流産して悩んでいる方へ(2)
「流産して悩んでいる方へ」という読者の方との遣り取りを、2013年の秋に当ブログにアップしましたが、過日、これを読まれた方からお礼のコメントをいただきました。
近年のインターネットは、FacebookにしてもTwitterにしても、情報がどんどん流れ去って消えてしまうことに大きな違和感を感じていたところに、流れ去らない言葉もあることが分かり、少し安堵した次第です。
さて、コメントをお寄せいただいた方は、これまで5人の子供を授かったものの、この世で会うことが叶わなかったという辛い思いを抱えていました。
彼女との対話が、同様の問題で悩んでいらっしゃる方の参考になるかもしれませんので、この遣り取りをアップさせていただくことにしました。
以下は、数度にわたって頂いたコメントと、私からの返信となります。
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今までに5人子供を授かりましたが、この世では会えませんでした。
どうこの現実と向き合っていけばよいのか悩んでいるときにこちらのHPにたどり着きました。
今もつながっているのかと思うと、心が温かくなりました。ずっとさみしかったのに。。
心温まるお言葉、本当にありがとうございました。
投稿: サブリナ | 2015年4月10日 (金) 22時11分
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コメントをありがとうございました。
たくさんの子供たちと〝神縁〟をいただきましたね。
現象的には分かれているように見えますが、〝いのちの世界〟では、いまだ一度も離れたことなどないのです。
彼らはあなたとともに生き通しています。神さまにおいて〝ひとつ〟のいのちであり、あなたと久遠に愛し合っていることを観じ、祝福し、大いに(無限大に)喜んであげてください。
それこそが「祈り」(命宣り)であり、実相のみを観ずる生長の家の神想観です。
投稿: 久都間 繁 | 2015年4月11日 (土) 17時28分
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心に染み入るお返事、本当にどうもありがとうございました。
人数分の激しい辛さが、その分の喜びになれた気がします。。
現在は高齢ということもあり、もうこの世で会えるのは難しいという認識もあるのですが、これはこれでまた受け入れることがとても辛いのです。
これが私の最後の試練かもしれません。
この世でもう会えないとすれば、今世私に何か原因があると受け止めるべきなのでしょうか。
医学的に問題がないとすれば、スピリチアル的にどのような背景があるのかが受け止められられれば、乗り越えられるかも知れない、と思い恐縮ですが、再度コメントをさせて頂きました。
知識の乏しいわたくしが、とても暖かく慰めて頂いたにも関わらず、このような答えの難しいお問い合わせを突然させて頂いてしまうことを、大変申し訳なく感じております。
が、これも何かのご縁と思い思い切って書かせて頂きました。もし差支えなければご感想をお聞かせください。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
投稿: サブリナ | 2015年4月13日 (月) 19時59分
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合掌、ありがとうございます。
辛い積年の思いを、打ち明けてくださり、ありがとうございました。
子供たちとこの世で、目に見え、言葉を交わすような形で会えないことは、お辛いことと思います。
しかし、この世で「もう会えない」ということでは、ないのです。
なぜかと言えば、自分が産んだ子だけが、あなたの子供ではないからです。
神縁というのは、血筋によるものだけではありません。
自分の子供や孫であるか否かということとは無関係に、神縁によって出合った方とは、生と死を越えてより深い絆が結ばれるものです。
たとえば、恩師や師匠と呼ばれる人たちとの出会いは、肉親との縁とは別に、師が亡くなった後もより深く結ばれていることを感じるものです。
私の娘は今年大学4年になり、親元から離れて東京で生活していますが、彼女の絵の師匠(イラストレーター)は今年、喜寿を迎える独身女性の方ですが、自分の子や孫でもないのに、肉親のようにして無償で絵の指導をして、おまけに人生の指南までしてくれています。
