環境のこと

2009年11月 9日 (月)

秋のほったらかし農園②


 この日は落花生に加え、トマトも収穫しました。

20091107a


 バケツの中にあるのは、アイコトマト、中玉トマト、そしていつのまにか真っ赤に色づいていたシシトウです(^^;


1107_2

 ほったらかし農園のトマトは、11月になっても、まだまだ元気に実り続けています。
 これは中玉トマト。

1107_3

 この勢いでは、今月末まで収穫できるのではないかと期待しています。
 こちらはアイコトマト。


20091107

 まるでブドウみたいですが、これはヤブランの実です。
 美味しそうにツヤツヤ光っています。写真を拡大して見ると、トマトやゴーヤのツルなどが周りにあり、本当に「藪(ヤブ)のような農園だ!」ということが、ばればれになっています(^^;

20091107a_2


 写真は、わが農園に実ったユズです。
 (枝に巻き付いているのは夏に咲いていたヒルガオのツルのようです)

20091107b

 今年、地元では柚子(ユズ)が豊作です。
 市内には柚木(ゆぎ)という地名もあるくらいなので、ご近所にはユズを栽培している農家や、庭に植えている家がたくさんあります。
 11月に入ってから、町内のあちこちで、たわわに実ったユズが黄色く色づいているのが目に入るようになりました。

 もうじき新嘗祭(にいなめさい)、秋もたけなわです。

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年11月 8日 (日)

秋のほったらかし農園①


「ほったらかし農園」にも秋が訪れ、収穫の時を迎えています。

 この日(11月7日)収穫したのは、春に種を植えた落花生です。

 愛犬のハッピーが、ときどき畑に入ってゴロゴロ寝そべっていた関係で、まるで草のベッドのようになっていた落花生畑でした。

 そのような圧迫に耐え、夏の暑さと秋の雨風を越えて、地中に実った落花生がようやく日の光を浴びようとしています。

Photo


 わくわくしながら、ググゥ~っと茎(くき)を引っ張っり上げているのは、末っ子の啓(ヒロム)くんです。

 事前にスコップを地面に深く差して、地中から土をモコっと掘り起こしてあるので、収穫はあんがい簡単です。
 

Photo_2


 当初予想していたより、たくさん実を付けていたのでホッとしました。
 モデルは長男の實(マコト)くん。私がポーズに注文をつけたので「早く撮って!」と、眼で催促しています(^^;

Photo_3


 植えてもいないサツマイモまで収穫できました。
 これも「ほったらかし農園」ならではの光景です。

Photo_4


 天日に干して、収穫が完了!


1107

 落花生を収穫した後の畑は、土に、生ゴミとEM菌を培養して作った堆肥を混ぜて、新たな苗床を作りました。

 ちょうど一週間ほど前に、ご近所に住む誌友から「のらぼう」という多摩地方特産の野菜(アブラナ科)の苗を頂いていたので、それを植えました。

1107b


「のらぼう」は、来年の2月~3月に収穫できる予定です。
 無農薬でも元気に育ち、おひたしやソテーにして食べるととても美味しいので、わが家のある青梅市などの西多摩地方では春先の定番メニューとなっています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年10月13日 (火)

フウセンカズラの種

20091008


 これはフウセンカズラの種です。写真をクリックしていただくと、黒地にコントラストも鮮やかなハート形の白地が見えてきます。

 数日前、台風18号の去った「ほったらかし農園」で採集し、テーブルの上に置いてキレイに並べて撮影しようとしましたが、コロコロころがって私の(大きな)手に負えなかったため、台風休暇で家にいた中学1年の娘にコーディネートと撮影を委託することにしました。


20091008b

 ハート形の模様は、おサルの顔のようにも、モダンな芸術作品のようにも、東南アジアの民芸品のようにも見えます。

 北米原産のフウセンカズラ。これが日本をはじめ世界各地に広く分布した理由のひとつに、この種の素朴で愛らしい姿形が好まれたのではないかと思います。

 このハートの種には、私たちを夢中にさせる魅力的な物語がいっぱいつまっているようにも見えます。が、実際に土に植えてみると、7月ごろから次からつぎへと小さな白い花を咲かせ、10月中旬になっても結実の勢いが止まらない大変な繁殖力を持っているところが、この「ハートマーク」の持つ呪術的なパワーなのかもしれません(^^;

