われた母親との時間は、永遠に戻ってはこない。

  家族は、日々の、思いやりの言葉の遣り取りを通して結ばれている。が、もし核家族化した親子の間で、これがなし崩し的に“先送り”にされてしまえば、やがて子供は思春期を迎えるとともに、まっすぐに家庭崩壊への道をたどる要因ともなるのである。

 これは、母親の責任でも、誰の責任でもない。私たちは、何の疑いもなく「おカネ」、つまり経済を至上のものとするコマーシャリズム(営利主義)の中に翻弄(ほんろう)されているのだ。

  これが、鶴見氏のいうところの「生きづらさ」ということの一つの側面である。

  家族の幸せを願いつつ、私たちはいつのまにか唯物論的資本主義の巨大なシステムの渦中に巻き込まれ、最も大切なものを見失ってはいないだろうか。日々立ち止まり、子供たちと目線でふれ合い“対話”することを心がけているだろうか――。

  お金に換算できない、私たちの多様な「幸せ」。これを取り戻すための、資本主義を超えた「別の仕組み」を模索したのが、本書の取り組みといえよう。

 果たして同書に書かれた内容が「答え」に至っているか否かは、諸賢に一読を願うところだが、真摯にこの問題に取り組んだ著者に私は賞賛の言葉を惜しまない。
 少なくとも社会主義でも共産主義でもない「資本主義以降」を考えるための〝必読〟の一冊であることは確かである。

 

 久都間 繁



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2012年10月 2日 (火)

ノーミートを続けるべきでしょうか?

 ノーミート料理に取り組み始めたという40代の主婦の方からの質問を預かりました。

 彼女は家庭での肉食をやめるため、小学生の息子を連れて県の「食肉センター」まで屠畜(とちく)の見学に行ったり、食肉の問題点を調べたりするうちに、
「牛肉や豚肉を食べる必要が人間にあるのだろうか? という強烈な疑問も生じて、もう、牛も豚も調理するまい」
 という深い慈悲の思いが湧いてきたそうです。

 ところが、これまでの肉食の習慣のあるご主人からノーミートを反対され、「やっぱり無理なのか」と悩み、相談を寄せられました。

 ご参考のため、質問と回答を紹介します。
 
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【質 問】

 

  合掌、ありがとうございます。

 ノーミート料理を毎日試行錯誤の中、作っています。

 肉の大好きな主人とこどもたちですが、主人の体重が増えすぎてきた、という理由で、初め主人は了解してくれました。

 でも、なかなか ノーミートで料理をすることが難しくて、行き詰ってしまい、自分の決心を固めるためにも、また小学生の肉好きの長男に肉の実態を少しでも知ってもらいたくて、夏休みに、県の企画で「食肉センター」というところを見学しました。

 そこは、1日に豚が約2000頭、牛が約25頭も屠畜(とちく)され、食肉になって出荷されていきます。屠畜の見学をしたいとお願いしましたが、それはかないませんでした。

 でも、屠畜のために、豚は頭に電圧をかけられ、牛は眉間に麻酔銃を撃つという話を聞き、また、屠畜後の様子は、牛は写真でしか見られませんでしたが、頭部を切り離され、胴の皮をはがされている様子を見、豚は、実際にガラス越しに頭がぶらぶらとベルトコンベアーみたいなものでつるされて運ばれているのを見ることができました。

 私は、結婚前は調理師をしていたので、だいたい想像できていたし、グロテスクなものでも見て大丈夫と思っていました。

 でも、そこを見学してから、日が経つにつれショックで、うちに長年読まずに眠っていた『
私の牛がハンバーガーになるまで―牛肉と食文化をめぐる、ある真実の物語 』を読み始めたり、インターネットで肉や、牛乳を搾るための牛について調べてたりしました。

 その結果、ますますショックで、それ以来、毎日がぶがぶ飲み、子供にもすすめていた牛乳も全く飲めなくなってしまいました。

 そこまでして、牛肉や豚肉を食べる必要が人間にあるのだろうか? という強烈な疑問も生じて、もう、牛も豚も調理するまいと決めました。肉を触るのもいやでした。

 でも、家族は満足しません。特に主人は、そのことを話しても、「それは仕方のないこと」と言い、聞き耳をもってくれません。(主人もコックです)

 ノーミートにしても体重が減らなかったということもあると思うのですが、先日も「俺はかわいそうだ。大好きなとんかつも食べられないのか、子供たちもかわいそうだ。ハンバーグも食べられないんだ。」と言われてしまいました。

 やっぱり、ノーミートは無理なのか、触りたくない肉でも、家族のためには取り入れるべきなのか悩んでいます。

 過日の生長の家講習会で、谷口雅宣先生は「子供が肉を食べたがるのは、親が食べるのを見ての結果」という意味のことを話されていました。

 この分では、わが家の子供たちもずっと肉好きのままになってしまいそうです。良い回答をお待ちしています。

 

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【回 答】

 合掌、ありがとうございます。

 ご家庭でのノーミート料理の実施は、ご主人やお子様のこれまでの食習慣とも関係してきますので、台所を預かる主婦としてはご苦労も多いことでしょう。

 谷口雅宣先生も、肉食が好きなご家庭なら、例えばこれまで毎日食べていたものを週1回か2回にするなど、肉食の回数を減らすことから心懸けてください、という意味のご指導をされていますので、家族の反対を押し切って完璧なノーミート料理に切り替えてしまうのではなく、徐々に時間を掛けてゆっくり肉食の問題点について語り合いながら、肉食を減らすように心懸けてはいかがでしょうか。

 わが家の事例では、私ども夫婦に加え、大学生1年生から小学4年生まで、4人の“食べ盛り”の子供がいますが、基本的には普段は野菜と魚で、牛肉や豚肉の料理を避ける工夫としては、完全なノーミートとはなりませんが、鶏肉をさまざまな形で調理するなどの工夫をしています。

 何よりも大切なのは、ご家族で仲良く歓談しながら食卓を囲み、家庭に天国を実現することです。

 ですから、ノーミートの献立については、プロのコックであるご主人に、あなたが心を開いて、「肉を触るのもいや」であることを率直に話して、“願い”を素直に打ち明けてご主人からアドバイスを頂きながら、協力し合ってノーミートへの道を歩んでみてはいかがでしょう。


 大切なのは、自分一人で頑張るのではなく、また生長の家の生き方を家族に押しつけるのでものなく、神の子であるご主人と子供たちの素晴らしい「実相」を拝みながら、ご主人の願いや希望をしっかり受けとめながら、楽しく神の御心(智慧・愛・生命)を実現していくことです。

 神意に適った善き願いは、気が付いてみれば必ず実現しているものです。結果を焦ることなく、日々の神想観(祈り)の中で、悩みの一切を大生命なる神に委(ゆだ)ねましょう。

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