また、私自身も亡き恩師との繋がりは、昇天後に十年の歳月が過ぎても、肉親とは異なる次元で、より深い結びつきを感じながら今も生きています。
むしろ、継承したものが私を通して生きている、といった印象で、このようなご質問にお答えさせていただくのもその一環なのです。
あなたのご質問にある、「スピリチアル的にどのような背景があるのか」ということについては、あなたが今どのような仕事をされ、どのようなことに取り組んでいらっしゃるかは存じ上げませんが、現世でお子様に恵まれなかったことは、これはあなたが今生で取り組んでいらっしゃる〝ご使命〟とも関係していることのように思われますが、いかがでしょうか。
つまり、あなたが持っているもの、情熱をこめて取り組んできたこと、生きがいにしてきたことが、もしかしたら、後世を担う若い人々に〝無償で〟伝えるご使命があるのかもしれない、ということです。
あなたが無償で与えたことは、彼らの血となり肉となって、それがまた後世へと続いていくのですが、このような深い繋がりは、誰にでも恵まれているようなものではありません。
それなればこその〝神縁〟であり、これに応えるためには〝無償の愛〟をもってしか応えることができないのです。
その理由はよく分かりませんが、神がそれ(愛そのもの)であることに由来しているのだと思います。
十分な情報がないままでのアドバイスとなりますので、行き届いた答えになっていないかもしれませんが、追加の質問があればお知らせください。
投稿: 久都間 繁 | 2015年4月14日 (火) 13時22分
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とても考えさせられるお返事、本当にありがとうございました。
5人の子供とは、私が人生を全うした時に会えるのではないか、、とその時を心から楽しみにしていますし、今回言って下さった「命の世界ではまだ一度も離れたことがない」という言葉には、とてもとても励まされました。
感動して泣きました。
今世で私ができる「無償の愛・・・」
今すぐ何かは正直分からないのですが、あの世の子供達に、あまりにも集中し過ぎていたここ数年の愛情(もしかしたら執着なのでしょうか?)を、これからは少しづつ、縁あって出会った方に向けていってみようかな、と思いました。
最も身近な両親や主人にさえも、切なさで精一杯で心に本当に余裕がなく、気遣う気持ちをここ数年忘れてしまっていた気が今してきました。。
この状態ではお母さんに選ばれなくても仕方なかったかもしれません。
神縁で子供達と、生と死を超えて深く繋がっていると分かっただけで、今回心にゆとりが生まれ、ここまで客観的に色々な事にお蔭様で気付く事ができました。
まずは子供の父親であり、神縁によって出会い、沢山辛い思いと我慢をさせてしまった主人に愛を再度向けないといけないです。
そして、6人目の子供とひょっとしてこの世で会えるかは、神縁に委ねる事に致します。
「血筋だけが神縁ではない」というお言葉に、しばらくは不思議な気持ちと、目から鱗のような気持ちと、壮大なスケールの中で人生をすごしていたのか、、、など本当に考えさせられました。
ずっと止まっていた私の時計の針が、漸く動き出した気がします。
また人生の困難にぶつかった時、改めてご連絡させて頂くかもしれません。
私と同じ思いで、とても辛い経験をされた方が、このやりとりを読まれて私と同じように心が軽くなると良いな、と感じています。
今回相談に乗って頂いて、心の底から感謝しております。今回の心温まるお言葉は私の生きる糧となることでしょう。
ありがとうございました。
そして遠く離れたお嬢様も、これからも沢山の良縁に恵まれますように。。
投稿: サブリナ | 2015年4月14日 (火) 20時37分
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ご丁寧な返信をありがとうございます。
>> ずっと止まっていた私の時計の針が、漸く動き出した気がします。
よかったですね。
6人目7人目のお子様は〝神縁〟によって必ず授かりますのでご安心ください。
同じ悩みを抱えていらっしゃる方のために、今回の遣り取りを公開させていただくことにします。
>> また人生の困難にぶつかった時、改めてご連絡させて頂くかもしれません。
どうぞ遠慮なく。
投稿: 久都間 繁 | 2015年4月15日 (水) 10時01分
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