「フウセンカズラにあやかりたいものだ!」なんて思っている方! メールで連絡いただければ、この種をひそかにお送りしましょう。お礼は要りませんので、来年の夏か秋にでも、皆さんのブログにスケッチか写真でもアップしていただくか、当ブログに感想でもお寄せいただければうれしいです。

 春先、プランターか庭に植えて、アサガオを育てる要領で支柱を立て、後はホッタラカシて(ときどき水をやって(^^;)おくだけで栽培できますが、食用にはならないのでもっぱら観賞用としてお楽しみください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月20日 (日)

ほったらかし農園の彼岸花

Photo

 彼岸入りした「ほったらかし農園」でも、彼岸花が満開です。

 拡大して見ると、向かって右隣にキンカン、やや後ろにネギの茎が見えます。
 ネギは何年か前に母が植えて、その後自生したもので、草に埋もれながらもたくましく生き延びています。

 農園のある青梅市では、一週間ほど前の9月12日ごろから一斉に彼岸花が咲き始めました。
 この花をしみじみ眺めていると、かつて彼岸前後に出会ったであろう、いろいろな思い出がよみがえってきます。


 秋の夕日を浴び、赤トンボが舞うなかを夢中になって従姉たちと駆け回った4、5歳の頃のこと。

 小学校の帰り道、拾った棒で、バッサバッサと切り倒した後に落ちる、露わな花の感触。

 幼かった息子と、畑のあぜ道に咲く花を眺めながら、懸命に後を追った秋祭りの山車と祭囃子(まつりばやし)の音。
 

 彼岸花は、いつのまにか現れて、深紅の花を咲かせたのもつかの間、いつの間にか消えて往きます。

 別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも、幽霊花とも呼ばれていますが、遠い日の記憶のように出現して、諸行無常の理(ことわり)を、鮮やかな花に託して語りかけているようでもあります。

 この花が咲き、日が暮れてコオロギの音が辺り一面に降り注ぐようになると、妙に日本酒が恋しくなるのは、私だけなのでしょうか(^^; 
 

 
 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月10日 (木)

「ほったらかし農園」のトマト

Photo

 畑をほったらかしていても、それなりに収穫できるところが「ほったらかし農園」の魅力の一つです。

 たくさん採れ過ぎたたときは、ご近所にもお裾分けしています。

 トマトは、20年ほど前からプランターで生ゴミとEM菌とを使って栽培してきた経験が役だっています。

 当初は失敗することもありましたが、これも料理と同じで、すべての失敗や成功がよい経験となり、やがて自分の個性(性格や好み)、栽培条件(プランター・畑の規模)、携われる時間などを加味して、「自分ならではの」野菜作りができるようになります。

 誰でも、土とプランターと好奇心さえあれば、いつでも、どこに住んでいても始めることができます。
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 8日 (火)

「ほったらかし農園」のヒョウタン

Photo


 今年の春、小学4年の長男とキュウリの苗を買いに行ったところ、瓢箪(ヒョウタン)の小さな苗を発見しました。

「ヒョウタン!」

 思わずそのユニークな形が、電光のように脳裏を駆けぬけ、

「ためしに、育ててみようか!」

 と、息子に問い掛けると、好奇心に満ちた彼の瞳が輝き、1株だけ購入して農園のイチゴ畑の空きスペースに植えてみました。

 肥料を与えていなかったのですが、それなりに成長して、9月上旬にはこんなになりました。

 そういえば10数年前、青森県にある三内丸山遺跡を見学に行った折、5000年前の縄文時代にもかかわらず同地でアフリカ原産のヒョウタンが栽培されていたことを知り、縄文文化圏の交易範囲の広さにたいへん驚かされたことがあります。

 同遺跡では、この他にも世界最古の日本製漆器の破片や、クルミの入ったかわいい縄文ポシェットの遺物、巨大な建造物の遺構、大人と赤ちゃんの埋葬方法の違いなどの行き届いた説明を、現地のボランティアガイドの方にしていただき、この日以来、私の縄文観が一変したことを思い出します。

 さてこのヒョウタン、煮ても焼いても食えそうにありませんが、いずれこれに晩酌でも入れて、はるか往古の森で営まれていた縄文人の生活に思いを馳せながら、秋の夜長に究極の「森のオフィス」のことでも考えてみたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 7日 (月)

「ほったらかし農園」のカボチャ

Photo_6

 このカボチャ、実は畑の脇を流れる小川の上空に伸びた山吹に巻き付いて実っています。(山吹の花が、その重さにたえながらカボチャに何ごとかを訴えているのがご覧いただけることと思います(^^;)
 
 これは、普通の農家の畑ではお目にかかることのできない、わずかな土地を縦横に利用して野菜を栽培している「ほったらかし農園」ならではの奇観といえましょう。

 あまり実が大きくなりすぎると落下しそうなので、農園では適当な時期を見計らって収穫する計画を立てております。

 でも写真を拡大してよく見ると、これから咲こうとしているカボチャのつぼみがまだ2つほど確認できます。山吹は、このカボチャから一方的に浴びせかけられた過酷な運命を、はたしてどのような気持ちで受けとめているのだろうか。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 6日 (日)

「ほったらかし農園」のフウセンカズラ

Photo_4


 子どもたちが学校から貰ってきた種を、なんでも植えてしまうところが「ほったらかし農園」のひとつの特徴でもあります。

 写真は「フウセンカズラ」というつる性の一年草です。まきひげを出して、それを他の植物などに絡ませながら成長します。これは、最近ゴーヤを収穫しているときに目の前にブラブラぶら下がっているのを偶然に発見したものですが、そういえば今年の春先、末っ子にせがまれて一緒に種を植えたことを今になって思い出している好い加減な園主です。

 学校で種を配るほどだから、「フウセンカズラ」もきっと食用になるのだろうと調査してみましたが、これはもっぱら観賞用として栽培されているようで、ネットのどこにも料理や食用に関する記事は見あたりません。 

 袋の上の方に、ちょこんと白い花が咲いているのが分かりますでしょうか。これが受粉して結実すると、下のような袋状になり、冬枯れて茶色くなると一袋に3粒だけ種ができます。種には黒地に白いハート模様の可愛いマークがくっきり浮き出ますので、私が忘れていなければまた本欄で紹介させていただきましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 5日 (土)

「ほったらかし農園」のハーブ〈チェリーセージ〉

Photo_2


 この花、サルビア・ミクロフィラ(チェリーセージ)の一品種で、ホットリップスというメキシコ原産の宿根草です。

 ご覧のように、花びらがチェリーのように真っ赤になることから、チェリーセージとも呼ばれています。

 最初は、害虫から野菜を守るためのコンパニオンプランツとして植えたものですが、可愛い花びらとは裏腹に、春になると雑草のようにたくましく次から次へと枝が伸びてきて野菜の生育の邪魔をするので、私は毎年、キュウリの苗を植える時期に剪定ばさみでバッサバッサと枝を切り払っています。それでも、彼らの勢いは一向に衰えることなく、毎年じわじわと株を広げています。

 しかし、無農薬でも野菜が元気に育っているのは、確証はできませんが、もしかしたら彼らのお陰なのかもしれません。
 春から秋にかけて、たくさんの小さな花を咲かせ、そのすゞやかな香りは好感が持てます。花瓶に活けても楽しめますが、うっかり数日放っておくと細かな花びらを一面に散らしています。

 ちなみにわが家の子どもたちは、この花の花びらを摘んで蜜を吸うのが大好きで、「とても甘い!」と語っています。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 4日 (金)

「ほったらかし農園」のハーブ〈マロウ〉

Photo_5


 休日に「ほったらかし農園」でトマトを収穫していたら、その脇でひっそりとマロウが咲いていました。

 マロウは和名をウスベニアオイというハーブの一種で、ご覧のように可憐な花を咲かせます。

 この花は、数年前に母が植えたもので、調べてみたら、ハーブだけに茎や花はお茶やサラダに、葉っぱは天ぷらにして食べることができるようです。しかし、そんなことをすっかり忘れ去ったまま、今年も夏が過ぎていく「ほったらかし農園」です。
 高いポテンシャルを秘めたマロウですが、彼女は密かに蝶や蜂たちを養うことで充足しているようにもみえます。でも、天ぷらにしたら意外と美味しいのかもしれません(^^;

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年9月 1日 (火)

「ほったらかし農園」のヒマワリ

Photo


 ヒマワリが立派な花を咲かせました。

 一緒に花をながめていた中学1年の娘が、ふと思い出したように、彼女が飼っているハムちゃん(ジャンガリアンハムスター)の餌の食べカスを、かつてこっそり畑に捨てていたことを告白しました。花びらに穴が空いているのは、ハムちゃんが種をかじった痕跡だろうか…!
 ともあれヒマワリは自分の不遇な生い立ちなど気にすることなく、たんたんと「今」を明るく生きています。


 

Photo_2


 

畑の向こうの小川に垂れ下がったゴーヤ
(これでは緑のカーテンになりません(^^;)


 

 

Photo_3


「ほったらかし農園」に自生するヤマブキ


 


Photo_4


 

この日(8月末日)の収穫です。
ゴーヤは翌日のおかずに。


 

 

Photo_6

 

夕方、子どもたちと散歩に出たら、栗の実が落ちていました。
秋が、もうそこまで来ているのだろうか。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009年8月28日 (金)

夏の「ほったらかし農園」②

  農園などというのもおこがましい、猫の額ほど小さな「ほったからし農園」ですが、ほったらかしているだけに、それなりに豊かな生物多様性が(知らないうちに)実現しています(^^;
 
Photo
クマバチが、カボチャの花から飛び出そうとしています。花の奥深くまで潜入しては、また次の花へと、8月のガンガン照りをものともせず、たくましく働いています。
 

 
Photo_2
 
こちらはウリハムシ。キュウリやカボチャなど、ウリ科の野菜が大好物で、彼らは「ほったらかし農園」のことを邪魔者のいない天国のように思っていることでしょう。
 

 

 
Photo_3 このトゲトゲした実は、母がどこやらから拾ってきた種を植えたところ、ほんの半年ほどで花を咲かせ、今では木のように成長して、その枝に実ったものです。名前は分かりません。(どなたかご存じの方、これは何ものなのか教えてください)
 

 
Photo_4
 
白いつぼみはキンカンの花。
 
Photo_5 こちらはキンカンの赤ちゃん。 
年が明けたころ甘く熟しますが、寒い季節になると森からハクビシンのような動物が出てきて半分ほどは食べられてしまいます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年8月17日 (月)

夏の「ほったらかし農園」

 久都間家の「ほったらかし農園」を、少し紹介します。

Img_1262

 畑なのか、藪なのか、それとも、ただ雑草が生い茂っているだけのか、よく分からないところが「ほったらかし農園」たるゆえんでもあります。


 Img_1254

 この細長いプチトマトは、「アイコトマト」という品種です。
 果実は6月から10月まで毎日収穫することができますし、雨に強く、無農薬でも病気にもかからず、害虫にも強いのが特徴です。


Img_1259

グリーンカーテンのつもりですが、アイコトマト、中玉トマト、ゴーヤ、キュウリなどが混在しているので、うっかりしていると巨大に成長したキュウリやゴーヤがぶら下がっていることに後で気が付いたりします。もっと(忘れて)放っておくと果実が熟れて種が弾けている壮麗な光景を目撃することができます。(そのうちご紹介できることでしょう(^^;)

Img_1261

これはシシトウ。収穫するのを忘れて真っ赤に色づいたころに、その存在に初めて気が付いたりします。
青いうちに収穫すれば最高のビールのおつまみになりますが、青いにもかかわらずときどき途轍もなく辛いものに当たることもしばしばで、これに懲りた子どもたちは、敬遠して触手を伸ばしません。

Img_1265

 これは落花生です。職場の同僚で、『日時計日記』などの書籍の制作を担当している有馬勝輝さんに進められ、春に種を分けていただいて栽培をはじめてみました。順調に行けば秋には収穫できるかもしれません。


Photo

なぜか藪蘭(ヤブラン)が勝手に生えています。
その向こうは小川で、雨が降ったときだけ水が流れます。

Img_1278

蝶とゴーヤの花(しじみさんのように撮ったつもりが…(^^;)


Img_1279


Img_1285_2

この日(8月某日)の収穫。
カボチャは植えてもいないのに勝手に実っていました。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009年8月12日 (水)

「放ったらかし農園」のニガウリ

20090811


 昨夜、仕事から帰宅すると、いきなりこの大きなニガウリ(ゴーヤ)をガーンと目の前に見せつけられ、びっくりしました。
 これは、わが家の畑で採れたもので、しばらく畑のことを放ったらかしていたら、こんなになっていました(^^;

 ニガウリは、かれこれ7~8年前からグリーンカーテンと食用を兼ねて栽培しています。が、こんなにデカい(長い)のを見たのは初めてです!

 ちなみに、シブイ笑顔のモデルは末っ子のヒロムくん。
 ただ今、小学校1年生で、サッカーと虫取りに夢中です!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月23日 (火)

忙中「歓」あり

 数日前の夜、地元の「地区防災対策委員会」が開催され、仕事を早めに切り上げてそれに出席した。

 小学校のPTA会長をお受けすると、自動的に6つか7つの地域におけるさまざまなお役が割り当てられる。

 最初は、このことを知らなくて煩わしく思っていたが、社会貢献の意義について職場のメンバーにも理解していただき、リズムに乗ってしまえば、地元の人たちとの絆が深まり、あらめて地域における自治体の活動や、その改善すべき細かな点なども客観的に見えてくるので、これはこれでよかったと今では思っている。

 しかし、実際に私がお役に立つことができるのは、早くて今年度後半から、遅くとも2年目以降からが本番であろうとも思っている。

 さて、翌日は休みをいただいていたので、通勤の折に毎日少しずつ読み進めていた福沢諭吉著の『文明論の概略』を読了することができた。これについては、別の機会に紹介できればと思う。

 庭の畑で、午前中にキュウリの収穫、トマトの枝打ち、落花生の周りの草引きなどを終え、お昼にはゴマだれの冷やし中華を、これも畑でとれた野菜、そしてゆで卵にハムなどを添えてたらふく食べた。

 4時すぎ、次女のいずみ(中1)がテニスの部活から帰宅し、その後ピアノのレッスンから帰ってきた弟たちを加え、町内のグラウンドに皆で行って、いず、まこ(小4)、ひろ(小1)、私の4人で日が暮れるまでテニスをやった。

 気が付けば7時をとおに回っており、遊んでいて時の経つのも忘れるとは、まさにこのことかと思った。

 
  久都間 繁

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月27日 (金)

卒業式に寄せて

 先週から今週にかけて、幼稚園、小学校、中学校と、3つの卒業式に出席させていただいたが、最後を締めくくったのは火曜日に行われた小学校の卒業式だった。

 小学校を卒業した次女の担任だったA先生は、児童と保護者に宛てた学級通信を、5年生の1学期から卒業式の当日までの2年間、授業のある日はほぼ毎日発行していた。主幹を兼務した多忙な日々にもかかわらず、この作業のお陰で、学校でのさまざまな出来事が分かり、学校に通う子供たちのみならず私たち保護者にとっても、大切で、楽しみなニュースレターになっていた。

 A先生は、青梅の小学校に赴任する前は、三宅島の小学校で教員生活を送っていた。
 島で出会った海洋生物学者のジャック・モイヤー氏とも親交を深めながら、モイヤー氏や子どもたちと一緒に海に潜り、環境問題やその啓発活動に深い関心を寄せながら離島での児童教育に勤しんでいた、そんな矢先、2000年に三宅島が噴火。

 避難先となった東京都・あきる野市内の施設で、140人ほどの児童とともに疎開生活を開始したものの、両親の落ち着き先が決まった子供が一人去り、二人去り、毎週のようにお別れ会を繰り返す中で、残された子どもたちが親恋しさに涙を流すのにいたたまれず、A先生は泣く児童を毎晩両腕に5人も6人も抱えながら一緒に眠った。朝になると、服の両腕が涙でぐっしょりぬれていたという。

 翌2001年春には児童数が20数人となり、同年度後半には、ついに0人となった。

 カラッポになった教室に残されたA先生は、かつて子どもたちと本土へ渡る船の中で、「必ず島へ一緒に連れて帰る」「私がみんなのことを守るぞ!」と誓った期待に応えることができず、教師の使命や役割について反芻する度に無力感に苛まれ、「もう教師を辞めて別の仕事に就こう」と思ったという。
 しかし、教師として悔いの残らぬよう、「あと一年だけ、精一杯やらせていただこう」と決意し、たまたま赴任した先が青梅市内の小学校だった。

 2002年春、さっそく校長室を訪問し、「一年間だけですが、お世話になります」と挨拶した。

 彼にとって、教師生活最後となる一学期が始まった。
 演壇に立って、自分を見つめる子どもたちの純粋な眼に出合ったとき、「三宅島の子どもたちの眼と同じだ!」と、感じた。

 天職とは、周りの人たちから教えられるものなのかもしれない――

 以来、今日までの7年間の歳月は、彼にとって、あっという間の出来事だったことだろう。

 私がA先生と出会ったのは、3年前の2006年秋、小学校で行われた学習発表会だった。

 それは環境問題についての6年生による「いのちの環(わ)」という児童劇で、台本も、ストーリーも、子どもたちの唱う歌も、衣装も、舞台セットも先生の指導で何もかも自分たちの手で作り上げたものだった。

 劇の最中に登場する、子どもたちと先生とで作詞・作曲したというオリジナル曲の合唱を聴いているとき、この歌と物語の根底に流れている、自然に寄せる深く、そして優しい眼差しが伝わってきた。たかが小学校の学習発表会と高を括り、まったく何の期待もしていなかった私の目に、涙が止めどなくあふれてきた。それは紛れもない、A先生の根底に流れているものとの出会いだった。

 翌年、次女が5年生に進級し、A先生は娘の担任となった。それ以来、何度か膝をつき合わせてお話しする機会があり、私たちは導かれるように、教育のこと、環境のこと、地域社会への貢献のこと、他の若い先生方、あるいは大先輩の先生なども交えて夜が更けるまで話し合った。


 そんなA先生も、どうやら4月からの転勤も決まり、より責任ある立場の道へと進まれるようだ。したがって、今年の卒業生が、彼が教育現場で受け持つ最後のクラスとなった。

 卒業式の後、クラスの謝恩会が開かれ、A先生のニュースレターを通して繋がり合っていた保護者の皆さんが大勢参加した。

 謝恩会では、生徒の一人ひとりが両親に宛てた「感謝の手紙」を、皆の前で一人ずつ読み上げて、それぞれの親に直接手渡したほか、これも新たに卒業式に向けて先生と子どもたちとで作詞・作曲したというオリジナル曲の楽器演奏が披露され、最後に父母と子どもたちとが、先生のギターに乗せて一緒にその曲を合唱した。希望に満ちた、どんなに絶望したときでも元気が湧いてくるような爽やかな歌詞とメロディからは、A先生から子どもたちへの、彼らの将来に寄せる深い〝思い〟があふれていた。その演奏と歌は、今も私の頭の中で鳴り響いている。

 A先生、長年にわたる生徒たちへの情熱的な指導、本当にありがとうございました。

 子どもたちは、貴方と一緒に経験した学校でのさまざまな行事を通して、無償で奉仕して何かを成し遂げる喜びを、全身で感じ取ったことでしょう。
 この経験は、彼らの生涯の宝となり、自身の運命を切り開く大きな力となることでしょう。
 貴方と出会えたことを、生徒共々心より感謝しております。
 

  久都間 繁 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月22日 (土)

巨大ショッピングセンター

 私の住んでいる青梅市から山一つ越えた町に、巨大なショッピングセンターが出現した。2007年末のことだ。

 ショッピングセンター周辺には日の出町、武蔵五日市市、あきる野市などがあり、これらの町を貫通してJR武蔵五日市線が走っている。終点の武蔵五日市駅周辺は、山に囲まれた市街と寄り添うように、街道には昔ながらの風情ある商店が立ち並び、長い時間を経て築かれたであろう地方都市の美しく完結した姿が見てとれる。

 しかし巨大ショッピングセンターの出現は、否応なく、これら古くからある地元の商店街に影響を及ぼすことであろう。

 わが家には中学生を筆頭に5歳の幼稚園児まで4人の子供がいる。家の近くのバス停には、客があまり寄りつかない小さな酒店があり、そこには夏も冬もアイスクリームのボックスが置いてある。近所の子供たちはそこの常連さんで、わが家の5歳の子までが、小銭を握りしめて1人でアイスを買いに出かけて、ちゃんと売買を成立させている。酒屋のジイさんともなじみとなり、いつぞやは定価に数十円足りないにもかかわらずちゃんとアイスを買ってきていた。

 そんな光景を見ていると、かつて私が小学生だったころの風景が脳裏に浮かんできた。私は静岡県の山間の村に育ったが、そんな場所でも子どもが足を運べる数キロ四方の範囲に4~5軒の駄菓子屋があった。

 店には大きさや味や値段の違う自家製のおでん、景品の並んだ1回5円也のクジ、紙袋にささやかな玩具を入れたサグリ、王冠の裏をめくったら当たり外れが出てくる炭酸飲料。今では見かけないものばかりだが、駄菓子屋周辺は子どものたまり場となり、親からもらったささやかな小遣いの使い道は、当時小学校低学年だった私たちの脳裏を駈けめぐり、生活の重要な領域を占めていた。

 ある日、クジの景品で陳列されていた拳銃が無性に欲しくなり、何日も挑戦してみたが、なけなしの小遣いは空しく消えていった。意を決して親の財布からお金をくすね、景品欲しさに駄菓子屋に勝負に出かけたことがあった。小箱に盛られた切手大のクジを一枚一枚めくり、さあ当たるぞ、もう当たるぞ、これで当たるぞ、とめくっていったが、最後の一枚をめくり終えても、とうとう当たりは出てこなかった。呆然としていると、なんとも言えない汚れた悲しみがこみ上げてきた。後日、その景品の拳銃が商品として売られていたのを見て、忸怩(じくじ)たる思いをしながらもすべてを了解した。

 ふり返ってみれば、駄菓子屋のさまざまなタイプのおばさんたちと触れあうことで、かつての子どもたちは小さなヤケド、思わぬ行幸などを繰り返し経験しながら、人間の多様な側面を見せられつつ渡世のいろはを学んでいたのである。

 ショッピングセンターやコンビニの出現は、大人にとって便利である反面、子どもから、重要な社会教育の「場」を奪っているのかもしれない。もったいないことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月14日 (金)

落ち葉について

 12月のある日、青梅市内に住む漆器作家ご夫妻の工房(朱文筵工房)兼ご自宅を、家内と二人で訪問して歓談させていただいた。その折、工房の通路に降り積もった落ち葉のことが話題になった。

 ご夫妻が語るには、土の上に散った落ち葉はいいが、アスファルトやコンクリートの上に落ちたものはなぜか調和を欠くとのこと。

 私はその話を聞いているとき、作曲家のベラ・バルトークが、落ち葉の降り積もる音を聞いたという話を思い出していた。

 それは、現在目の前で散っているものだけではなく、何年も何百年も降り積もって土と化した落ち葉たちが、時を超えて降り積もるその〝音〟が、今も聞こえているのだという。

 バルトークの聞いたそれは、五感の耳が感受した〝音〟ではないことは明らかである。が、では彼の所有するどの様な感官に、それが鳴り響いていたのであろうか――。

 落ち葉は、やがて時を経て土となる。そしてその土が肥やしとなって、樹木が養われる。つまり土と樹木と落ち葉とは有機的に繋がっているのだが、「美」とは、その〝連続性〟の由来を伝える何ものかではないだろうか。そんな着想が浮かんできた。

 たとえば、漆器などは樹木で作られた素材としての椀と、その表面に繰り返し手作業で塗布された漆の樹液などによって構成されているが、そこにはプラスチックなどの石油化学製品の椀とは質を異にする、奥深い「美」が表現されている。さらにそこには、落ち葉と地面と樹木との関係ような、椀と漆と人間との有機的で質的な〝連続性〟が現れているように見える。

 私たち人間が「美」を感ずる背景には、私たちが有機体であるということに由来した、深い理由があるのかもしれない。それは、「美」と「生命」とが、同一のものの異なる側面であり、人間はそれを無尽蔵に感受し、評価し、表現することのできる、おそらく唯一の存在であるというところに、あらゆる種類の芸術が生まれ、数多の宗教が生まれた由縁があるように思う。

 それを確認し、豊かに味わうためにも、私たちは大量生産、大量消費された軽薄な製品から、再び、私たちの生命との〝連続性〟を感じさせる有機的な製品に回帰する時期が来ているのかもしれない。

 地球環境問題は、そのことを雄弁に語っている。無機的なものを、地球環境が消化することができないのは、地球が有機的な生命体だからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月22日 (火)

環境問題をめぐって(2)「三内丸山遺跡」

 1999年ごろ、青森市にある「三内丸山遺跡」を見学したことがあります。

 そこは今から4千年~5千5百年ほど前の縄文時代の集落跡で、1千5百年もの長期間にわたって定住生活が営まれていたということです。

 遺跡には、当時の暮らしぶりを再現するための巨大な柱や、建築物が建てられていましたが、縄文中期にこのような巨木文明が成り立っていたことに、ちょっとびっくりしてしまいました。

 さらに、ここに暮らしていた縄文時代の人たちは、植物の繊維を加工して作った衣服を着用し、彼らを取りまく豊かな自然環境を活用しながら、栗やクルミなどの食料を組織的に栽培していたということです。

 このほか、自然の中にあるサルナシや木イチゴなどを集めて発酵させることで、お酒まで造っていたそうです。

 そこでは、人間社会の規模に合わせて、組織的に作物を栽培しながら、大自然からも直接、樹木や果実を豊かに収穫していたようです。

 このように、自然から奪うことなく、自然環境と調和した形で、後の世代まで豊かで安定した生活ができるように配慮した生活を営むことで、1千5百年という長期に渡る定住生活が実現していたのです。

 皆さんは「世代間倫理」という言葉を耳にされたことがあるかと思いますが、これは「現在」の世代の幸福のみを見つめた価値観ではなく、時代を超えて、子々孫々の幸福にまで心の視野が及んでいなければ生まれない、とても高度な倫理観なのです。

 そのような生き方が、すでに5千年も前の人々に、明確な意図をもって生きられていたのです。そうでなければ、このような長期に及ぶ定住生活はとても実現できるものではなかったことでしょう。

 彼らにとって、「自然環境」とは、全ての生き物の命を育む「母なる命」であり、呼べば応えてくれる。そういう、身近な存在として捉えられていたのではないでしょうか。

 私たちの文明が、「自然」と遊離したところで成立しはじめたときから、自然と私たちとは母と子との、本来の関係を忘れてしまったのではないのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)